石川祐希のAttack The World vol. 18

(連載17:石川祐希が語る代表チームの変化 9月のアジア選手権は「五輪の出場権を取ることが絶対条件」>>)

 石川祐希は2025-26シーズン、スター選手がそろうイタリア・セリエAの"銀河系軍団"ペルージャの一員として、リーグ、世界クラブ選手権、スーペルコッパ、欧州チャンピオンズリーグの4冠を達成。ただ個人としては、出場機会が限られるなど満足のいくものではなかった。

そのなかで己を高めようともがいた石川は、ペルージャでの2年目をどのように過ごしたのか。

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【出場機会が限られたシーズン】

――ペルージャ2年目の大きなトピックとして、まずは昨年12月に世界クラブ選手権を制したことが挙げられると思います。石川選手が掲げていた目標のひとつですが、どんな経験になりましたか?

「決勝トーナメントに進んでからは出場機会があまりなかったので、なんとも言えないところもありますが、準決勝ではブラジルのヴォレイ・レナタが思っていたよりもあっさり崩れたので有利に進められましたね。決勝の相手は日本の大阪ブルテオンでしたから、出場機会はありませんでしたが楽しかったです。予選ラウンドではフルセットにもつれての勝利だったので、決勝ではみんな気を引き締めていました」

――日本代表、クラブを通して、初めて「世界一」というタイトルを手にしました。

「うれしい気持ちはありますけど、そこまで思い入れがあるかと言われると、決してそうではありません。それはやはり、試合にあまり出られなかったことが大きな要因だと思います。もちろん価値はありますが、タイトルを獲ったという実感はあまりないですね」

――世界クラブ選手権を終え、イタリアに戻ってからも限られた出場機会で役割を果たしていました。どのようなことを考えながら試合に臨んでいましたか?

「シーズン前半は調子もパフォーマンスもかなりよかったのが、世界クラブ選手権の前に少しケガをして、そこから出場機会が減りました。膝を軽く痛めて2、3日練習しなかっただけなんですけど、治ってからもあまり試合に出られませんでしたね。ケガが原因なのか、それ以外が原因なのかは、正直なところわかりません。

 イタリアのリーグに戻って、欧州チャンピオンズリーグ(CL)などで試合に出る機会はありましたけど、満足いくプレーができなかったり、監督にいきなり代えられたりすることもありました。少し納得のいかない交代もありましたね。

そういう期間を経て、再びリーグ戦で先発した(2月1日の)パドバ戦でケガをしてしまった。ツイていなかった、という言い方はよくないかもしれませんが、うまくいかないことが重なったのかなと思います」

――今まであまり経験することがなかった立場となりましたが、メンタルやモチベーションはどのように保っていましたか?

「とにかく試合に出たらしっかりプレーすることに集中しました。出番が少なくても、自分がもっとうまくなるため、成長するために練習していましたね」

――もともと慕っていた監督だったと思うのですが、監督の考えに変化があったのでしょうか?

「正直、わかりません。僕は常に自分のプレーをよくするために練習をしていましたし、試合でも自分のパフォーマンスを出しきることだけを考えていました」

【イタリアで得た学びと発見】

――そういう時期を経験したあとで、スタメンで出場したパドバ戦で膝を痛めてしまったわけですね。

「レセプションの時に膝をひねってしまいました。出番をもらえたので、『しっかりやりたい』と思ってプレーしていたら序盤にやってしまったので、残念でした。ケガをした時は復帰までそんなに長くかかると思っていなかったのですが、予想よりも時間がかかってしまって。『疲れていたのかもしれないな』と、まずはしっかり治すことに専念しました」

――イタリアで長く離脱してしまう経験も、これまではなかったと思います。

「そうですね。僕自身は『時間をかけてでもしっかり治したい』と思っていました。ただ、チームはなるべく早く復帰させたいので、動き出しが少し早すぎて、余計に時間がかかってしまった。そういう難しさはありました」

――ケガから復帰し、リーグを制してCLも優勝。

チームとしての大きな目標を達成しました。しかし、そこに自分が主体的に関われていないという、もどかしさを感じましたか?

「もどかしさはあまりなかったです。ケガをしてしまったので割りきれましたし、『試合に出たいな』と思うくらいでした。ケガをしていないのに出られない時のほうがもどかしかったですね。ケガは全治2カ月くらいでイメージしていたので、絶対にスタートからの出場はないし、途中からでも出られるかわからない。なので、逆にケガの治療に専念できました」

――2年間過ごしたペルージャを離れてトルコでプレーする決断をしましたが、イタリアのトップチームでプレーを振り返っていかがですか?

「イタリアで初めてタイトルを獲れましたし、さまざまな学びがありました。充実というよりも、学びや発見があった2年間だったと思います」

――学びや発見とは、具体的にどんなものですか?

「選手たちの考え方、練習の方法や態度、監督についてもそうです。環境に関しても、決してすごくいい環境というわけではないんですよ。日本と比べると、日本のほうが設備もそろっていて、体育館もきれいで空調がきいている。それでもイタリアが強いのは、やはり選手の力なんだなと感じました。

 ペルージャはここ数年、選手が大きく変わっていないので、自分も徐々に成長できたんじゃないかなと思っています。メインとなる選手が、セッターのシモーネ・ジャネッリ選手、リベロのマッシモ・コラチ選手、アウトサイドヒッターのカミル・セメニュク選手とオレフ・プロトニツキ選手、オポジットのワシム・ベンタラ選手と確立されていましたからね。

僕がチームに入る1年前に監督が変わって、先ほど挙げた選手たちと一緒にやっていくなかでコンビも合ってきていると感じました。その経験は、かなり大きなものになったと思います」

(連載19:初のトルコリーグ挑戦に「自分が求める何かがきっとある」 30歳から思い描くキャリアの"第二章">>)

【プロフィール】

◆石川祐希(いしかわ・ゆうき)

1995年12月11日生まれ、愛知県出身。トルコ1部リーグのジラート・バンク・アンカラ所属。星城高校時代に2年連続で三冠(インターハイ・国体・春高バレー)を達成。2014年、中央大学1年時に日本代表に選出され、同年9月に代表デビューを飾った。大学在学中から短期派遣でセリエAでもプレーし、卒業後の2018-2019シーズンから昨シーズンまでプロ選手として同リーグで活躍。2021年には日本代表のキャプテンとして東京五輪に出場し、29年ぶりに決勝トーナメントに進出。2024年のパリ五輪でもキャプテンとしてチームをベスト8に導いた。

柄谷雅紀●取材・文 text by masaki karaya

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