1980年代から90年代にかけ、圧倒的な強さでプロ野球界を席捲した黄金期の西武ライオンズ。常勝軍団を類まれなリーダーシップで牽引したのが石毛宏典だ。

 今回は、チームリーダーとして果たしていた役割や意識していたこと、さらには当時のエピソードまで振り返ってもらった。

西武黄金期に石毛宏典が“ほぼ唯一”サシで飲みに行っていたベテ...の画像はこちら >>

チームの中心として、どんな動きをしていたのか

 石毛が西武のキャプテンを務めたのは、1989年~94年。それ以前はキャプテンという役職に就いていたわけではなかったが、チームリーダーとしてチームを牽引していた。

「広岡達朗さんが監督の時、試合前に自分がショートスピーチをしていたんです。そういうこともあってか、『西武のチームリーダーは石毛』と世間から見られるようになっていったと思います。ただ、キャプテンという肩書があったわけではありません。正式にキャプテンに任命されたのは、森祇晶監督の時代です。

『キャプテンシーを発揮してくれ。首脳陣が参加するスタッフミーティングにも出席してほしい』と。監督、コーチの指導方針やどんな思いを持っているのかといったことを共有してほしいということでした。当時は工藤公康や清原和博ら、実力があり、しっかりとした自分の意見を持っている選手が多かったですが、そういった選手たちの意見をくみ取ったり、監督やコーチが考えていることを選手たちに伝える役割を期待されていたと思います」

スピーチのネタ探しが大変だった

 広岡の指示で始めたというショートスピーチ。話すネタを仕入れるため、本や映画などさまざまなものからヒントを探していたという。

「毎試合前に話していたので、ネタがすぐになくなってしまうわけです。いろいろな本や新聞、週刊誌を読んだり、時には映画を観に行ったり、ひたすらネタを探していました。
野球選手にはあまり関係ない情報にも接していたと思いますが、そういったことも含めて勉強になりましたし、いいフレーズがあるとメモをしていました。やはり、チームメイトが興味を持ち、納得してもらえるような話をしたいですからね。

 日々の積み重ねによって、チームメイトが自分のことをリーダーとして認めてくれたような実感はあります。プロ1年目の時は根本陸夫監督でしたが、広岡さんや森さんの“管理野球”とは全然違い、選手の自主性に任せる傾向がありました。ただ、『チームがこんなにバラバラでいいのかな?』という思いもあったんです。『勝手にやってもいいよ』みたいなチームは組織が機能しませんし、管理されたチームのほう強いですから」

プロである以上、ある程度の管理は必要

 プロ1年目に体験した自由奔放な環境が、逆に管理野球の大切さを気づかせてくれた。

「そもそも幼い頃から野球をやっている人間は、ずっと縦社会で育ってきていますよね。監督や先輩が言うことには従わざるをえませんし、門限はあるわ、ルールを破れば鉄槌が下されるわ……いわば管理されてきたわけじゃないですか。

 そういった管理野球を実践したのが、川上哲治さんが率いたV9時代の読売ジャイアンツです。だからこそ、強くなったと思うんです。長嶋茂雄さんや王貞治さんというスーパースターがいたことも大きいですが、チーム全体が管理されていた。そりゃ朝方まで飲み食いして試合に出るよりも、ある程度の睡眠時間を確保して出たほうがよっぽどいいパフォーマンスができますよ。

 ただ、西武に入団して1年目は、選手の自主性に任せていたこともあって本当に自由でした。
『プロの世界はこういうものなのかな』と思ったり、どこかで『これで強くなるのか?』という思いもありました。今振り返ると、逆にそういう1年目を過ごしたことがいい経験でした」

デーブ大久保と清原に対して落とした雷

 チームリーダーとしての振る舞いや行動について聞くと、石毛は決まって『大したことはしていない』と謙遜するが、チームメイトの行動を常に俯瞰視していなければ、あれだけの実力者たちがそろったチームの方向性を正すことはできない。

