日の出が遅くなり、冷え込んでくると、あったかい食べものが恋しくなりますね。例えば、「うどん」は、お腹にやさしくて、冷えた体がよくあったまります。

うどんといえば、香川がうどん県として有名ですが、じつは関東・埼玉も負けていません。今回は、埼玉を日本一の「うどん県」にしたいと頑張っている男性のお話です。

“埼玉を日本一のうどん県にする会”を立ち上げた男性「若い世代...の画像はこちら >>

武蔵野うどんは、豚肉のつけ汁でいただく肉汁うどん」が基本(画像提供:永谷晶久さん)

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

むかし、埼玉や東京・多摩地方、さらに北関東では、こう言われていました。

「うどんが打てないと、女は嫁にいけない」

そのくらい関東ではうどんが食べられていて、家でうどんを打つのは当たり前。肥沃な関東平野では米と麦の二毛作が行われていて、小麦は身近な存在だったんですね。しかし、昭和の高度経済成長時代、東京郊外の畑は、住宅地に姿を変えていきます。うどんにまつわる言葉も習慣もいつしか、忘れ去られていきました。

それからおよそ半世紀、埼玉のうどん文化に改めて注目した男性が現れました。永谷晶久(ながたに・)さん、1981年生まれの44歳。永谷さんは千葉・松戸市で生まれたのち、お父様の仕事の関係で各地を転々としながら埼玉・入間市で思春期を過ごします。

しかし、時は1980年代、タモリさんのネタ、「ダさいたま」が一世を風靡していました。

『なんで埼玉に住んでいるだけで、ダサいと言われなければならないんだ!』

子供心に傷ついた永谷さんは、大きくなったら何とかして、「埼玉のいいところを見つけてやろう!」と胸に誓います。

やがて、入間市のまちおこしイベントに参加するようになった永谷さんは、様々な仕掛けを繰り返しながら、試行錯誤を続けました。そんなとき、ふと、高校時代の帰り道に食べていた「うどん」の味を思い出します。しかも、よく調べてみると、埼玉県のうどん生産量は全国2位でした。

「待てよ、1位のうどん県・香川の人口は100万を割っている。700万人以上住んでいる埼玉がちょっと頑張れば、1位になれるんじゃないか?」

永谷さんは、「埼玉を日本一のうどん県にする会」を立ち上げることにしました。

2015年、「埼玉を日本一のうどん県にする会」を立ち上げた永谷さんは、埼玉でうどんを出しているお店を一軒一軒訪ね歩いて、SNSで情報発信を始めます。しかし、名刺を持ってお店を訪ねていくと、店主の方の表情が曇りました。「埼玉がうどん2位? 知らないねぇ」「埼玉はね、あまりうどん食べないの。この辺りは蕎麦だよ」

一方、「うどん打ち」などのイベントを開こうと、行政の方に協力を仰いでも、どんよりとした返事です。

「うどんでまちおこし?もう何回もやっているんだけど、上手くいったことがないんだよ。失敗したらどうしてくれるの?」

ところが2017年、永谷さんもPRに協力して、熊谷で「全国ご当地うどんサミット」、私鉄の西武鉄道も協力した「西武沿線うどんラリー」が開催されて、大いに盛り上がりを見せたことで、風向きが変わり始めます。

2019年には、映画「翔んで埼玉」とコラボしたうどんラリーも話題となりました。

さらに2020年のコロナ禍、埼玉のうどんは、大きな転機を迎えます。県境を越えた移動の自粛が求められたことで、それまで東京都内などに繰り出していた埼玉の人たちが、地元で楽しめるスポットとして「うどん屋さん」に注目。2020年代に入って、埼玉ではうどん屋さんの新規開業が相次ぐことになったんですね。合わせて、メディアで埼玉のうどんが紹介される機会も増えて、「武蔵野うどん」をはじめとした埼玉のうどんは、広く知られるようになりました。

そんな埼玉のうどんの魅力について、永谷さんはこう語ります。

「埼玉のうどんの魅力は多様性です。昔ながらの武蔵野うどんもあれば、ツルツルしこしこの加須うどん、深谷や秩父には山梨のほうとうのようなうどんもあります。そして何より、讃岐うどんも受け入れるほど、埼玉は寛容なんです」

永谷さんはいま、学校給食でのうどんの採用に向けた自治体などへの働きかけやその先を見据えた取り組みをしています。

「若い世代に『埼玉にはうどんがある!』と誇りをもって叫んでほしいんです。あと、小麦が原料のうどんは、世界食になる可能性を秘めていると思います。全国各地のうどんが手を取り合って、世界へ“日本のうどん”を発信していきたいですね」

ちなみに、埼玉のうどんのベースとなる武蔵野うどん、少し固めのその食感を地元の方は「わしわし」という擬態語で表現することが多いといいます。

さあ、あなたも埼玉で、うどんを「わしわし」と噛みしめてみませんか?

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