名将たちの人心掌握術(1)
ルイス・デ・ラ・フエンテ

 監督がチームを勝利に導く時、何らかの梃子(てこ)を使っている。言葉の使い方か、激励するタイミングか、発想の転換か。

その知性や求心力やパーソナリティで選手を統率し、決断するわけだが、勝ち続けることは簡単ではない。

 それは上司と部下、先生と生徒など、一般社会の関係にも当てはまるかもしれない。リーダーは絶えず起こる人間関係の問題に対峙し、解決することで結果を出していく。

 名将たちの本質に迫り、そのリーダーシップについて解き明かしていきたい。

 2026年北中米ワールドカップで、ルイス・デ・ラ・フエンテ監督はスペイン代表を率いて世界王者に輝いている。見方によっては、彼こそが世界最高の名将と言える。ワールドカップでの優勝は特別だ。

 もっとも、デ・ラ・フエンテ監督を知る人が日本人でどれだけいるだろうか。実はスペイン国内でも、他のスペイン人監督たちと比べて知名度は低い。実像を語れる人は少ないだろう。

スペインをワールドカップ優勝に導いた指揮官の「調整力」 新連...の画像はこちら >>
 デ・ラ・フエンテは1980年代から90年代にかけて、アスレティック・ビルバオやセビージャなどで左サイドバックとして活躍している。堅実にサイドにふたをし、チームのために働くタイプだった。
スペインA代表歴はない。アスレティックはバスク純血主義で、民族としてバスク人のルーツを持つか、アスレティックの下部組織「レサマ」でユース年代を過ごした選手だけで構成された"バスク純血主義"で有名なクラブだが、彼もそのひとりだった。

「質実剛健」「共闘精神」

 バスクの選手たちは、そのふたつのフレーズに象徴されるタイプが多い。限られた戦力で、一丸となって戦う。デ・ラ・フエンテ監督も、その精神の持ち主だった。

 その人柄は、日本の森保一監督とも似ているかもしれない。真面目で謙虚に映る一方、華やかさや派手さがない。失礼を承知で言えば、話も面白味を欠く。

 では、なぜデ・ラ・フエンテはワールドカップ優勝監督として一線を画したのか――。

【選手を型にはめない】

 1994年に引退後、デ・ラ・フエンテは97年から指導者としてのキャリアをスタートさせたが、道のりは地味だった。スペインのリーグ構造では4部に相当するリーグで3シーズン、地道に経験を重ねた。その後、3部のチームを1シーズン指揮している。

 転機はセビージャのユースを率いたことだった。

セルヒオ・ラモス、ヘスス・ナバスなどとの共闘で、監督として覚醒した。その後はアスレティックに戻り、セカンドチームを率いて2シーズン、若手の指導で評価を高めた結果、スペインのアンダー代表の監督を任されることになった。

 デ・ラ・フエンテはU―19、U―21で結果を出し、2021年東京五輪では準優勝を果たした。ユース年代をともに戦ってきたマルク・ククレジャ、ペドリ、ダニ・オルモ、ミケル・オヤルサバルなどとともにフル代表でも共闘し、ワールドカップ王者になった。若く才能のある選手たちによって引き上げられたとも言えるし、逆に彼が若く才能のある選手を引き上げた、とも言える。

 デ・ラ・フエンテは教育者のような風貌だが、戦術を押しつける監督ではない。むしろ共同作業を好む。スペイン代表番記者のひとりは「デ・ラ・フエンテは選手を型にはめない。選手が型を作るように促す」と評価する。アクの強さがないことで、選手からの信望も厚い。クラブで活躍した選手は年齢や代表歴にかかわらず招集し、チームのダイナミズムを高めてきたからだ。

 そのマネジメントの土台は「調整力」と言うべきか。

チームがうまくいくための戦略、戦術を選択。そのためには若手の積極的な抜擢だけでなく、EURO2024で優勝した際には、前年に32歳で初代表入りしたホセルを選ぶなど、年齢にもキャップ数にも囚われていない。直近のプレーを軽んじることなく、その勢いを惜しみなくチームに取り込んでいった。

