■秋に施行される「改正皇室典範」
今秋10月24日、新たに「養子皇族男子」についての規定が盛り込まれた改正皇室典範が施行される。おそらく水面下では養子縁組に向けて、宮内庁と旧宮家の男系男子との間ですでに接触が行われていることであろう。
思い出されるのが平成24(2012)年1月24日、旧・竹田宮家の末裔である竹田恒泰氏が当時のTwitterにこう投稿していることだ。
「昨日旧皇族の一族(一部)が集まって皇統の問題を協議しました。勿論自ら皇籍復帰を希望する者はいませんが、いざとなったら男系を守る為に一族から復帰者を用意する必要があると意見が一致しました。法整備ができれば何とかなりそうです」
民間人として享受してきた自由を捨ててまで、不自由な皇族になることを受諾する男系男子など、本当にいるのだろうか――。国会での議論時にはそう疑問視する向きもあったが、その点はどうやら心配なさそうだ。
■懸念される旧皇族の「過激な思想」
筆者は男系による皇位継承を尊重する立場から、今般の皇室典範改正を大いに歓迎している。しかしながら、旧宮家の民間での歩みに思いを致す時、養子について一抹の不安を覚えてしまうこともまた認めざるをえない。
旧宮家といえば、皇籍復帰に否定的な人々からは「ひがしくに教」などの戦後の醜聞がよく槍玉に上げられるが、筆者が最も気がかりなのは、末裔の方々がどのような思想・信条を抱いているかという点である。
それというのも、昭和22(1947)年に皇籍離脱した旧皇族の中には、過激思想を公然と開示する方も少なくなかったからだ。
■「国体はまげられている」元・閑院宮の「思想の強さ」
まずは、閑院純仁氏――皇族時代は閑院宮春仁王――を取り上げたい。
彼は実際には伏見宮家の血筋であるものの、江戸時代中期に創設された閑院宮家の名跡を父・載仁親王が受け継いだ結果、よく「今の皇室と血統が近い」と誤解されたそうだ。由緒ある宮号のおかげで、旧皇族の中でも独自の存在感があったということだろう。
そんな閑院氏についてだが、その著書『激流 戦争から平和へ・二十一世紀への道』(土屋書店、昭和45年)に触れたならば、おそらく現代日本人の多くが「思想の強さ」に驚愕するに違いない。
「敗戦以来今日(昭和四十五年)までの、日本の国の姿、天皇のあり方も、また正常なものではない。即ちわが国体はまげられている。それは敗戦にもとづく戦勝国側の作為的強制政策(則ち当時の占領政策、対日方針)と、それに立脚する憲法に原因し、且その思想を盲従的に承けつぐ所の現在の国民的風潮とによる」
まるで右派政治家のような主張だが、驚くのはまだ早い。閑院氏の筆致は、この直後にいっそう過激さを増しているのである。
「与論の構成に大きな力を持っているマスコミ、及び青少年の思想育成に絶対ともいうべき影響力を有する教育者、即ち偏向大学教授から、日教組系の学校教師にいたるまでの人々、それは進歩的文化人と呼ばれる戦後発生の変態的智識人の浅薄な理論を拠り処として、国民思想の混乱を激成している」
敗戦後の日本は「国体」を護持できなかった――。閑院氏はそんな発想のもとに、天皇を戦前の形に戻そうと訴えた。曰く、「日本の建て直りの根本は、国体の問題、即ち天皇の在り方を正すことにある」。
■「赤い宮様」を諫めた元・賀陽宮
続いて、賀陽恒憲氏――かつての賀陽宮恒憲王――について述べよう。
戦前には平民的な「野球の宮様」として親しまれていた賀陽氏だが、そんな彼も非常に保守的な思想の持ち主だったようだ。日本国体学会を率いた思想家・里見岸雄氏が、賀陽氏について興味深い証言をしている。
里見氏は昭和27(1952)年3月、自身が創刊した月刊誌『国体文化』に「三笠宮に捧げる公開状」を掲載した。その内容は、歴史学者として「建国記念の日」制定に反対なさっていた三笠宮崇仁親王への諫言である。
彼はその頃、大阪より汽車で帰京する途次、名古屋からたまたま乗ってきた賀陽氏と隣の席になり、しばらく会話を交わしたという。賀陽氏はこの時、「先生がつねに国家の為め皇室の為め一方ならぬ御奮闘を下さいます事に深く敬意を表しております」と里見氏を称え、次いでこう語ったそうだ。
「殊に、さきごろの三笠さんに対する御諫言の御論文は、まことに有り難く拝見いたしました。あの雑誌は私からも三笠さんに一部差しあげてお読み願いたいと申し上げておきました」――『国体文化』(第595号、昭和47年4月)36頁。
このエピソードに関しては、今のところ「汽車の中で賀陽氏に会ってそう言われた」と里見氏が主張しているだけであって、実際にあった出来事だと確認できているわけではない。だが、戦後の賀陽氏について調べてみると、少なくとも彼の行動として違和感のないものには感じられた。
■「反共戦士」を称して台湾訪問
賀陽氏は昭和49(1974)年3月11日から5日間にわたり、「中華民国」を称する台湾を訪問している。当時の『台湾総覧』によれば、「旧宮家の訪台は戦後初めてのこと」だという。
問題は、これが一民間人としての単なる遊覧旅行ではなかったことだ。日中国交正常化(=日華断交)からまだ2年程度というセンシティブな時期に行われたこの訪台中に、賀陽氏は次のような談話を発表しているのである。
