『無名の人生』鈴木 竜也監督に学ぶ、制約を力に変える発想法と意思決定力
映像やショート動画など多くの作品があふれ、コンテンツが飽和し、視聴手段も細分化する現代において、インディペンデントの長編アニメーション『無名の人生』が異例のヒットを記録した。

東北の団地で暮らすいじめられっ子の少年が、父と同じアイドルの道へ進み、生まれてから死ぬまでに名前や呼ばれ方がいくつも変わっていく波乱に満ちた生涯を、現実の社会問題を背景に描いている。
社会風刺を織り込みながらも、ユーモアとシュールな筆致で昇華していく演出が魅力の作品だ。

監督は、短編の実写・アニメ映画にてさまざまな受賞歴を持つ鈴木 竜也氏。本作は、脚本から作画、編集など全てを一人で担い、1年半で仕上げた長編デビュー作だ。クラウドファンディングから始まったこのプロジェクトに、『音楽』『ひゃくえむ。』の監督として知られる岩井澤 健治氏がプロデューサーに名乗りを上げ、その後スタッフ・キャストも合流し完成。国内外問わず各地でロングランヒットを実現したほか、現在は動画配信サービスでレンタル視聴も可能となっている。

本記事では鈴木氏に、作品制作における独創的なアイデアの出し方や、1人で制作する上での制約をチャンスに変えていく方法について聞いた。

『無名の人生』鈴木 竜也監督に学ぶ、制約を力に変える発想法と...の画像はこちら >>
1年半作業を行ったという実家にて。

身近な違和感から始める──観察起点でテーマを定め、予定調和を外す判断

映画のアイデアは大きなテーマからではなく、日常の違和感を起点に選択し、作品制作を進める際の判断軸は「予定調和を外すこと」だという。物語のテーマを“ある男の人生記”にしたのは、自分が描ける範囲を意識しながらも章ごとにスケールを広げていけるからだと話す。

「今回は男性が主人公の物語なのですが、本来であれば男女どちらの視点も描けるとよいと思っています。ただ、自分自身の経験や実感に近いところから物語を組み立てていきたいと考えた結果、自然と男性の話になりました。内容を、半径数メートル内の身近な話にもできるし、社会全体に広げることもできる。
その両方が成立する余地をあらかじめ残したかったんです。加えて踏み込んだテーマはなるべく避ける、ということも特に意識していませんでした。まだ『自分のことなんて誰も知らない』という思いでいたので、その意味では無敵状態でしたね」

もっとも、エンタメとして届ける以上、繊細なテーマの扱いには慎重にならざるを得ない。扱い方については、「立ち止まって考えることも多かった」と振り返る。

「アニメだけど現実の世界観が出ている作品が昔から好きでした。実写では重すぎるテーマでも、アニメだと丸くなるというか、“ちょうどいいシニカルさ”で描ける。過去制作した短編作品の2作を通し、その手応えがありました。

『無名の人生』には社会問題も登場するんですが、日常の中にある不安からひもとかれたものが多かったです。例えば、コンビニ前の灰皿のところで一服している時、駐車中の車がいきなりバックしてきたらどうしよう──とか、そういう小さな不安や妄想から始まって、池袋で起きた交通事故など、各地で起きた出来事へと視野が広がっていきました。

ただ、それぞれの社会問題に正面から向き合うこと自体を目的にしたわけではなく、物語の中で主人公が通過する一つのルートとして配置した結果、社会が直面する現実が自然と立ち上がってきた…という感覚に近いです。人生では、ある出来事が予兆も余韻もなく突然起きる――その唐突さを表現したかったというのもあります。そのために、意思決定の基準として“王道をあえて外す”ことも意識しました。
AとBがあったら普通Aだよな、というところであえてBを選ぶみたいな進め方にしていました。なので特に終盤なんかは、自分でも予想していなかった方向に物語が進んでいきましたね」

こうした制作過程を経た結果、社会問題は説明ではなく体験として観客に渡り、展開の読めなさが余韻として残るものになった。『無名の人生』の独特な手触りは、この設計思想から生まれている。

“独り善がり”を防ぐために、観客体験を基準にした演出と編集の判断

物事を1人で進める際、判断軸は作り手の内側に閉じやすい。その対策として鈴木氏が徹底したのは、観客体験を基準に意思決定をすることだった。では、自身の作品を客観視するためにどのような対策を行ったのか。

