―[連載『孤独のファイナル弁当』]―

『孤独のグルメ』原作者で、弁当大好きな久住昌之が「人生最後に食べたい弁当」を追い求めるグルメエッセイ。今回『孤独のファイナル弁当』として取り上げるのは「ドトールのレタスドッグ」。
果たして、お味はいかに?

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孤独のファイナル弁当 vol.41「ドトールのレタスドッグを一本」

 今日の仕事場弁当は、ドトールのレタスドッグ一本とアイスカフェラテ。

 昔は「高原レタスドッグ」という名前だった。いつの間にか高原がなくなっている。レタスが平地レタスになったのか。

 でも高原レタスドッグ、好きだった。大好きで食べる、というより小腹がすいた時、この一本がちょうどよかった。

 昔は、そう20年ぐらい前かな、原稿はファックスとか、そろそろメールでも送ったけど、小さい文章に添えるイラストは少なくとも原画を渡していた。

 それは駅前の喫茶店で渡すことが多くて、そのついでに打ち合わせ雑談をした。

 その帰りにドトールで高原レタスドッグを一本買って帰り、仕事場で食べた。「よし、夕飯までもうひとがんばり」という感じか。そういう時のレタスドッグはささやかな楽しみだった。

 その習慣というか記憶というか思い出というかで、「高原」がとれて久しい今も時々買う。


 そして食べるたびに「パンが小さくなったな」「細くなったな」「前はパンがもっとみっちりとした噛み心地だったな」と思う。

 包みから出して食べようとすると、パンからソーセージがすっぽ抜けやすい。指で押さえてやらないと、パンから出てしまう。最初、バイトの店員の子が下手くそなんだと思った。だけど、誰が挟んでも抜けやすい。抜けるとマスタードが一緒にこぼれ落ちたりして、やっかいだ。

 パンが細くて、ソーセージを挟む切れ目が浅いのだ。だからレタスのはみ出し方も、以前のように美しくない。昔はレタスの葉のギザギザが美しくソーセージを挟んでいた。やはりレタスも違う。

 ソーセージももう少し太く、パンからはみ出して長かった。気のせいではない。


 今は別に「レタスロングドッグ」という別メニューがある。それは今のボクには長すぎる。それなりに高いし。

 全ての原価が高くなっているから、しかたないと思う。レタスドッグ、今370円。この値段にするにはしかたないのかもしれない。

 だから「昔のほうがおいしかった」とは言わない。ぶつぶつ言いつつ今もおいしい。

 ボクは昔の思い出を調味料にして、レタスドッグをおいしく食べている。安い小さなエッセイやイラストをたくさん書いて忙しかった時代を支えてくれたレタスドッグが、今も安い値段であることをありがたいと思って食べている。

 そういう食べ物が日常にひとつふたつあってもいいと思うんだよね。

 その頃の気持ちを忘れず、どんな小さな仕事も、仕事があることに感謝して丁寧にこなそうと思います。
ありがとうレタスドッグ。これからもよろしく。

「昔より小さくなった?」『孤独のグルメ』原作者が、それでもドトールのレタスドッグを食べ続けるワケ/久住昌之
よく食べていた40代半ばの頃から、パンもソーセージも替わって、いつの間にか商品名から「高原」もなくなったけれど、今も変わらずお手頃なドトールの「レタスドッグ」


―[連載『孤独のファイナル弁当』]―

【久住昌之】
1958年、東京都出身。漫画家・音楽家。代表作に『孤独のグルメ』(作画・谷口ジロー)、『花のズボラ飯』(作画・水沢悦子)など。Xアカウント:@qusumi
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