元銀行員で税理士法人を経営していた篠崎由博さんは2014年、負債6億円を抱え、債務超過約1000万円だった春巻き専業メーカー「スワロー食品」を買い取った。赤字の段階で社員の給与を上げ、賞与も復活。
その後、社員の年収は最低2倍以上、最大5倍近くになり、売り上げは約3倍、経常利益は約4億円に伸びた。なぜ「ヨソ者社長」は、業績より先に社員へ還元したのか。ライターの弓橋紗耶さんが取材した――。
■売却2日前、創業者が翻意
「やっぱり売るのやめた」
スワロー食品の買収契約が2日後に迫っていた、2014年1月。創業社長と向かい合っていた篠崎由博さんは、眉間に力が入るのを感じた。当時税務顧問だった彼は、売り上げ13億円・借入6億円の債務超過状態にある同社を売却するため、やっとのことでM&A(企業の合併や買収)の段取りをまとめたはずだった。
売り手が土壇場で翻意することは、業界ではNGとされている行為だ。仲介者のネットワークも、信用も、丸ごと傷ついてしまう。
「いや、売りに出しておいて『やっぱりやめる』っていうのは、絶対やっちゃいけないことなんです! 許されません!」
相手がクライアントであることも忘れて、声を荒げた。だが、そのあとの一言で大きくのけぞることになる。
「きみに買ってほしい」

「……⁉」
このとき、篠崎さんは30人規模の税理士法人を経営していた。慶應義塾大学を卒業してから、都市銀行、会計事務所を経て設立したもので、メーカーの経営経験など一切ない。

「この2年間、きみの仕事ぶりを見てきた。きみに買ってほしいんだ」
すぐには返す言葉が見つからなかった。
■「ものづくりをする、ラストチャンスかもしれない」
試しに銀行時代の元同僚に相談してみると、「個人で6億円の借入を引き受けるの? 絶対ないでしょ」と即答された。周囲にも相談してみたが、誰一人として賛成する者はいない。
「でも……考えようによっては、これはチャンスなのかもしれない」
心の奥底で燻っている感覚が、どうにも無視できなかった。
篠崎さんは絵を描いたり、工作をしたりと、幼少期からものづくりが好きだった。けれど、家族はみな金融関係の仕事に就いており、父親からも「『やりたいこと・得意なこと』と、稼ぐことは違う」と教えられて育った。
「男は『何がやりたいか』じゃなくて、家族を経済的な理由で悩ませないように、収入を得られる仕事をしろ、と。実際に、父親は大手証券会社の専務でしたからね。貧乏な生活ではなかったし、海外旅行にもよく連れて行ってもらいました」
大学卒業後は父親の教え通り、「稼げる」仕事を選んだ。けれど、28歳のときに父親が亡くなったことで、「もうこれで何も言われなくてすむ」と心の縛りが解ける。
■負債6億円を背負った41歳
創業者から「スワロー食品を買ってほしい」と突拍子もない申し出を受けたとき、ふと頭をよぎったのは「メーカーを買えば、今からでも『ものづくり』ができるんじゃないか」という小さな期待だ。
自分で一から作ろうと思うと、莫大な設備投資が必要で、現実的ではない。だが、目の前には設備も、技術も、人材も揃っている。
業績は悪かったが、大手コンビニ3社やオーケー・サミットなど、主要スーパーを顧客としていた。なのに、なぜか不釣り合いな数字しか出ていない――。違和感を覚えた。
「これは商品が悪いんじゃなくて、経営に問題があるんじゃないか……?」
仮説を立てると、「検証したい」という衝動が湧いてきた。エリアトップに育て上げた税理士法人をあっさり同僚に譲り、6億円の負債を抱える企業の社長になることを決意した。
■「専業化しかない」という確信
2014年12月、周囲の反対を押し切って買収を進めた篠崎さんは、41歳で2代目社長に就任。以降は一つの方針を軸に経営を進めてきた。それが「既存事業への一点集中」だ。
「資本力のない中小零細メーカーが生き残るには、専業化しかありません。少ない資源を分散したところで大手には敵わないけど、一点突破なら勝機はある。

