ニューヨークのアンダーグラウンドから現れた異端児、ショー・ミー・ザ・バディ(Show Me the Body)が最新アルバム『Alone Together』をリリース。フロントマンのジュリアン・プラットが相次ぐ喪失の痛み、父親であることの喜び、そして不屈のパンク精神を貫くための生き様を語る。


パンク・ラップの武闘派、ショー・ミー・ザ・バディのフロントマンであるジュリアン・プラットには、ささやかな願いがある。鳩を見せてほしい、というものだ。

スキンヘッドに32歳のボーカリスト兼バンジョー奏者は、ニューヨークのイースト川に沿って広がるクイーンズの緑豊かなアストリア・パークを、2歳の娘シュレイと一緒に歩き回り、この街で最も有名な野生動物を探している。しかし、5月にしては異例の肌寒い金曜日ということもあり、この街に大量にいることで有名な「羽の生えたネズミ」、鳩の姿はまばらに見える。幸いにも、プラットは準備を怠らなかった。プラットはニューヨークの鳩コミュニティと深い繋がりがある。映画『波止場』でマーロン・ブランドが屋上の鳩小屋を歩き回っている姿を思い浮かべれば、イメージが湧くだろう。そのため、彼はどこで20ポンドの餌を買えるかを知っており、今日も1~2ポンドほど持参していた。

プラットとシュレイはRFKトライボロー・ブリッジの下で数羽の鳩を見つけ、種をまく。すると間もなく、2人はくすくす笑いを漏らし、シュレイがモッシュピットの動きを思わせるような散開作戦を試みる中、何十羽もの鳥たちが彼らのもとに舞い降りてきた。尾に白が混ざっている鳥はニューヨークの在来種だと彼は指摘する。ショー・ミー・ザ・バディが2022年に前作のフルアルバム『Trouble the Water』をリリースした当時、このような光景は想像すらできなかった。
プラットは、あらゆる形態の権力に対して誹謗中傷を浴びせる、ただの怒れるニューヨーカーの一人にすぎなかった。それが今では、父親でもある一人の怒れるニューヨーカーになったのだ。

Show Me the Bodyが語る、パンク武闘派の壮絶人生──資本主義やシオニズムとの戦いと「ラジカルな愛」

Photo by Griffin Lotz for Rolling Stone

近くのコーヒーショップのテーブルに腰掛けながら、「たくさんのことが変わったよ」とプラットは語る。その声は、音源と同じように響き渡り、いかにも「Noo Yawk」らしい。「以前はツアーだけでなんとかやっていけた。今はすべてが深刻だ。未来が現実になったんだ」

彼の前のテーブルには、使い古されて水ぶくれのようになった青い作業用手袋が置かれている。これは、シュレイが生まれた頃に就かなければならなかったデイジョブ──ニューヨーク証券取引所でバナーを掲揚する仕事──で着用しているものであり、彼の人生がいかに大きく変わったかを示している。これまで一貫して資本主義を批判する歌詞を書いてきたプラットは、その皮肉を自覚している。「俺の仕事の唯一クールなところは、めちゃくちゃ古い建物に登れることさ」と彼は言う。しかし、手袋を外せば彼はいつもの自分に戻り、自身が関わるニューヨーク・ハードコア・ミュージックを象徴する左の指関節の「N.Y.H.C.」のタトゥーが再び姿を現す。「Surey(娘の名前)」と刻まれた大ぶりの指輪も同様に。


「人生は良くなっていると思う。よく過去を振り返って『うわ、最悪だ』ってなるからね」と彼は言う。「恥ずかしくて身のすくむ思いがするんだ。でも、良い友人がいつも俺にこう言ってくれる。『なあ、数年前の自分の行動に恥ずかしくならないんだとしたら、今まともなものを作れてないってことだぞ』ってね」

プラットが今手掛けているその「まともなもの」とは、7月10日にリリースされたショー・ミー・ザ・バディの通算4作目となるニューアルバム『Alone Together』だ。もちろんジャケットに鳩の群れが描かれているこのアルバムは、ケネス・ブルーム(ギース、アイドルズ)とクラス・オールンド(イギー・ポップ、ケイティ・ペリー)によるプロデュースの甲斐もあり、これまでのリリースよりも引き締まった、より厚みのあるサウンドを誇っている。「ケニーは『これまでのショー・ミー・ザ・バディのレコードで最高のものを作ってほしい』と言ってくれて」とプラットは語る。「俺は彼を信じたんだ」。オールンドは、彼に、より本物の自分自身であるよう促してくれたという。

