こうした中、英国では2025年3月に「オンライン・セーフティ法」が施行され、同4月には世界経済フォーラム(WEF)が「効果的なデジタルセーフティ対策へのロードマップ(The Intervention Journey)」を発表。子どもたちがインターネット空間で直面する危険から守るための包括的な指針を提示している。
本記事では、『Adolescence』が突きつけた現実を出発点に、子どもたちをネット上の危険からどう守るかという課題について、国内外の動向や対策を整理しながら考察していく。
ドラマが浮き彫りにした“子どもたちの孤独”
『Adolescence』は、暴力の加害者となった少年が、どのようにして過激な思想に影響されていったのか、その心理的なプロセスを丁寧に描いている。作品の背景には、SNS上で簡単にアクセスできる有害コンテンツの存在と、それに引き寄せられる子どもたちの孤独や心の空白がある。シリーズの共同脚本家で俳優のスティーヴン・グレアム氏は、少年によるナイフ犯罪の報道にショックを受けたことが執筆のきっかけだったと語り、「見過ごされている子どもたちの苦しみに光を当てたかった」と述べている。実際、作中でも大人とのつながりが乏しい少年が、ネット上で極端な思想に触れ、次第に心を蝕まれていく様子が描かれている。
キア・スターマー英首相も、自身のティーンエイジャーの子どもたちとこのドラマを視聴した経験から、「子どもたちが見ているコンテンツや友人との会話を日常的に話し合うことが極めて重要だ」と強調した。
孤独感は精神的健康にも大きな影響を及ぼすと言われており、イギリスの調査では10代の半数以上が「孤独を感じることがある」と回答。SNSで常につながっているように見えても、本質的な人間関係が築けていないことが、さらなる不安や問題行動を引き起こす可能性もある。
日本でも増える“ネット被害”と遅れる対応
日本でも近年、子どもがSNSを通じて犯罪に巻き込まれるケースが増加している。警察庁の統計によれば、SNSを介した児童の被害件数は2023年に過去最多を記録し、特に女子中高生が性的被害の対象となる事例が目立つ。また、内閣府の調査によると、SNS利用中に知らない人と出会った経験のある中高生は全体の3割以上。LINEやTikTokなどのプラットフォーム上では、自傷行為やいじめ、過激なチャレンジ動画の拡散も問題視されている。
しかし、日本の法制度は欧米と比べて対応が遅れているのが現状だ。2023年に成立した「青少年ネット利用適正化法案」は努力義務にとどまり、具体的な罰則規定やプラットフォームへの強制力は限定的。保護者や学校現場への啓発も十分とは言えない。
世界が注目する英国の「オンライン・セーフティ法」
こうした中、英国では2025年3月に「オンライン・セーフティ法」が施行され、SNSや検索エンジンなどの事業者に対して、違法・有害コンテンツの削除義務を課す強力な枠組みが整備された。対象には、子どもの性的搾取、自傷行為、極端なポルノ、暴力的・差別的コンテンツなどが含まれており、子どもたちが年齢に不適切な情報に触れないようにする対策も盛り込まれている。同法では、アルゴリズムが有害情報を子どもに届ける仕組み自体へのリスク評価と改善を義務づけており、規制当局のOfcomは違反企業に対して最大で1,800万ポンドまたは世界収益の10%という重い罰金を科す権限を持つ。これは、プラットフォーム運営者に対する法的責任を明確化した先進的な取り組みとして国際的にも注目されている。
WEFが提唱する「デジタルセーフティのロードマップ」
世界経済フォーラム(WEF)が発表した「介入の旅(The Intervention Journey)」は、デジタルセーフティを公衆衛生と同じように捉える新たな枠組みだ。「有害情報のリスクをゼロにすることは不可能だが、予防と介入によって被害を最小限にすることはできる」として、以下の4段階のプロセスを提示している。1.リスクの特定:子どもがどのようなコンテンツにさらされているか、リスクを可視化
2.介入の設計:年齢や環境に応じた対策をカスタマイズ
3.実施と監視:企業・教育現場が連携して実行し、効果を確認
4.評価と透明性の確保:継続的に改善する仕組みを整備
また、対策は次の4カテゴリーに分類される。
●技術的対策:AIによるハイブリッド監視や自動通報システムなど
●教育的対策:保護者ガイド、学校教育、メディアリテラシーの強化
●行動的対策:違反者の特定や再登録の防止、健全な行動の啓発
●政策的対策:企業ポリシーや国の法規制による行動指針の整備
報告書は特に、中小企業(SMEs)に対する支援の重要性を訴えている。大企業に比べ、リソースも専門知識も乏しい中小事業者にとって、有害コンテンツへの対処はハードルが高いため、簡便で効果的な支援策が求められるという。
スマホ年齢規制と“デジタル同意年齢”の必要性
ドラマ脚本家のジャック・ソーン氏は、自身も8歳の息子を持つ父親として「英国の学校ではスマホを禁止すべきだ」と訴えている。また、オーストラリアで進められている「16歳未満のSNS禁止」のような“デジタル同意年齢”の導入も主張する。これは、2025年のダボス会議で「崩壊する若者世代?」というセッションに登壇した心理学者ジョナサン・ハイト氏の見解とも一致する。
一方で、英国医学雑誌などでは「単純な禁止では、子どもが健全な使い方を学べない」として、権利ベースの教育的アプローチを提唱している。これは国連の「子どもの権利条約」に基づいた考え方であり、禁止と教育をバランスよく取り入れる必要があるという。
社会全体で取り組むべき課題
Netflixの『Adolescence』は、オンライン上の有害コンテンツがどれだけ現実社会に深刻な影響を与えるかを可視化し、世界に強烈なメッセージを投げかけた。WEFの報告書が示す通り、単一の解決策は存在しないが、テクノロジー・教育・行動・政策という4つの視点から包括的に対処することが不可欠だ。日本においても、法制度の整備や学校現場での教育、保護者への支援、民間企業との連携といった多層的な対策が急務となっている。子どもたちの「デジタルの自由」と「安全」のバランスをどう取るか――今まさに私たち大人の判断が問われている。
文:中井千尋(Livit)