【トップアスリートの夏合宿】
松島幸太朗(桐蔭学園)インタビュー@後編

◆松島幸太朗・前編>>菅平の夜は「藤原先生が怖くて」羽目を外せなかった

 ラグビーワールドカップに3大会連続で出場し、日本ラグビー史にその名を刻んできた松島幸太朗。日本代表55キャップを誇る世界的なWTB(ウイング)、FB(フルバック)だ。

 中学1年生でラグビーを始めた松島にとって、本格的なラグビーキャリアの原点であり、礎(いしずえ)となっているのが、インタビュー前編でも触れた名門・桐蔭学園高校(神奈川県)での3年間だ。

日本代表55キャップの松島幸太朗が「海外」を知った夏合宿 「...の画像はこちら >>
 ラグビーの夏合宿といえば菅平高原(長野県上田市)がよく知られるとおり、桐蔭学園ラグビー部も毎年菅平で合宿を行なってきた。それに加えて、同じく夏休みの時期に2年に1度、オーストラリア遠征を敢行していた。松島は1年時と3年時にこの遠征に参加し、ラグビー先進国オーストラリアならではの楕円球哲学やエッセンスを学んできたという。

 入学当初は「なんとなくラグビーをしていた」と述懐する高校1年生当時の松島にとって、オーストラリアでの初めての夏合宿──現地の季節に合わせて表現すれば「冬合宿」となるが、それは新鮮かつ魅力的な経験だった。

「特に初めて行った1年の時のオーストラリア遠征は、まったく違うラグビー文化に触れたことで、新たな刺激を受けました。2回目(3年時)は初めての遠征よりも余裕を持って学ぶことができました。

 現地のチームや高校生と一緒に練習したり、よく試合をしていました。練習にはおそらくオーストラリア流のラグビーが取り入れられていたのかなと思います。ハードな練習も何回かありましたが、それ以上にオーストラリアのラグビーや文化から学んだことのほうが大きかったです。楽しかったですね。

 高校生の年代では、現地の選手と比べてもそこまで体格差がなかったので、試合でもサイズは気にならなかったです。

ラグビーのレベルもそこまで差はなかったと思います。ただ、オフロード(オフロードパス。タックルを受けながら行うパス)は当時の日本ではそこまで浸透していなかったので『こういうプレーもあるのか』と知りました。桐蔭は展開のチームなので、本当にいい学びになりました」

【ワラビーズの選手だけは知っていた】

 遠征先はラグビーが盛んなブリスベン(クイーンズランド州の州都)。南半球リーグのスーパーラグビーの名門・レッズの本拠地であり、オーストラリア代表選手も数多く輩出していたことから、松島もレッズやワラビーズ、その所属選手に親近感を抱くようになった。

「プレーそのものというよりも、ワラビーズ(オーストラリア代表の愛称)とそのラグビーがより身近になりましたし、かっこいいなと思うようになりました。ワラビーズは今でも強いですが、当時は特に強い時代でしたからね。レッズも強いですし、どの選手もスター性がありました。

 当時の僕は日本のラグビー選手のことをまったく知らなかったのですが、ワラビーズの選手のことだけは知っていました。特にウィル・ゲニアとクウェイド・クーパー(ともに元オーストラリア代表。レッズや花園近鉄ライナーズでもハーフ団を組んでいた)は好きでしたね。彼らとはのちに対戦することができたので、その時はすごくうれしかったです。また会う機会があれば、当時のことを話してみたいですね」

 こうしてオーストラリアのラグビーを経験したことが、3年時の花園(全国高校ラグビー大会)につながったのだろうか。

「正直それはわかりませんが、いい経験にはなりました。海外の文化に触れること自体がすごく新鮮だったので、当時の僕たちにとって本当に貴重な体験だったと思います。オーストラリアの選手のようなプレーをしたいと考えるようになったチームメイトもいたかもしれないですし、そんなインスピレーションを受けるような、またとない機会になりました。

