山田五郎さんの訃報をめぐり、マナー問題が取り沙汰されています。7月22日の公式YouTubeチャンネルでの発表より前に、親交のあった関係者がSNSで訃報を表に出してしまう、いわゆるフライング投稿が続出したからです。

 当然これには批判の声が集まりました。“山田氏ほどの人物ならば遺族が関係各所に根回ししていて、公表するまでは皆が黙っているのが暗黙のルールであるはず。それを無視して一番乗りで世間に知らせたいと思うのは汚い承認欲求だ”という意見に、多くの共感が寄せられています。

 テレビ東京の篠原裕明記者も「公式な見解を待つのが適切」と見解を示し、立川志らく氏も先走って追悼文などを投稿した著名人について、「SNSを取り上げたほうがいい」と厳しく非難しました。

著名人の訃報は「SNS追悼合戦」に

「SNSを取り上げろ」なぜ山田五郎氏の訃報で“フライング追悼...の画像はこちら >>
 山田氏に限らず、著名人が亡くなるとSNS上では我先にと追悼合戦になるのは見慣れた光景です。そのたびに、マナー違反だとか承認欲求の暴走だとかと指摘されてきました。

 もちろん、こうした行為は悪意によるものではありません。本当にショックで、思いがあふれて先走ってしまった可能性だって十分に考えられるからです。そうした事情を汲んで、これまでは訃報の扱いについて明確に明文化してこなかった経緯があります。

 しかしながら、山田五郎氏へのフライング追悼への大きな反響は、この潮目を変えることになるのかもしれません。そこで、海外の先行事例から考えてみたいと思います。

海外に学ぶ「死者の尊厳」の守り方

 2020年、バスケットボールのスーパースター、コービー・ブライアントがヘリコプター事故で亡くなったケースです。この時、アメリカのゴシップメディア『TMZ』は、警察が家族に正式に報告する前に、ブライアントの死亡をスクープしてしまったことが、大変な問題となりました。ロサンゼルス市警が『TMZ』の行動を、「まったく不適切で無神経だ」と断じたことで、世界中から猛批判を受けることとなったのです。


 そして、これが行政を動かすきっかけとなりました。2020年9月にカリフォルニア州は「コービー・ブライアント法」なる法律を制定したのです。これは、警察官や消防士など、事件や事故の現場で対応する人間が犠牲者の遺体写真などを無断で撮影したりSNSで共有したりすることなどを禁じるものです。

 これは、現場の人間がSNSでの拡散や個人的な関心のために死者の尊厳を踏みにじる行為を防ぐための、行政側の明確な歯止めとして機能しています。山田氏のケースとは多少事情は異なりますが、「死者をSNS上のコンテンツとして扱わない」という発想には共通点があります。

ファクトすら危ぶまれる「フライング報道」

 そして、公式発表より前に追悼をするということは、そもそもファクトに対する疑問が生じます。たとえばエリザベス女王の動静についてタブロイド系メディアやインフルエンサーが思わせぶりな投稿を繰り返してきたことが問題となりました。

 また、ロックミュージシャンのトム・ペティが危篤状態に陥った際にも、CBSニュースなどのメディアが、まだ存命であったにもかかわらずフライングで死亡報道を流したことで批判を集めたこともありました。

 これは、その人物の生死に価値がある、もっといえばカネになるという身も蓋もない現実をあらわしているとも言えるのですが……。

「自覚」が線引きになる

 このように、今回の山田五郎氏と海外の事例に共通することは、程度の差こそあれ、著名人の死は無惨にも消費される、ということです。

 これはどれだけ慎重に慎重を期して、公式発表まで待ち、遺族に配慮して慎ましやかに振る舞ったとしても、SNSなどで追悼文を記したり、故人との思い出の写真をアップしたりする行為は、究極的には死者を消費していることに他ならないからです。

 では、ぬけぬけとフライング投稿をした人たちと、公式発表まで待って追悼をした人たちとの違いはどこにあるのかと言えば、自らの行為が死者を消費している自覚があるかどうか、という点なのではないでしょうか。

 だとすれば、そうした内心の自覚は、法律によってコントロールすべきものではなく、結局は自らの尊厳に、どのような誓いを立てるかという生き方の問題に帰結するのでしょう。


文/石黒隆之

【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。X: @TakayukiIshigu4
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