「日本の皇族を代表して、中華民国に対する謝罪、蒋総統に対する最高の謝意を表明するために訪華した。また、戦時中の日本軍部首脳の資格で忠烈祠にも参拝し、抗戦のために殉じた中華民国軍将兵の英霊に敬礼する。反共戦士の一員として、日華両国の民間交流増進と両国国交の早期回復に尽力をつづける」
この談話は、台湾政府の機関紙『中華週報』に取り上げられ、わが国の国会にも波及した。5月9日、参議院議員の星野力氏(日本共産党)が、当時の田中角栄内閣の外相・大平正芳氏にこう迫っているのである。
「元皇族というのは、法律上はともあれ、実際的には特殊の身分であります。そういう身分の人物が、右翼団体と同じ立場で、多数国民の願望に挑戦するかのように日中国交回復に反対して騒動しておる、すこぶる穏やかでない問題だと思う」
筆者としては、皇室制度への姿勢などから日本共産党に対しては思うところもあるが、この件についてはまさにその通りだとしか言いようがない。
ちなみに、彼の長男である賀陽邦寿氏(元・邦寿王)もまた右派的な方であった。彼は昭和43(1968)年の参議院選挙に際して「保守系無所属」を名乗り、「靖国神社国家護持の実現」などを掲げて出馬している。
■いまだに「宮様意識」が強い人も…
今回取り上げたのはすでに亡くなられた方ばかりだが、はたして現在の旧宮家の方々はどうなのだろうか。
皇籍離脱世代に右派思想が目立ったのは、軍人になる義務を課せられていた戦前生まれの男性皇族なればこそであって、養子対象になる若い世代はそうではない、と信じたい。
しかし、旧宮家の最長老の一人である伏見博明氏(元・伏見宮博明王)が近年になっても次のように述べていることが、筆者にとって無視しがたい不安要素となっているのだ。
「僕などは旧皇族の中ではリベラル派だと思っているんですよ。いまだに自分は宮さまだという意識の強い人もいますからね」――『旧皇族の宗家に生まれて』(中央公論新社、令和4年)176頁。
旧宮家の方々は、旧陸軍の親睦団体「偕行社」を通じて戦後も元軍人との繋がりを保つなど、保守層寄りの人脈を形成することが多かった。その人脈が今なお受け継がれているとすれば、若い世代の人格形成にまで影響を及ぼしているという可能性は否定できまい。
今般の議論では、ごく短期間ながらも旧宮家が「日本国憲法及び現行の皇室典範の下で、皇位継承資格を有していた」ことが強調されてきた。だからこそ、皇籍復帰はまかり間違っても「戦前回帰」などとみなされてはならない。
国が養子に期待するのは、ただ男系継承の支えとなるのみにとどまらない、象徴天皇制を支える存在であることだ。もしもそれを自覚していない方が「天皇の在り方を正す」第一歩として名乗りを上げたとしても、宮内庁には容赦なく選考から弾いてもらいたい。
■象徴天皇制を揺るがさぬ養子の人選を
ここまで養子自身への懸念を述べてきたが、皇位継承資格を有するとされたその子孫については心配に及ぶまい。すでに言及した閑院氏は晩年、自らのアイデンティティーについて次のように答えている。
「出は伏見宮だけれども、伏見宮のほうの先祖には甚だ申しわけないが、あまり先祖のような気がしないで、血統は違うけれども、閑院宮家の先祖を自分の先祖と思っているんです」――『偕行』通巻第388号(昭和58年4月)4頁。
養子縁組の対象者はみな伏見宮家の血筋であるものの、まさに閑院氏がそうだったように、その子孫たちは養方の宮家のほうにこそ帰属意識を持つようになるであろう。すなわち、象徴天皇制をこれまで支えてきた現在の宮家に対して、である。
ふさわしい方を養子に迎え入れられさえすれば、その後のことはきっとうまくいくはずだ。言い換えれば、とにかく養子の人選を誤らないことが最重要であるといえよう。
養子縁組とは、皇族になるための単なる手続きではない。養子縁組を経るということは、現存する宮家の基本姿勢を受け継ぐということでなければならないのである。
高円宮久子妃殿下がご著書『宮さまとの思い出』(扶桑社、平成15年)にお書きになった文章を紹介して、本稿の締めくくりとしたい。
「高円宮家は、宮さまのお考えがあるからこそ高円宮家なのであって、宮さまが亡くなられても、宮さまのお考えが基本となります。(中略)宮さまからの教訓のようなものが子供にきちんと伝わらなければ、宮さまにとっても、宮家にとってもとても悲しいことです」
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中原 鼎(なかはら・かなえ)
皇室・王室ウオッチャー
日本の皇室やイギリス王室をはじめ、君主制、古今東西の王侯貴族、君主主義者などに関する記事を執筆している。歴史上でもっとも好きな君主は、オーストリア皇帝カール1世(1887~1922)。
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(皇室・王室ウオッチャー 中原 鼎)

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