最終的に、プラット、共同結成メンバーであるハーラン・スティード、そして最近ドラムとして加わったニジョル・ベンジャミンの3人組は、彼らをコンサートの呼び水にした攻撃的な傾向を引き継ぎつつも、より焦点を絞り、プラットの急進的な政治思想を支持する堂々とした歌詞を備えたアルバムをレコーディングした。彼は10代の頃に共同設立したクルー「Corpus」の一員として、今もその政治思想を実践している。リードシングルの「Dance in the U.S.A.」では、ドスドスと響くベースとバンジョーに乗せて、プラットがアメリカで生きることは〈馬鹿なゲームだが、俺は負けるタマじゃない〉とラップしている。
もう一つのシングル「No God」では、軋むようなギターの上で、プラットが〈賭けられているものを理解するために、時には壊れなければならないこともある〉と歌う。そして「See You Again」では、ここ数年で亡くした2人の友人、1人は彼がメンターと仰いでいた人物、もう1人は親友の一人だと思っていた人物に哀悼の意を捧げている。彼らについて話すとき、彼は今でも涙ぐむ。プラットの視点から見れば、ここ数年でその人生は劇的に変わったが、彼は同じ人間のままであり、ただ、より良いバージョンの自分になっただけなのだ。

「今でもたくさんトレーニングしているよ」と彼は言う。「薬物も減ったし、酒も減った。でも、今でも人生を楽しんでいる。それに、娘を持つこともクリエイティブな実践だと思うんだ。……今はただ、2歳半の子供に対応するために、あらゆる行動をもう少しだけ深く考えなきゃいけないってことさ」

「ラジカルな愛」とアナーキズム

ー父親になったことによる急激な環境の変化は、どれほど強烈でしたか?

プラット:かなり強烈だった。子供が生まれて3カ月のときに、ノックド・ルーズ(Knocked Loose)がショー・ミー・ザ・バディにツアーへの同行を求めてきて、それは断れないだろ、みたいな。

ーまあ、断ることもできますが。

プラット:断ることもできる。
だけど、これが俺たちの仕事だからね。

ー疑問に思ったりはしなかったのですか?

プラット:もちろん、100パーセント悩んだよ。でも俺の母親は映画監督で、必死に働いていた。子供の頃、俺は彼女と一緒に撮影現場にいたんだ。やる価値のあることは何だって難しいものさ。

ーバンドはあなたが16歳のときに結成され、今、あなたは32歳です。これまでの人生の半分ですね。始まった当初のショー・ミー・ザ・バディの目的は何でしたか、そして今の目的は何ですか?

プラット:始まった当初のショー・ミー・ザ・バディの目的はさ、俺は特別支援学校に通っていたんだ。文字をうまく読めなかった。誰もが俺を馬鹿だと言ったし、自分でも馬鹿だと思っていた。そして、パンクロックやハードコア・ミュージックが大好きで、〔ニューヨークのパンク系ベニュー〕ABC No Rioに行って、たむろしていた。

ライブをやり始めたとき、「これは俺が得意なことだし、本当に気分が良くなる」と思ったんだ。
だからこそ、最初はあんなに真剣に取り組んだんだと思う。

最近では、それが俺の宗教のようになっている。俺はユダヤ人なんだけど、ショー・ミー・ザ・バディはある種の捧げ物のようなもので、今では俺にとって大きな意味を持つようになった儀式のようなものだと思っている。

個人的には、苦悩の表現というよりも、自分が若い頃に感じていたのと同じように馬鹿げているとか頭が悪いと感じている友人や他の人たちを集めて、彼らをジャッジしないこの大きなものの一部になれる場所を与えるための手段なんだ。俺たちが作る音楽や伝えるメッセージは、ほとんどの状況で居場所がないと感じている人たちのためのものだとよく思っている。

ーアルバムの最初の曲である「Eat for Peace」で、あなたは〈ラジカルな愛(radical love)〉という言葉を歌っています。そのコンセプトはどのようにして生まれたのですか?