「答えはシンプルで、『とにかく映画館に通うこと』でした。現行の映画を見ながら、常に独り善がりになり過ぎていないかを意識しながら制作していました。映画館のスクリーンを見上げ続けることで、『映画館で流す映画をつくる』という意識を強く持つ。そこを大事にすることで、自身の制作物に客観性を持たせたんです。例えば、何分くらいで眠くなりそうなのか、じゃあそれを打破するために銃撃戦を入れるなど、体感に基づいた編集判断を行って調整をしていました。

また、内容が決して明るいものではないので、エンタメとしてつくっていますよ、という意思表示はちゃんと盛り込みたかったですね。そのため、章ごとに音楽や色調、見せ方を変えるといった設計も行いましたし、自身でも『この監督だから観に行く』という意思決定をさせてくれるような演出の映画が好きなので、そこは意識していました」

今回の作品の印象的な部分であるキャラクターの無表情さやロートーンな芝居も、単なる作風ではなく、“できることに制約があるからこその引き算”として選び取った表現だったという。


「アニメというと表情豊かなイメージがあると思うんですが、前提として自分にはそれを表現できる技術がなかった。でも、表情や芝居で物語を推進していくのが映像作品の見せどころじゃないですか。その乖離(かいり)をどう埋めようかと考えた時、北野 武監督の映画作品が大好きなこともあって、“たけし映画をアニメでやる”という方向に振り切りました。その結果、表情や動きを抑える代わりに、よく見ると口元がぐっと笑っていたり、目が動いたりなど、わずかな口元の動きやまばたきに強い意味を持たせたんです。それが視聴者の考えるための余白となったり、興味を引くトリガーとなって、本来のアニメの動きと対極にいながらも、独特の効果をもたらすことになったのかな、と思っています。省エネだけど効果的で、この演出方法は自分に合ったやり方だったと今振り返っても思いますね」

観客目線の追体験を行うことでユーザーニーズを捉え、制約のある自身の状況をマイナスではなく作品を昇華させるための要素と捉える。この視点を持って演出へと落とし込むことで、最小限のリソースで効果的な結果をもたらす作風を生み出すことに成功したといえるだろう。

スピードは戦略──完璧な計画よりアウトプットを先行する判断

せいちゃん編のロケ地にて。実家から近く、公園の近所には鈴木監督が通っていた幼稚園もあった。長編アニメーションを1年半というスピードで完成させた鈴木氏だが、制作フローとして「完璧な計画を立ててから始める」という発想はなかったという。まず形にし、走りながら考える。アウトプットを先行させることで、人も資金も巻き込んでいく——一貫した制作スタイルがあったからこそ、驚異的な制作期間を実現できたといえる。

「短編2作を国内のインディーズ映画祭で展開し、ひと区切りついた感覚がありました。
もともと長編映画をずっとつくりたかったんですが、短編アニメが賞を獲得した今が注目されるチャンスだと思って制作を始めました。2作目が全国上映を終えた時期にクラウドファンディングを立ち上げれば、観客の記憶と熱量が残っているので支援者が集まるはずだ、という意図もありました。そういったタイミングを逃さないためにも制作を開始したのですが、今考えるとかなりの見切り発車で『とりあえず長編をつくります。人生の話を描きます』という何も決まっていない状態でしたね。

クラウドファンディングの告知では、過去に制作した短編やMVをオムニバスとして再編集して、各地で上映させてもらいました。母校の大学がある山形の映画館で舞台あいさつもさせてもらい、そのタイミングで新作の告知を打ち出すことで、観客の方々と“直接会える場所”を発火点にできればなと思ったんです。当時は『このタイミングなら伝わるはずだ』という思いもあり、戦略的に動いた結果、会場にいた方々がその場で支援してくれるなど、直接のリアクションが大きく、ありがたかったですね」

脚本や作画など1人で担った制作体制についても、鈴木氏の語り口は“大変さ”ではなく、むしろ“自由度”に重心がある。

「今回の制作の良かったところとしては、1人で進めたことで“制約のない状態”という環境をつくれたことだと思っています。外部要因に過度に左右されないようにし、制作に集中するため拠点は仙台の実家を選びました。特に作家として自立できていたわけではないのですが、外界との距離を取り、自分自身に向き合いたいという気持ちが強かったように思います。今後映画界に飛び込むなら、その前に個を強くしておきたい。そうした考えから、修行僧のような感覚で実家に戻ってきました。


