黒木瞳がパーソナリティを務める番組「あさナビ」(ニッポン放送)にNPO法人J-Win理事長の内永ゆか子が出演。IBM時代にキャリアアップにつながった、上司から言われた言葉について語った。
NPO法人J-Win理事長 内永ゆか子
黒木)今週のゲストはNPO法人J-Win理事長の内永ゆか子さんです。東京大学卒業後、日本IBMに入社して初の女性取締役になられました。このときはいかがでしたか?
内永)1995年かな、それくらいになったのです。大学を卒業してずっとIBMにいました。生え抜きで取締役になるのは、それほど多い話ではありません。特に女性が、ということで、新聞発表をしたときに20数社マスコミの方が来ました。そのときの社長が「俺が社長になったときよりも記者さんのインタビューが多い」と私に言いました。
黒木)そのくらい珍しかったということですね。
内永)そのときに、「たかが女性が役員になったくらいでこんなにマスコミの方が騒ぐことが問題で、早く女性が役員になっても『ふうん』という世の中にならないとおかしいのではないですか」と言ったのを覚えています。
黒木)それから25年。
内永)私が役員になった当時の日本IBMの雰囲気が、いまの日本の雰囲気ですね。
黒木)では、25年くらい遅れているということですか?
内永)そうですね。
黒木)それを何とかしようと、いまJ-Winでやっていらっしゃるのだと思いますが、IBM時代に内永さんに大きな影響を与えてくださった方がいるということですけれども。
内永)日本IBMは女性活用を一生懸命にやっていました。だけど、いちばん強く推していたのはIBMコーポレーション、海の向こうのヘッドクォーターが「日本IBMはもっと女性を活用しろ」とプッシュしたのです。いまの政府が企業さんをプッシュしたのと同じように、ヘッドクォーターが日本IBMをプッシュしました。日本IBMの人事担当の方が「誰かいないか」と探した結果、何人か生き残りがいて、そのうちの1人が私だったのです。私は「急にそんなことを言われても」と思ったわけです。そのときに私のマインドを変えてくれたのは、私のボスで、海外から来たポール・デューワー氏というアメリカのミネソタ州のラボから来た方でした。その人が私に「定年退職で辞めるときに、あなたはどこまで偉くなりたいの?」と聞いたのです。そのとき既に係長か、課長前くらいにはなっていたのですね。

内永ゆか子
内永ゆか子(うちなが・ゆかこ)/NPO法人J-Win理事長
■1946年生まれ。東京大学卒業後、日本IBM入社。女性初の取締役に就任。
■2008年よりベネッセホールディングス副社長、ベルリッツコーポレーション会長兼社長兼CEO、2013年にベルリッツコーポレーション名誉会長を退任。
■2007年よりNPO法人J-Win理事長として、企業におけるダイバーシティ・マネジメントの支援に尽力。
■2013年に企業に応じた個別のダイバーシティ及び企業戦略に関するコンサルティング業務を行う株式会社GRIを設立。
■社外取締役として、ソニー株式会社、イオン株式会社、HOYA株式会社、そしてDIC株式会社を務める。
■2013年には男女共同参画社会づくり功労者内閣総理大臣表彰受賞。
【NPO法人J-Win】
■J-Win=ジャパン・ウィメンズ・イノベイティブ・ネットワーク。
■ダイバーシティ(多様性)マネジメントを推進。社会・企業における女性の活躍推進。
■企業が女性をJ-Winに派遣。合宿や海外研修などを経て、女性リーダーになるためのスキルを身に付ける。
■設立13年。