プラット:ABC No Rioによく入り浸っていた俺の友人のトレバー、彼の父親がR.A.S.H.(レッド・アンド・アナーキスト・スキンヘッズ)運動に参加していたんだ。それに〔ロード・〕エゼック〔別名ハードコア・ボーカリストのダニー・ディアブロ〕やスカム〔・ダスト〕といった、DMS(ドクターマーチン・スキンヘッズ)の奴らが、俺たちが子供の頃に面倒を見てくれた。これらすべてのグループがどのように活動しているかを目にしたことが、俺に大きな影響を与えたんだ。Corpusの結成を通じて、それは変わり者たちのためだけではなく、資本主義や帝国主義、そしてジェントリフィケーションとか、そういうクソみたいなものに反対することを意味するようになった。

前回のツアーでアリゾナにいたとき、俺たちはシオニズムからの中東の解放について話していた。するとセキュリティが俺に襲いかかろうとして、俺と友人はセキュリティと殴り合いにならざるを得なかった。


そして〈ラジカルな愛〉という言葉だけど、レコードの冒頭は〈ラジカルな愛が俺を戦いへと駆り立てる〉となっている。……たとえ俺たちがアリゾナの真ん中にいようとも、何千マイルも離れた場所で起きている瞬間に連帯して、セキュリティをやっている40代の元警察官たちとやり合い、パンチを食らっているんだ。それは俺たちにとって大きな意味がある。

ーとはいえ、32歳の父親となった今、あなたは資本主義と関わっていかなければなりません。

プラット:100パーセントその通りだ。みんな資本主義のハブで働かなければならない。インフラから離れて社会を拒絶しない限り、それは俺たち全員がやらなきゃいけないことだし、少なくとも俺はまだその準備ができていない。そして、それができている人には敬意を表するよ。インフラを離れた世界中のすべての闘士たちを全面的に支持する。でも、俺には小さな娘がいるからね。

先日、仲間とそのことについて考えていたんだ。「なあ、みんなで洞窟に入って焚き火のそばでダラダラしている方が楽だろうな」って。でもその後に気づいたんだ。「アンプがねえじゃん、お前」ってさ。この圧倒的な西洋社会が俺に提供してくれるロックンロールを諦められるほど、自分が男らしいかどうかは分からないな。

ー16歳のジュリアン・プラットは、今のあなたをどう思うでしょうか?

プラット:もしかしたら、俺のことを意気地なしと呼ぶかもしれない。でも正直なところ、めちゃくちゃ興奮してくれると思う。Corpusは最初、ただ行き場をなくした子供たちが集まって、ライブに行ったりグラフィティを書いたりすることから始まった。それが今では、本当の家族のような、本当の友人たちの小さなネットワークになっている。そしてそれこそが、俺のこれまでの人生の中で最も誇りに思っていることなんだ。

ー若い頃のジュリアンは、かつて反逆児の友人グループのように始まったCorpusが、今や本物のコミュニティへの影響力を持っていることにも驚くかもしれませんね。

プラット:俺たちにはスタジオがあって、もしニューヨーク出身の若者なら、無料でスタジオ代を使えるんだ。夏の間には、子供たちに護身術やムエタイ、ボクシングの基礎を教える「Corpusセルフディフェンス」もやっている。だから今のCorpusは、ニューヨークのアイデンティティの中に生きながら、音楽活動にも参加している、若者向けの小さなコミュニティ組織なんだ。ライブを主催するし、過去にはレコードもリリースしてきた。でも実際のところは、友人たちによって運営されている小さなコミュニティ組織として機能しているよ。

ーABC No Rioのライブに通うことからも、多くのことを学んだようですね。

プラット:100パーセントその通りだ。アナーキーな組織構造を初めて目にしたのがそこだった。俺たちは今でもミリタンティズム(戦闘的活動)に関わっているし、それに対して組織的に動いている。組織化されながらも反社会であり続け、一緒に生活を向上させることはできるんだ。ABC No Rioであれ路上であれ、自分より年上の人たちが組織を通じてそれを実践しているのを見たことは、俺に巨大な影響を与えたよ。

ー今のあなたにとって、アナーキーとは何を意味しますか?

プラット:正直に言うと、仲間と一緒に何かをすることだ。友人たちと何かをすること、それが軽犯罪であれ、アートプロジェクトであれ、他の組織が運営している作戦への参加であれ、自分たちのコミュニティでイニシアティブを実行しようとすることであれね。

『Alone Together』の真意「俺たちは孤独だけど、一緒なんだ」

ー「Dance in the U.S.A.」はどんな曲ですか?