映画の世界は、それだけ覚悟や持久力が求められる場所だと感じていました。だからこそ、メンタルやバイタリティーを含め、自分自身をしっかり整えてから向き合いたいと思っていたんです。いずれその世界に飛び込みたいと思っているからこそ、その前に一度自分のやりたいことを全部やろうと。そうすれば、何かつかめるはずだと信じていました」

“分からなさ”が広がりを生む、問いを残す設計が生んだロングラン

劇中のロケ地にて。散歩をしている時にこの場所を見つけたという。公開から数カ月たっても全国各地や海外にて上映が続いた『無名の人生』。観客にどのような点が刺さったのか、鈴木氏自身に届いた反響について聞くと、手応えとして感じているのは届き方の“幅”だったという。

「各地での舞台あいさつで特に感じたのが、客層のバラバラ感で、個人的にはガッツポーズでしたね。地方のミニシアターでは『映画館自体に初めて来ました』というような人も結構多くて。普段あまり劇場に行かない方々も連れてくることができた実感がありました。中には学生さんなど、若い方々も多くて、それがとてもうれしかったですね。私も学生時代にさまざまな映画から衝撃を受け、世界が変わるような感覚を何度も味わってきたので、この作品でもそんな、若い世代の価値観を揺さぶるような鑑賞体験を提供できればいいなと思っていました」

SNSを見ると『よく分からなかった』という感想も多いんですけど、そういった意見があることが逆にいい意味を持ったんじゃないかなと考えています。分からなかったから終わりではなく、分からなかったからこそ、鑑賞者が『無名の人生』について考える時間が長くなる映画になっていればいいと思っています。
明解なエンディングのある映画じゃない方がその人の感情にこびりついてくれると思ったので、最後のシーンは意識的にそういったつくりにしました」

本作のロングランを支えたのは、“誰にでも分かりやすいこと”ではなく、観客の中に問いを残し続ける、引っかからせる設計だったのかもしれない。その引っかかりを形にしたのは、鈴木氏の原体験であり、当時の衝撃を作品へと乗せたのは、若い世代への願いでもあったのだろう。

正解を語る前にまず動く、「不言実行」がつくる次の景色

せいちゃん編のロケ地にて。実家近くの団地の一角。アイデアを形にしていく上で最初の一歩をどう踏み出すか。重要なのは優先度を決め、行動で積み上げる意識だという。

「昔、歌舞伎町のバーでアルバイトをしていたとき、お客さん同士が『俺は将来、こうなってやる!』と野心を語り合っている場面をよく目にすることがありました。その光景を見て『自分はまず手を動かそう』と、強く思ったことを覚えています。それ以来、言葉に出す前に今の自分に何が重要かを考えて、まず動く、という意識をしてきましたね。有言実行というより、不言実行を貫く形でいろんなことを始めたことが、今につながる大きなきっかけだったのかもしれません」

未経験の領域に踏み込み、高いモチベーションで挑戦し続けるためには、どうすればいいのだろうか。

「ものづくりを飽きずに続ける原動力となっているのは、『ゴールが分からないところ』です。おおよそ2時間の一本勝負である『映画』というコンテンツは、その枠内で完結させねばならない。だからこそ難しい。その正解みたいなものがいまだに見つかっていないから、みんな追い求めているのかなと思います。

僕は割と衝動的なタイプではあるし、負けず嫌いな部分も大きいと思いますが、『もっと高みを目指したい』という思いを持ち続けられることが重要なんじゃないかと。本気で目指せるものが設定できれば、おそらく、その高みに到達するまでは、ずっとモチベーションは高いまま走り続けられるのではないかなと思います」

完璧な計画よりもアウトプットを優先し、走りながら人や資金を巻き込んでいく。全てを説明し尽くすのではなく、あえて余白を残すことで、受け手の思考を促す。そうした鈴木氏の姿勢から、不確実性の高い時代において、正解を待つのではなく、判断し、動き続けることの重要性が見て取れる。

これはビジネスにおける意思決定やプロジェクト推進にも通じる示唆なのではないだろうか。その思考と実践が、次はどのような形で結実するのか、鈴木氏の次回作にも期待したい。

撮影:木村 雅章
編集部おすすめ