お笑い番組に「女性MC」は必要なのか? 松岡茉優・上戸彩の “何も残らないコメント”の意外な大切さ
お笑い番組に「女性MC」は必要なのか? 松岡茉優・上戸彩の “何も残らないコメント”の意外な大切さ

テレビはまだまだトガっている。心に“刺さった”番組を語るリレー連載「今週のトガりテレビ」。

今回は、テレビウォッチャーの飲用てれびが、二つのお笑い特番を通して、テレビが演者に求める“役割”と、そこからにじみ出る個性について考える。

柳沢慎吾が披露する「昭和のノリ」

「もう1回やるんですか?」

SixTONES京本大我はそうツッコんだ。8月1日の『ウンナンの気分は上々。夏』(TBS系)での一場面である。この日は、南原清隆ウッチャンナンチャン)と柳沢慎吾、そして京本が伊豆を車で旅する様子が放送されていた。

冒頭の疑問は、車内にラジカセを持ち込んで『かもめが翔んだ日』や『ジンギスカン』を流し、一緒に踊るよう何度も求める柳沢に投げかけられたものだ。

京本は柳沢の要求に応え続けていた。柳沢が持つハンディカメラに向け、柳沢が振り付けた謎の動きを繰り返していた。画面には「空気を読んでノリノリの大我」とテロップが入り、VTRを見るYOUが「偉いねぇ」と声を漏らしていた。

同番組のルーツは、1996年から2003年までレギュラー放送されていた『ウンナンの気分は上々。』だ。旅ロケが多い番組だったが、なかでも南原と柳沢の旅は「シンチャンナンチャン旅」として人気企画となっていた。

今回はその15年ぶりの再演である。

なお、かつては京本大我の父、京本政樹が一緒に南原らと旅をすることもあった。

当時から、柳沢は旅の途中で『かもめが翔んだ日』や『ジンギスカン』といった昭和の曲を流し、独特な振り付けで踊っていた。今回も放送されていた「南原を寝かさない柳沢」も昔からのノリだ。延々と繰り返される15年越しの時間。柳沢の辞書に「徒労」の文字はない。

番組では、この柳沢の悪魔的なしつこさを「昭和のノリ」として扱っていた。ただ、それが本当に昭和のノリだったかと言われると、当然そうではない。これは「柳沢のノリ」である。

あえて昭和という言葉を使うなら、これは柳沢のキャラクターと番組の編集で濾過された「安全な昭和」である。言うならば、昔の下町を再現したラーメン博物館的な昭和。ハラスメント要素を省いた昭和を疑似体験できるキッザニアと言ってもいい。そこには暴力はないが、柳沢がいる。

ただ、果たして柳沢は「昭和」という枠組みで安全に処理しきれるような存在なのだろうか。VTRを見終えた内村光良(ウッチャンナンチャン)が「30代とあんまり変わってないね、60代が」と柳沢を評し、こう続けた。

「だからこのままいくと、90代でもおんなじことやってる」

結局のところ、柳沢慎吾は「昭和」をやっているのではなく、ずっと柳沢慎吾をやっている。それが何よりおもしろいし、それが底知れずおそろしい。

同じく1日、フジテレビ系列では「ENGEI8 笑いの夏祭り」と銘打ったプログラムが放送されていた。

「わかるーって感じでしたね」ネタ終わりの自然すぎるコメントが話題に

『ツギクル芸人グランプリ』『爆笑レッドカーペット』『ENGEIグランドスラム』という3つの番組からなる、7時間超えの生放送である。フジテレビ×生放送×長時間といえば、毎年夏に恒例だった『27時間テレビ』だが、今回はその代替という位置づけなのかもしれない。

3つの番組はいずれもネタ番組だ。そして、芸人たちのネタは基本的におもしろかったのだが、ここでは別のところに注目したい。『ENGEIグランドスラム』の松岡茉優のMCである。その徹底して「番組の進行に何も負荷をかけない」立ち回りがすごかった。

ネタ後のコメントを並べてみよう。

ハライチの漫才に「引き込まれましたね」。

見取り図のネットニュースを題材にした漫才に、同じ芸能人として「わかるーって感じでしたね」。レインボーの、ナンパ師と女性の間に子どもが産まれて終わったコントに、「お似合いだなと思ってたので、子宝に恵まれて良かったと思います」。

そして、南海キャンディーズの悪口と暴力を織り交ぜた漫才に、「すごい悪口と暴力でしたね」などなど。

何も引っかかりをつくらない。MCのナインティナイン矢部浩之岡村隆史)の横で、何か言葉で印象を残すのではなく、「笑っている=おもしろい」というサインを送り続ける。そんな立ち回りは、ネタを披露する芸人たちを主役として立て、邪魔をしないためでもあるだろう。ある意味で自然体。が、あえて言えば、何も残らないコメントの数々でもあった。

いや、松岡だけではない。『M-1グランプリ』(テレビ朝日系)の上戸彩も、毎年のようにそのコメントが「適当すぎてすごい」と一部で話題になっていたりする。

要は、「男性芸人MCの横に立つ女性俳優MC」に求められている役割が曖昧なのだと思う。もちろん職能として、芸人と同様のおもしろいコメントが求められているわけではないが、ではネタ後の芸人に積極的に絡みに行くような立ち回りをするかというと、そういう余白が彼女たちに割り振られているわけでもない。

「女性俳優MC」の番組での役割とは

であれば「アシスタント」でもいいと思うのだが、そこに「区別」をつけるのはよくないということだろうか。一応肩書は「MC」になっている。

さらに言えば、番組の「華」とは明示されないが、実際には「華」としての立ち回りも求められる。結局のところ、ネタ中の笑顔がカメラに抜かれる他は、アナウンサー的な進行がメインの仕事となる。

その構造上の中途半端さ、曖昧さが、「男性芸人MCの横に立つ女性俳優MC」たちの当たり障りのない虚無を感じさせるコメントにつながっている気がする。ある意味、彼女たちの職能として、そのポジションを演じているようにすら見える。それにより、その立ち位置の虚無さがより際立っているように見える。

そんななか、松岡の言動で印象的だったのは笑い方だ。随所で聞こえる「アハハ」と「ガハハ」の中間的な笑い声。若い女性に求められるような高くて軽い笑い声ではない。かといって、その場を掌握する『オールスター感謝祭』(TBS系)で存在感を示す島崎和歌子的な「ガハハ」という笑い声でもない。

「かわいく笑う」ことからの逸脱のようで、完全にそこから逸脱しきっているわけでもない。

その玉虫色の笑い声が、「男性芸人MCの横に立つ女性俳優MC」の立ち位置を体現しているように聞こえた。

文/飲用てれび

 

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