総合食品メーカーは資金を全体に割り振る必要があるし、人材もマルチタスクができるように育てなきゃいけない。でも、うちは全部『春巻きを作る』ことだけに最適化できる。すると、当然技能が高まるので、他メーカーがハンドリングできないこともできるようになるんですよ」
そもそも薄い皮で具材を巻く春巻きは、不良品(ロス)が出やすい製品だ。そのため、1990年代後半以降、大手メーカーは赤字続きだった春巻き事業から次々に撤退。最盛期は30~40社が競合していたが、現在は5~6社へと数が絞られた経緯がある。しかし、スワロー食品は地道に改善を重ねたことで、歩留まり(投入した原料に対する完成品の割合)が向上。二桁台の利益率を維持できるようになった。
■大手が捨てた「非効率」に商機
また、専業だからこそ大手メーカーが「非効率的」と判断する作業に、手間暇をかけられた。例えば、一般的に春巻きの具は90分間加熱されるため、結果的に「煮て」いるメーカーが多い。さらに、出来上がった具材にとろみをつけることで、パイプを使って圧送できるようにしているのだ。対して、同社は中華料理店と同様の手順を踏み、高火力の直火釜を使って20分間「炒めて」いる。完成したら手作業でバットに移し、味を染み込ませるために冷蔵庫で一晩寝かせる、という手のかけようだ。

「大手メーカーはこんなことやってられないと思います。でも、うちは春巻きしか飯の種がないので、ここで負けるわけにいかないんです」
「逃げ場のなさ」が品質への強いこだわりを生み、大手との差別化を可能にしていた。
2014年の買収時点では、同社の売上高は約14億7000万円、経常利益は約1000万円の赤字だった。それが、2026年には売上高が約43億5000万円と3倍ほどに伸長。経常利益は約4億円と、見事なV字回復を遂げている。
復活の鍵となった「歩留まりの向上」は、篠崎さんの観察力とDIY精神の賜物だ。毎日デスクワークや打ち合わせが終わると工場に下り、製造ラインを隅から隅まで観察。夜中の2~3時まで工場にいることもあった。改善ポイントがわかると、金属を加工・溶接したり、セメントを塗ったりと、自ら手を加える。「手先が器用だから、すべて自分でできてしまう」らしい。
■製造機械を自ら改造した「歩留まり」対策
ここで見逃してはならないポイントがある。それは、日本国内で使われている春巻きの成型機は、一社のメーカーが製造しているという事実だ。