プラット:乗り越えていくこと。あと、俺は「Born in the U.S.A.」が大好きなんだ。お気に入りの曲の一つさ。俺はそこまでボス(ブルース・スプリングスティーン)の熱狂的なファンってわけじゃないけど、あの曲をかけると「最高だな、クソ喰らえ」ってなる。俺にとってはすごくメタルなんだ。スーサイドによるカバーも最高だよね。狂ってる。〔俺たちの曲は〕この西洋の現実の中で生き抜いていくことについて歌っているんだ。

ーアルバムのタイトル『Alone Together』の背景にはどんなアイデアがあるのですか?

プラット:このレコードの名前のアイデアを思いついたのは、俺たちが「Anti-Zionist Jewish Pride(反シオニズムのユダヤ人の誇り)」と書かれたシャツを作ったからなんだ。それが俺の本心だからね。そうしたら、届いたヘイトメールの量や、憎しみや醜さを示してきた人たちの数、そして俺のことをカポ(強制収容所の看守)と呼んできた他のユダヤ人たちの数は凄まじかった。……他のユダヤ人たちからそんな名前で呼ばれて、俺は涙を流したよ。俺はユダヤ人であることに誇りを持っているからね。

それで俺は、パートナーであり、子供の母親でもあるアシャに話したんだ。「なあ、なんで俺の同胞たちが俺にこんな風に言ってくるんだ?」って。彼女は「ねえ、あの人たちはあなたの同胞じゃないよ。分かっているでしょ」と言ってくれた。その言葉が、俺を愛と理解で満たしてくれたんだ。

俺たちは1万人の前でHellfest(フランス最大のラウド系フェス)に出演して、世界がシオニズムから解放されることについて話したんだ。そうしたら2000人くらいの観客が「ノー」と言って後ろを向くのを見た。だから「もしそう感じるなら、上がってきて俺の目の前で文句を言ってみろ」とシオニストたちを煽ったんだけど、誰も上がってこようとはしなかった。

でも、俺自身のコミュニティが「俺たちがついているし、自分の気持ちを代弁してくれてありがとう」と言ってくれたことで、すごく救われたんだ。そして、俺たちは個人でありながら、このもっと大きなものの一部なんだと感じさせてくれた……もし不人気な意見を持っていたとしても、寄り添ってくれる他の人たちはいる。たとえ今彼らが目の前にいなくても、精神的には俺たち全員がそこにいるんだ。反シオニズム・コミュニティの他のメンバーから愛とサポートを感じたことで、あの『alone together(離れていても、共に)』という言葉が思い浮かんだ。頭の中で「俺たちは孤独だけど、一緒なんだ」ってね。俺にとっては極めて文字通りの意味だったんだ。

ー愛を示すことが、このアルバムの中心的なテーマのようですね。なぜ愛の最後に感嘆符(!)を打ちたいと思ったのですか?

プラット:これまでの人生の過ちを通じて、〔過去に〕恐怖や憎しみを優先してしまったことを通じて、愛こそが「豊かに存在していること」を確かめるべき唯一のものだと気づいたんだ。自分と友人、家族、そして家族と呼べる人たちの間にたくさんの愛があることを確かめれば、良い人生を送れる。あるいは、少なくとも愛がない場合ほど苦しまずに済むはずさ。

ーその気づきのきっかけは何だったのですか?

プラット:俺の人生には3人のメンターがいたんだけど、今生きているのはそのうちの1人だけなんだ。俺にカンフーを教えてくれたメンターは今イタリアに住んでいて、彼が俺に残された最後のメンターだよ。

このレコードを作り始めたまさにその矢先、Forced DownやInside Outで活動していたマイク・ダウンが2024年にバスに撥ねられたんだ。彼はあの「End Racism(人種差別を終わらせよう)」のシャツをデザインした人物さ。俺たちが出会ったとき、彼はたぶん40歳くらいで、俺は15歳くらい、当時の俺は本当にひどい状態だった。彼は俺に、ショー・ミー・ザ・バディに本気で飛び込むための自信をくれたんだ。

それから、俺にギターの弾き方を教えてくれたマイケル・ペスタロッツィ──身長が6フィート4インチ(約193センチ)あって、美しいスキンヘッドの男で、伝説的な人間であり、俺の母親の友人でもあった──彼は10年くらい前に自ら命を絶ってしまったんだ。

