◆第108回全国高校野球選手権大会第4日 ▽1回戦 青森山田6-5遊学館(8日・甲子園

 名前は「雄星」。そして、左投手なのである。

 野球記者である以上、聞かねばなるまい。

 「お名前の由来は?」

 「菊池雄星さんです」

 青森山田の背番号13、2年生サウスポーの船橋雄星が4回途中から2番手でリリーフ。甲子園デビューした。5、6回はそれぞれ3人で終えたが、7回には1死から四球を与え、エースの川久保昂直(3年)にバトンを託した。

 2回2/3を無安打2四死球、1失点。「自分が出したランナーで失点につながってしまったんで。50点です。7回をしっかり3人で切っていたら、チームもいい流れになっていたと思うんで。7回はダメだったんで」。自分に厳しい談話が、メジャーリーグで奮闘する35歳と重なった。

 船橋雄星の誕生日は2009年10月2日だ。その年、隣県の岩手・花巻東のエース左腕だった菊池はセンバツ準優勝の原動力となり、夏は岩手県勢90年ぶりとなる甲子園ベスト4入り。

気持ちで投げる姿は、多くの人々の胸を打った。

 ドラフト1位候補として、日米が激しい争奪戦を繰り広げている秋、船橋はこの世に生を受けた。

 高校野球大好き人間の父・祐人さんは「菊池雄星さんのようになってほしい」との願いを込め、「雄星」と命名。そんな赤ちゃんは偶然にも左利きで、野球を始めて投手を志し、甲子園のマウンドに立ってしまうのだから、人生は面白い。

 船橋にとっても菊池は憧れの存在だ。「左ピッチャー、カッコいいんで。左ピッチャーで良かったなと思います。菊池投手の甲子園の映像、結構見ました。自分も菊池投手みたいに、甲子園で抑えたいなって」

 “雄星愛”は本物だった。中3の冬には菊池が母校・花巻東に隣接する場所で自らプロデュースした、世界最先端の機器を備えた屋内複合野球施設「King of the Hill」(KOH)を、仲間と一緒に訪れた。

 「最新の機器もすごくて、施設内にはメジャーリーガーのユニホームとかサインボールが、いっぱいあって」

 瞳を輝かせ、言った。

 10代だった頃の菊池雄星が、かつてこんな話をしてくれたことがある。

 「松井秀喜さんみたいな強打者になりたいなって、野球を始めたんです。同じ左打者でしたから。フォームもまねて、親に頼んで巨人のファンクラブに入会して。タオル、サインボール、下敷き…部屋中が『55』であふれていたんですよ」

 世代から世代へ、憧れは連鎖する。(編集委員・加藤 弘士)

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