11月23日(火)深夜、ラジオ番組「Creepy Nutsのオールナイトニッポン0(ZERO)」(ニッポン放送・毎週火曜27時~28時30分)が放送。ラッパーのR-指定が、MCバトルの賞金だけで暮らしていたというアマチュア時代について語った。
R-指定といえば、ラッパー日本一を決める大会『UMB(アルティメット・エムシー・バトル)』で3連覇を達成。その他にも数々の大会で名を馳せ、MCバトル番組「フリースタイルダンジョン」(テレビ朝日系)では2代目ラスボスにも就任。
放送日が「勤労感謝の日」だったことから、R-指定が自身の仕事について語り、昔はバトルの優勝賞金だけで暮らしていたと明かした。
「俺の今のラッパーという仕事、これがいつ『仕事』って言えるようになったかな? みたいなことをたまに考えることがあって。素人時代、いわゆる『アマチュア』と言われていた時代からずっと地続きなんですよね。
最初は賞金稼ぎ、“バウンティーハンター”みたいな時期があって。お金が無くなったらMCバトルに行って、ちょちょっとブチ倒して賞金をゲットして。21、22歳くらいの時、地元の友達がみんな就職するぐらいの時期、俺はバウンティーハンターだったんですよね。MCバトルの全国大会で勝てば100万円の賞金が貰えるけど、正直、100万じゃ1年暮らせないから。だからその時は年収100万円だったわけです。
優勝すると、ライブにもちょっと呼ばれたりするけど、ほんまに、ギャラは……。
それでもお金が無くなったら、“Over The Top”というイベントがありまして。ラッパー達が小さいバーに集まって、一人500円ずつ机の上に置くんです。で、MCバトルをして、勝った人が相手の500円を総取りで取っていくっていう。マジで無くなった時は500円バトルに行ったりして。
だから、仕事と言うより、賞金稼ぎで食い繋いでるみたいな。綱渡りなんですけど、地元の友達にはそれを『仕事』って言っていましたね」
最初は安定した収入は無く、ラップの優勝賞金だけで生活していたというR-指定。
そうした時期を経て、MCバトル番組「フリースタイルダンジョン」への出演や、ミニ・アルバム『たりないふたり』を出した頃に収入も安定したそうで、『あ、これはもう、ちゃんと仕事やわ……』と感じ、親にも言えるような状態になったと振り返った。
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