 そういう経験ができない学校もあると思うので、僕らがオーストラリア遠征を経験できたのは本当にラッキーでしたし、自分の人生においても早いうちにそれを経験できてよかったと思っています」

【桐蔭の3年間がなかったら......】

 東福岡との両校優勝による花園初制覇を花道に、桐蔭学園を卒業した松島だが、「このまま高いレベルでラグビーを続けていく」と強く決意していたわけではなかったという。だが、こうした海外でのラグビー経験も、その後のトップ選手への歩みにつながっていく。

「在学中はまったく考えていませんでした。高校日本代表にも選ばれましたが、あくまでもその年代の代表カテゴリーでやっているという感覚で、そこまで意識していなかったです。

 その後、U20南アフリカ代表候補になったころから『日本代表にもなれるかもしれない』と周りから言われるようになり、プロ選手や代表になることを意識し始めました。(キャリアについて)より深く考えるようになったと思います」

 多くの日本の選手が歩んできた大学ラグビー界に進まなかった松島は、高校卒業後に生まれ故郷・南アフリカのシャークス・アカデミーで腕を磨き、2013年にサントリーサンゴリアス(現・東京サントリーサンゴリアス)へ加入し、2014年には日本代表デビューを果たす。

 さらに憧れだったオーストラリアのスーパーラグビーチームであるメルボルン・レベルズや、日本のサンウルブズでもプレーし、フランスが誇る世界的リーグ・TOP14のASMクレルモン・オーヴェルニュでも出色の活躍を見せた。

 もちろん、日本代表としても世界各地を転戦し、ラグビーワールドカップでは見事なランで次々と強豪を撃破。瞬く間に世界へと羽ばたいていった。

 そんな輝かしいキャリアと、オーストラリアでの合宿を含む桐蔭学園での3年間は、間違いなく密接に結びついているはずだ。

「もし桐蔭の3年間がなかったら、『海外に行く』という選択肢もたぶんなかったでしょうし、こういう人生にはなっていないと思います」

【4度目のワールドカップ出場は?】

 ラグビーワールドカップの直近3大会に連続出場している松島は、現時点では日本代表のメンバーに名を連ねていない。松島は最後に代表への思いを口にして、インタビューを締めくくった。

「(代表復帰は)自分次第ですね。自分次第で状況は変わると思っていますので、そのためにも自分らしいプレーにこだわってやっていきます。その先にチャンスがあれば、迷わず狙っていきたいです」

 桐蔭学園時代にそのラグビースタイルの虜(とりこ)になったオーストラリアの地で、2027年10月1日から第11回ラグビーワールドカップが開催される。松島が自身4度目のワールドカップ出場を目指すことは、貴重な「夏合宿」への原点回帰であり、輝かしいラグビーキャリアの集大成を世界に示す、新たな旅の始まりでもある。

 あらためて世界での躍動を誓う松島幸太朗のプレーやメンタリティには、おそらく桐蔭学園でしか得られなかった経験の数々が今なお生き続けている。

(了/文中敬称略)


【profile】
松島幸太朗(まつしま・こうたろう)
1993年2月26日生まれ、南アフリカ共和国プレトリア出身。身長177cm、体重87kg。ポジション=フルバック、ウイング。13歳でラグビーを始め、桐蔭学園高(神奈川)では全国高校ラグビーで準優勝と両校優勝を経験。卒業後は南アフリカのシャークス・アカデミーで腕を磨き、2014年に日本代表デビュー。

通算55キャップ。2015年、2019年、2023年のワールドカップに3大会連続出場。2019年大会のロシア戦ではワールドカップにおける日本代表選手初のハットトリックを達成し、初のベスト8進出に貢献。2017-18シーズンのトップリーグMVP。フランス1部のASMクレルモン・オーヴェルニュでも2季プレーし、2022年に東京サントリーサンゴリアスへ復帰。

齋藤龍太郎●取材・文 text by Ryutaro Saito

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