小中学生の不登校は、35万人に迫る勢いで増え続けています。わが子が不登校になったとき、「私の育て方が悪かったのでは」と自分を責めてしまう保護者は少なくありません。
『学校が合わない子どもたち それは本当に子ども自身や親の育て方の問題なのか』(前屋毅 著)の取材によると、保護者が「昭和タイプ」と呼ぶ古い指導法で子どもたちを追い詰める教員や、不登校の前兆を見逃し続ける学校現場など、実際に不登校を経験した保護者の多くが、学校側の対応や指導方法に疑問を感じていました。
今回は、本書を一部抜粋し、不登校の背景にある「学校側の要因」について、保護者たちへのインタビューをもとに考えてみます。
■子どもは突然、不登校になるわけではない
昨日まで元気に登校していたのに、今日になって「もう、学校に行かない」と宣言して不登校になってしまうということは、まず、ありません。不登校になるには、それなりの“前兆”があるようです。それに気づくのも、いちばん身近にいて、いちばんの理解者でもある保護者です。
「うちの子が不登校になったきっかけは、学校での、ある友人とのトラブルでした。そのことは、私も子どもに聞いて知っていました。学校側も知っていて、2人に事情を聞いたそうですが、子どもの話では相手の言い分を一方的に聞くだけで、うちの子の言い分は聞いてもらえなかったそうです」
とは、ある保護者の話です。そういう状態では学校に行くのが楽しいはずもなく、そのうち学校に行くのが辛そうな様子をみせるようになります。そして、学校に行ったり行かなかったりになってしまう「行きしぶり」が始まり、それは不登校になる前兆でもありました。
その保護者が続けます。
「そういう状態が続けば、親としては『いずれ学校に行かなくなる。不登校になるだろう』と感じてはいました」
そんな様子に学校側も気づいてもよさそうなものです。友人とのトラブルがあって学校もかかわっているので、行きしぶりの原因がそこにあると考えてもよさそうなものです。
ところが担任の対応は意外なものだったそうです。
「それが、『ゲームやってる?』と訊いてきたそうです。友人とのトラブルについて話してくるとおもっていたのに、それはきれいに忘れたかのような話し方だったそうです。行きしぶりについても、まったくふれてこない。それに、子どももあきれていました。それがあって私は、『近いうちに完全に不登校になるな』と予感していました」
そして、その悪い予感は的中してしまいます。
別の保護者は、次のような話をしてくれました。
「私からみても、うちの子は学校が合わないとおもっていました。
いつかは不登校になるのかな、と覚悟もしていたのですが、小学校に入学してから5年生までは休まずに通っていました。学校に行くのは辛くて、できれば行きたくないのが本音だったはずなのですが、根がまじめな子なので、『辛くても行かなければいけないのが学校だ』と考えていたようです」
それが、6年生になってしばらくして不登校になりました。そのとき保護者は、ショックを受けるより、「来るべきものが来たか」とおもったと言います。友だちとのトラブルなどはあっても5年生までは通えていたので、このまま何事もなく小学校を卒業してほしいのが保護者の正直な思いではありました。
ただ無事に中学校に進めたとしても、そこで不登校になる懸念も捨てきれなかったそうです。
わが子が学校が合うか合わないか、そして不登校になるかどうか、保護者には予想できてしまうのかもしれません。
■「昭和タイプ」のままの教員たち
いろいろな保護者の話を聞いていると、「不登校の多くの原因をつくっているのは学校」だとおもわずにはいられません。不登校というと、「子ども本人に問題がある」とされがちですが、そうとばかりはいえないようです。
先ほどの、保護者は「いつか不登校になるだろう」と覚悟していたけれど5年生までは問題なかったのに6年生で不登校になった子の話を続けます。
6年生で不登校になった原因は、教員にあったようです。保護者が次のように説明してくれました。
「6年生になって担任が替わったのですが、その先生が上から強制的に押しつけてくる、バリバリの『昭和タイプ』の人でした。6年生で最終学年ということもあってか、何に関しても全生徒の見本になるようなキチッとした行動を求めてきたようです。ただでさえ集団行動が苦手なところに、集団でキチッと動くことを強制されて、学校にいるのが窮屈すぎて我慢できなくなり、だんだん学校に行かなくなり、不登校になりました」
「昭和タイプ」という表現は、じつは多くの保護者の話のなかに登場してきました。上からプレッシャーをかけて言うことをきかせようというのが、昭和タイプということのようです。
そういう教員が昭和のころには普通だったけれど、さすがに平成も終わり、いまは令和であり、昭和のやり方は時代遅れにおもえるのですが、まだまだ過去の遺物になってもいないらしい。それも不思議なことです。しかも、それが不登校の原因になっている。
言い方を換えれば、令和の時代にもかかわらず教員や学校が昭和から抜けだせていないことが、不登校を増やしつづけているのかもしれません。ある保護者は、こんな話をしてくれました。
「私の子が不登校になったのも、担任との相性が悪かったことが大きな原因でした。とにかく学校の先生は、『させたい』だらけです。椅子に座っているときに、足をブラブラさせていると注意される。
そうした教員による「させたい」は、「叱る」に等しくなります。少なくとも、子どもたちはそう受けとります。上からのプレッシャーそのものです。
■教員は忙しすぎる?