「近年、デーブ(大久保博元)と話す機会があったんです。その時に『石毛さん、覚えていますか?』と。何のことかわからなったのですが、デーブが西武に在籍していた頃、どうやら私に怒られたことがあるようで、その時のことを話してきたんです。

 試合に負け、帰りのバスに乗っている時のこと。普通、負けると車内の雰囲気は重いというか、静まりかえっているわけです。ただ、その日はデーブとキヨ(清原和博)が後ろのほうでぺちゃくちゃ喋っていたんです。バスが宿舎に着き、前のほうに座っている監督やコーチらが降りた後、私がデーブとキヨの足をとめて、『お前ら、負けた時くらいは試合の反省をしろ』と叱ったようで……。記憶は定かではないのですが『石毛さんに言われたら仕方がないと、当時思っていました』とも言っていましたね。

 プロ野球選手は一人ひとりが個人事業主であり、いい大人ですから、言われたほうは『何を言っているんだ?』と思うこともあるかもしれませんが、私に言われたのであれば仕方がないと言ってくれていたので、チームリーダーというのはおこがましいけれど、一目置いてくれていたのかなという気はしますね」

 チームリーダーの形は、年齢を重ねるにつれて変化していった。

「自分が若い頃は、みんなの前で旗を振って『おい!こっちだぞ!』と先導しなきゃいけない意識もあったかもしれませんが、ベテランと呼ばれるような年齢になっていくと、前で引っ張るよりは後ろに立って、『おい!清原!ちょっと枠を出ているぞ。工藤はどこを向いているんだ?』みたいに、チーム全体を見渡すような感覚でやっていたと思います。
個性はあってしかるべきですし、『歩調はバラバラでもいいけど、同じ方向は見ておけよ』と。ある意味では、それが西武の強さだとも思っていました。球団の方針やチームの目標を見失うなよということです」

先輩・東尾と飲みながら野球談議

 選手個々と飲食を共にする機会はほとんどなかったという石毛だが、先輩の東尾修とはよく飲みに行き、野球談議に花を咲かせた。

「東尾さんは、自主性に任せた昔の野球を経験していましたし、広岡監督から始まった管理野球も経験している分、いろいろな意見を言ってくれました。それに対して、自分も『トンビさん(東尾の愛称)、それはわかります。でも、今はこうですよ』と言ったり、意見交換をしていました。野球以外の話をすることも多かったですが、結局野球やチームの話になっていくんです。

 そのほかの食事といえば、開幕前や遠征中に行う決起集会ですね。野手同士、投手同士で行くことが多く、野手陣は焼肉、投手陣は鍋に行ったりしていました。球団の予算で行うので、選手側から『(決起集会を)やってもいいですか?』とお伺いを立てて」

 西武黄金期の代名詞とも言えるのが“管理野球”。その中心にいて、長年に渡ってチームを牽引したのが石毛だが、キャプテンとして直面した壁はなかったと言う。

「あっけらかんとした自分の性格も多少は影響していたかもしれませんが、壁を感じるようなことはなかったんです。
チームリーダーだ、キャプテンだって言ったところで、現場の責任者は監督だと思っていますから。選手起用から采配、シーズンを通しての戦略から何まで、全てを指揮しているのが監督です。言葉を選ばずに言うと、選手は“駒”にすぎませんし、キャプテンは中間管理職みたいなものじゃないですか。自分がやっていたことなんて微々たるものです」

 石毛はそう話すが、首脳陣の考えを選手の中で唯一共有できる立場であり、チームが間違った方向へ行かないように常々目を光らせていた。チームリーダーの石毛なくして、西武の黄金期はなかったと言っても過言ではない。

<取材・文/浜田哲男>

【浜田哲男】
千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界を経て起業。「ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)」の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ・ニュース系メディアで連載企画・編集・取材・執筆に携わる。X(旧Twitter):@buhinton
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