この都市には、SpaceXのロケット発射施設や管制センター、社員住宅がすでに存在しており、選挙によって選ばれた初代市長と市政委員のすべてがSpaceXの現・元従業員。まさに「企業が住民を雇い、街を運営する」という新時代の都市モデルが始動した。
スターベースは、イーロン・マスク氏が描く人類の宇宙進出という壮大なビジョンの一部であり、同時にアメリカにおける都市制度の限界と可能性を問い直す存在でもある。その設立背景から現在の運営体制、環境への影響、今後の展望までを詳しく見ていこう。
計画は10年以上前から着々と進行
スターベースの構想は、SpaceXがテキサス州にロケット発射場を建設した2012年から始まった。当初からマスク氏は、同社のロケット発射に適した新天地として、人口密度が低く規制の緩いテキサス州南部に目をつけていた。マスク氏は、次世代の宇宙開発の拠点として、この地にSpaceXの施設を立ち上げ、その後の計画において、いずれは宇宙への移住を視野に入れた“未来型都市”の形成を見据えていたのだ。SpaceXは2012年にこの地域の土地を少しずつ買い集め、2019年には本格的にロケット発射場を設立。そして2021年、マスク氏はX(当時のTwitter)で「テキサスにスターベース市をつくる」と宣言。その後、2024年にSpaceXが提出した法人化の請願が州に承認され、2025年5月3日に住民投票が実施された。投票の結果は、賛成212票、反対6票。法的に必要な143票を大きく上回る形で、市の法人化が決定した。
この背景には、マスク氏が目指す火星移住計画や、テクノロジー、教育、生活基盤が一体となった理想的な“未来社会”の実現への強い信念があった。
市の政治はSpaceXが握る
スターベース市の運営は、完全にSpaceXによって支配されている。スターベースの市長に選出されたのは、SpaceXのテキサス試験・発射運用担当副社長ボビー・ペデン氏(36歳)。2013年にSpaceXに入社し、以降は発射運用の中枢を担ってきた人物だ。市政委員には、同じくSpaceXの環境安全部門ディレクターであるジョーダン・バス氏(40歳)と、元オペレーションエンジニアリングマネージャーのジェナ・ペトルゼルカ氏(39歳)が就任。3人ともSpaceXの社員、もしくは直近までの社員であり、しかも全員無投票当選だった。
この3名によって、スターベース市の政治運営が行われることになる。住民もほとんどがSpaceX社員かその家族であり、事実上、企業がつくり、企業が運営し、企業が住民を構成するという都市モデルが成立している。
なぜ今「企業都市」なのか
スターベースのような企業主導型の都市は、19世紀後半~20世紀初頭のアメリカで、鉄道や炭鉱会社が労働者向けに設けた「カンパニータウン」を彷彿とさせる。だが現代のスターベースは、それをより洗練させ、テクノロジーとイノベーションを軸に再構成したものといえる。マスク氏にとって、スターベースは単なる発射場ではない。彼の究極のビジョン——人類の火星移住——に向けた前線基地であり、地球上における“火星都市の予行演習”とも位置づけられている。事実、市内には「火星のコロニー」を描いた巨大な壁画が掲げられ、未来都市としての演出が施されている。
また、テキサス州は法人税・所得税・キャピタルゲイン税がいずれもゼロで、規制も比較的緩やか。
環境問題と法規制との摩擦
一方で、スターベースの存在は環境保護団体や先住民族グループとの深刻な摩擦を引き起こしている。2023年4月のスターシップ試験飛行では、発射直後に爆発が発生し、周辺の自然保護区に火災や粉塵が拡散した。米国魚類野生生物局は「3.5エーカーに及ぶ火災が国有地で発生した」と報告している。さらにSpaceXは、クリーンウォーター法違反による制裁を受けており、ボカチカ周辺の水域に対する継続的な汚染が指摘されている。先住民族や環境団体は、FAA(連邦航空局)やSpaceXを相手取った訴訟を起こし、「騒音、爆発、交通、熱による自然環境と絶滅危惧種への影響」を強く非難している。
インフラ未整備の現状と今後
また、スターベース市はまだ発展途上にあり、多くのインフラが未整備だ。特に水道インフラは未接続で、現在はブラウンズビルからタンクで水を運んでいる。今後の計画として、SpaceXは約8.9百万ドルを投じてレストランや小売店、食料品店の建設を進めており、さらに22百万ドル規模のコミュニティセンターの建設も6月から着工予定としている。教育面では、マスク氏が2014年に設立した実験的な私立学校「Ad Astra」をモデルとする教育施設の建設も検討されており、すでに市内に職員向けの住居施設も完成している。2025年内には独自の郵便番号の取得、運転免許証の表記変更も予定されている。
企業主導都市の可能性とリスク
企業主導都市の最大の魅力は、開発における自由度の高さにある。スターベースでは、SpaceXの強力な資本力と技術力を背景に、住宅地や商業施設の建設が着々と進んでいる。公共サービスやインフラ整備も企業の主導で進められており、従来の行政に頼らない創造的な都市開発が特徴だ。しかし、こうした企業主導の都市運営にはリスクも存在する。第一に、都市の未来が企業の判断に大きく左右されるため、住民の声が十分に反映されない可能性がある。労働条件や生活環境、教育の質といった市民生活に直結する要素が、企業の利益に従属する形で決定される危険性も否定できない。
スターベースは、単なる「会社の街」ではない。民間資本と企業の意思決定によって都市そのものを設計・運用するという、前例の少ない壮大な社会実験だ。人類の未来の居住地として火星を目指すマスク氏にとって、地球上にその実験場を設けることは自然なステップだったとも言える。
とはいえ、都市という本来は公共の空間を、一企業が事実上支配する構図には注意が必要だ。民主的な意思決定プロセスや多様な市民の声、そして自然環境との共存といった、これまでの都市が大切にしてきた価値観が、どこまで守られるのかは未知数である。
スターベースの未来は、単に一企業の都市開発成功例にとどまらない。これは「企業都市」がどのように成立し、運営され、社会と調和できるのかを試す試金石であり、私たちの社会がこれからどの方向に進むのかを映し出す鏡にもなり得るだろう。
文:中井千尋(Livit)