 デ・ラ・フエンテ自身は、無色透明にすら映る。しかし、代表という組織を色づけするのは、選手であることを認識していたのだろう。誰が戦力になるかどうかを突き詰め、その序列を重んじたからこそ、選手も納得してプレーしたのだ。

【コンセプトに忠実に】

 ひるがえって、森保監督の選考には彼自身の「石橋を叩いて渡る」性格が強く出た。これまで大迫勇也、鈴木優磨、守田英正など、どのような理由があったのか不明だが、選んでもおかしくない選手を選ばなかった(もしくは選手に拒否されて選べなかった)。その一方で、盛りの過ぎた長友佑都のような選手を「精神性」に期待して選ぶなど、序列がチグハグだった。そこが違っていた。

 デ・ラ・フエンテの選考で特筆すべきは、レアル・マドリードの選手をひとりも選ばなかった点だろう(ククレジャは2026-27シーズンからレアル・マドリードに所属)。スペインは複合民族国家で、マドリードのメディアの力が大きく、その要求をはねのけるのは簡単ではない。

しかし、マドリードメディアの最後の砦だったダニエル・カルバハルもバッサリと切ったのだ。

「まずは自分たちのプレーコンセプトに忠実であるべきです」

 デ・ラ・フエンテはスペイン紙『エル・コレオ』のなかで、そう説明している。

「(ボールを大事にする、ソリッドな)コンセプトに忠実であることで、チームは調整が可能になるでしょう。立ち戻るべき場所ができるからです。コンセプトに忠実にやり抜こうとするからこそ、そこからの応用で発展、進化させられて、ほんのわずかでも積み上がっていく。そうしたひとつひとつで、チームが強固になるでしょう。揺るぎないプレーモデルがあることで、選手は"もっとよくできる"と信じられるのです」

 デ・ラ・フエンテ監督自身が選手のポテンシャルを信じられるからこそ、そのロジックは成立した。

 北中米ワールドカップでは、リスクを負ってもボールプレーを徹底し、活路を開くことができた。

 たとえばセンターバックのパウ・クバルシ、エメリク・ラポルトのふたりは常に積極的な姿勢を保ち、決して守りに入っていない。ビルドアップだけでなく、クバルシは決勝でも果敢にロングシュートを打っていた。ロドリ、ペドリ、ダニ・オルモで中盤を分厚くし、テンポを作ることに成功。彼らだけでなく、代わって入ったファビアン・ルイス、ミケル・メリーノが攻撃力を高めた。

アレックス・バエナ、オヤルサバルもポジションを変えながら流動性を生み出し、常に主導権を握った。

「自分は運を信じません」

 デ・ラ・フエンテ監督はスペイン版『エスクァイア』のなかで語っているが、リアリストであることが強みなのだろう。

「もちろん、人生のなかで病気やケガや事故で運を考えることはあるでしょう。しかし、試合に勝つかどうかは、いい仕事をしてきたかどうかで、運ではありません。どんな仕事をして、その身を捧げ、トレーニングしてきたか。情報を収集し、状況を制御することで、プレーを予測し、対応もできるのです。そこを運で考えてしまう時点で負けでしょう」

 デ・ラ・フエンテに、ジョゼ・モウリーニョやジョゼップ・グアルディオラのようなフォトジェニックな"名将感"はない。しかし国を背負う代表監督は、地味さがチームを堅牢にするところもある。2010年南アフリカワールドカップでスペインが世界王者になった時も、ビセンテ・デル・ボスケ監督は派手さがない、重厚な人物像だった。

「大事なのはチーム。そのスタンスだけは変わりません」

 デ・ラ・フエンテは言う。当たり前で、つまらない。

しかしワールドカップ優勝監督の言葉だと思うと、重みも感じられるから不思議だ。

ルイス・デ・ラ・フエンテ
1961年、スペイン、ラ・リオハ州生まれ。現役時代はアスレティック・ビルバオ、セビージャなどでプレー。1994年に引退後、指導者の道へ。2013年、スペインU-19代表監督に就任。U-21代表監督、東京五輪監督を経て、2022年、スペイン代表監督に就任。

小宮良之●文 text by Yoshiyuki Komiya

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