だから、その2人の紳士を亡くしたこと、そして最後のメンターが自分からとても遠い場所にいると気づいたことで、彼らが本当に、本当に必要としていた時期に、俺にどれほど多くの愛を注いでくれたかを思い知らされたんだ。でも同時に、そうした感情を経験し、「人生とは喪失が何度も何度も繰り返されるだけの場所で、友達の輪はただ小さくなっていく一方なんだ」と感じていた次の月には、俺にとっての最初の子供が生まれた。これは俺の子供であるだけでなく、クルー全員の子供──ギャングの赤ん坊──なんだと気づき、みんなが彼女に対して抱いてくれる愛の大きさが、俺の人生を変えたんだ。

ーそうした感情が伝わってきました。

プラット:ショー・ミー・ザ・バディを通じて、俺は自分が感じていることや目にしていることについて書いているんだと思う。もっと若い頃は、この街について書いていた。今は絶えず愛と喪失を感じているけれど、それと同時に、できる限り人生を信じようともしている。重要なのは、ただ友達を失っていくことではなく、この圧倒的な現実の中にも美しさがあると考え、人生を楽しめるように彼らを導いていくことなんだ。

Show Me the Bodyが語る、パンク武闘派の壮絶人生──資本主義やシオニズムとの戦いと「ラジカルな愛」

Photo by Griffin Lotz for Rolling Stone

ー最近、あなた方はショー・ミー・ザ・バディに親しく、Corpusにとっても重要な存在だった友人も亡くされていますね。彼の言葉はニューアルバムにもフィーチャーされています。その件にはどのように向き合っていますか?

プラット:〔口数が少なくなる〕良くはないよ。俺たちは10年以上も食事やベッドを共にして、一緒に育った赤ん坊のようなものだった。彼がいなくて本当に寂しい。彼は事故に遭う2日前に〔アルバムの中の彼のパートを〕レコーディングしたんだ。それは彼から俺への最後の贈り物だと思ったけれど、今でも常に彼の存在を感じている。ただ彼の家族への敬意から、彼についてあまり多くを語りたくはない。でも、君が言ったように、俺が愛へと舵を切り、そこにピリオドや感嘆符を打とうとしている理由の一部は、俺の友人がめちゃくちゃ大きな愛を持っていたからでもあるんだと思う。

ー彼の喪失を悼む中で、ご自身のメンタルケアはどのようにされていますか?

プラット:酒を飲む。友達と話す。母親に電話してみる。時々セラピーを受けようともするけれど、BetterHelp(オンライン・カウンセリング)とかのサイトだと週に65ドルとかかかるんだ。たまにカードが決済エラーになることもあるよ。

ーどのようにして地に足を着けているのですか?

プラット:規律(discipline)のおかげだね。

ーアルバムのイントロでも〈ヘヴィな規律〉について話していますね。

プラット:そうだね、レコードからのもう一つの引用は、俺の師匠が言っていた言葉なんだ。「一日鍛錬すれば、一日得る。一日怠れば、三日失う(Train one day, you gain one day/Skip one day, lose three days)」。だから、戦闘的であり続けるというアイデアはマインドセットであり、それはただ戦うためだけではなく、自分自身に愛と敬意を示すためでもあるんだ。

俺が地に足を着けていられるのは、格闘技をやっているからだ。友達と一緒に自重トレーニングをしている。友達とたくさんの時間を過ごしている。できるだけ自炊をして、ホールフードを食べるようにしている。そして人生を楽しんでいるよ。

今でも時々薬物をやるし、酒も飲むけれど、毎日トレーニングしている。でも師匠が言っていたんだ。もしトレーニングをして体をケアし、自分自身と家族を大切にしているなら、煙突のようにタバコを吸おうが、豚のように食べようが、馬のようにセックスしようが構わないってね。そんなの関係ないんだ。

ーこれらすべてを乗り越えて、またツアーに出る準備はできていますか?

プラット:正直なところ、友人たちを亡くし、メンターを亡くした今、俺は何をするにも本当にただ恐怖を感じている。特に、これまで人生にいてくれて、あれほど支えられていると感じさせてくれた人たちがいない中でツアーに出るというのは、彼らなしでそんなに長く外の世界にいることが本当に怖いんだ。でも、同時にそれは俺がやるのを楽しめる数少ないことの一つでもあるからね。

From Rolling Stone US.

Show Me the Bodyが語る、パンク武闘派の壮絶人生──資本主義やシオニズムとの戦いと「ラジカルな愛」

ショー・ミー・ザ・バディ
『Alone Together』
発売中
再生・購入:https://i.showmethebody.com/alonetogether

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