すなわち、春巻きメーカーはみな同じ機械を使っている。だが、スワロー食品と同じ味を作り出すことは、決してできない。なぜなら、多くの食品メーカーが成型機をそのまま使うなか、同社では機械が届いた瞬間に改造するからだ。
「当初、大して費用をかけずに歩留まりを上げる方法がいくらでもあるのに、誰もやろうとしてなかったですね。手はじめに機械メーカーに改造を依頼してみたんですけど、『そんなことで意見してくるのはスワローさんだけですよ』と取り合ってもらえなかった。だったらいい。自分でやるから、と。
メーカーは機械のプロかもしれないけど、春巻き製造のプロではない。無駄が目の前にあるんだから、従来の慣習なんて自分には関係ありませんでした」
■社員が信じなかった昇給宣言
さて、篠崎さんが「改造」したのは、機械だけではない。社長就任初日、社員全員を前にこう宣言した。
「給与を上げます。今年赤字で決算することになっても、賞与を復活させます。
労働時間も短くします。その代わり、マインドを変えてください」
社員に対し、これまでよりも生産性の高い働き方への転換を求めたのだ。でも、当初その言葉は信用されなかった。「綺麗事を言っているだけで、どうせ自分たちの給料は変わらない」――そう思われていた。
だが、疑念をよそに、翌月には全社員の銀行口座に、普段よりはるかに高い給与が振り込まれた。最終的に、年収ベースで最低でも2倍以上、最大で5倍近く給料を増やした。これには社員たちも目を剥いたことだろう。
「二流の社長は、『業績が良くなったら給与を上げる』と言う。でも、それは卑怯だと思うんですよ。自分の方が力も資本力もあるのに、一生懸命ただ工場で働いている人を試すようなことをしてるんだから」
真っ先に行動で示したあとは、社員に意見を求め、社長自ら伴走しながら徐々に社内の仕組みと雰囲気を変えていった。
■工場労働でマイホームが建つ
この間、少なからず従来の慣習に固執していた幹部層もいたらしい。だが、「マインドを変えるか、去るかの二択しかない」とはっきり告げると、自ずと離れていった。代わりに登用したのは、実力がありながらもこれまで評価されてこなかった社員たちだ。
5つの事業部のうち、4部門のトップは女性に代わった。そのうち3名は、高卒のシングルマザーだ。「会社を回しているのは実は彼女たちだった」と気づくのに、そう時間はかからなかった。外国人の研修生も、実力のある人はどんどん社員雇用している。
「女性だから、高卒だから、外国人だから、とそんなことでは一切差別しない。自分は究極的な実質本質主義者だから」
今では「工場労働者のなかでは、うちの社員はかなり収入が高い方だ」という。その言葉通り、多くの社員がマイホームを購入しているそうだ。最近では独身の一般社員が家と車を購入し、ベトナム人の社員も住宅ローンを組み、念願のマイホームを手に入れている。
社内では毎月の損益状況が公開され、小さな取り組みが大きな収益につながっていることを実感できるようになった。「稼いだ利益は(社員に)すぐにばら撒く」と社長が公言していることもあり、社員は一層自律的に動くように変わっている。
「自分の収入は、社内で6番目ぐらいかな」
ふとこぼれた嘘みたいな発言に、一瞬唖然とする。なぜ、そこまでして会社に身を捧げられるのだろうか。
■課せられた「責任」と「義務」
問いの答えは、篠崎さんの思想に紐付いていた。
「恵まれた家庭に生まれたことは、ガチャを引き当てたのと同じようなものですよ。自分の実力じゃない。よく高学歴のエリートだ、って言われますけど、ただの運です。だって、勉強する環境を与えられていない人が、世界中にごまんといるんですから」
そう思うようになったのは、過去にバングラデシュを旅行したのがきっかけだ。裸足のまま、小銭欲しさに手を伸ばしてくる子どもたちを見て、「もしこの国に生まれていたら同じようにしていただろう」と感じた。
「立場を与えられたんだったら、その影響力をどう使うか。これを考えるのは義務だ、といつも自分に言い聞かせてます」
その言葉を聞いて、「ノブレス・オブリージュ――高い社会的地位や富を持つ者は、それに伴う重い責任と義務がある」という概念を思い出した。その覚悟を最もよく表すエピソードが、2019年に取り組んだ即席麺メーカーの再建だ。
即席麺メーカー・つばめ食品(現在は寿がきや食品に売却)は、不動産の資産価値に魅力を感じ、買収した企業だった。ところが、毎年1億円以上の赤字を出していたため、スワロー食品本体が共倒れになりかねない状況となる。そこで、篠崎さんは「黒字化するまで帰ってこない」と本社のある三重県に引っ越し、3年間現地のアパートに住み込んで、自ら立て直しにあたった。
■年1億円の赤字を3カ月で黒字化
昼間は作業着で製造ラインに入り、スタッフと作業しながら機器の修理を行う。夕方からは地元の経営者と懇親を深め、夜に工場に戻ると、朝方までまた作業に勤しんだ。
「夜は22時くらいから始めるんですけど、現地の社員は全員帰してますからね。自分を含め、スワローから出向した3人で、不良品を一つひとつ袋から出して包装し直してました」
また、再建にあたってはスワロー食品の資金を極力使わなくて済むよう、可能な限り外部業者に委託することを避けた。その理由は、「あのお金は、スワローのスタッフが一生懸命稼いだものだから」だという。
「ちょっとしたことは自分でできますからね。だから、土日は朝から晩までずっと、工場の改造とか修繕をしてました。『これで明日から少しは歩留まりが上がるかな』と思ったら、全然直ってなかったときもあって(笑)あの頃は1年間で1日休んだか休んでないか……そんな感じでしたね」
必死の努力が実り、わずか3カ月で宣言通りの黒字化を果たした。その後、ほかにも負債を抱えた企業を次々と再建し、現在はワンタンやちくわぶのメーカーなど、計8社のスワローグループを束ねている。
「会社を売れば、経済的には人生上がれる状態にある」と言うが、決してそんなことはしないのだろう。十数年間、お盆もゴールデンウィークも休まず、ただただ仕事に邁進している。
■綺麗事こそ最も効率がいい
業界の慣習に縛られない。「非効率」とされる一手間を惜しまない。自分の懐を肥やすのではなく、社員の給与を上げる。本当に実力のある人材を登用する。はたから見れば「綺麗事」と思えることを、次々にやってのけてきた。「綺麗事では飯は食えない」なんて、どこかで聞いたセリフが頭に浮かぶ。
「綺麗事ってすごい難しいんですよ。余計なことをしなきゃいけないし、責任を取らなきゃいけない。その負担が大きいから、嫌だから、みんな主張をすり替えてるんじゃないかと思う。
でも、経営効率で考えてみると、『綺麗事でど真ん中を突っ走るのが、実は一番優れてるんじゃないか』と私は仮説を立てたんです。その検証結果が、今のスワローです」
冷静かつ力強い眼差しには、この12年の確信が宿っていた。
普段何気なく食べているあの春巻きにも、この「綺麗事」が一枚、巻き込まれているのだろう。

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弓橋 紗耶(ゆみはし・さや)

フリーライター

1987年、神奈川県生まれ。2010年からインフラ企業で営業・営業企画を経験し、2022年に独立。現在は、ストーリーライティングを軸とした取材・記事執筆などを手がける。企業の広報から経営者インタビューまで、営業現場で培った人との対話力を活かし、企業の持つ本当の価値や想いを言葉にして伝えている。

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(フリーライター 弓橋 紗耶)
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