「先生もたいへんですよ。子どもたちが35人くらいもいるクラスを、ひとりでまとめなればいけないわけです。子ども一人ひとりに対応している時間もないだろうから、団体としてみるしかない。それを統制するには、怒鳴りたくなる気持ちもわからないではない」と言った保護者もいました。
厚生労働省の定めている過労死ラインを超える残業を強いられている教員も珍しくないのが現状です。
教員のやることが増えるばかりの学校現場では、なおさら力ずくで子どもたちをおとなしくさせる傾向が強くなっているようにおもえます。
そのやり方が「昭和」であり、昭和という時代は終わったけれど、こと学校に関しては昭和が色濃く残っているということでしょうか。ある保護者は次のように言ったものです。
「私も昭和の時代に小学校に通いましたが、いまのほうが先生が子どもたちを抑えつける傾向は強くなっていると感じます。それこそ私たちが小学生や中学生だった時代より、さらにひと昔もふた昔も時代が戻っているような印象を受けます。それを実際に見たり聞いたりすると、さすがに子どもたちは窮屈だろうなと感じます。それで、うちの子も不登校になったんですけどね」
そんな教員は、わが子が不登校になって心配し、悩んでいる保護者の気持ちにまで考えがおよぶことはないのかもしれません。気にしてなどいられない、ともいえます。
「保護者は無視されている」と感じている保護者が少なくないことを、筆者は今回の取材でもあらためて感じました。
「うちの子が不登校になってから、クラスの担任から電話がありました。不登校を心配しての連絡ではなくて、『通知表が書けないんですけど』という用件でした。
白紙の通知表では、教員が仕事をしていないとみなされかねません。教員としては問題なので、なんらかのものを記入して済ませたいと考えます。もしも保護者に無断で「1」を記入すれば、「なんで、うちの子が1なんだ」とクレームをつけられる可能性もあります。
それを避けるためにも、保護者の意向を確認したかったのかもしれません。保護者にしてみれば、わが子のことを心配するよりも、自分の都合を優先しているように聞こえてしまいます。そんな教員を保護者が信用できるはずがありません。
実際に教員がどう考えての行動だったかは別にして、自分の言動が保護者の信頼を失うことにつながっている可能性を教員として考えてみるのは必要なことです。そういう気遣いができなければ保護者との信頼関係は築けないし、子どもの成長を協力して支援することもできないはずです。この記事の執筆者:前屋 毅 プロフィール
1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。立花隆氏、田原総一朗氏の取材スタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーに。最新刊『学校が合わない子どもたち~それは本当に子ども自身や親の育て方の問題なのか』(青春新書)など著書多数。
また、子どもの性格や特性に原因があると考える保護者もいるでしょう。しかし、本当にそれだけが原因なのでしょうか。
『学校が合わない子どもたち それは本当に子ども自身や親の育て方の問題なのか』(前屋毅 著)の取材によると、保護者が「昭和タイプ」と呼ぶ古い指導法で子どもたちを追い詰める教員や、不登校の前兆を見逃し続ける学校現場など、実際に不登校を経験した保護者の多くが、学校側の対応や指導方法に疑問を感じていました。
今回は、本書を一部抜粋し、不登校の背景にある「学校側の要因」について、保護者たちへのインタビューをもとに考えてみます。
■子どもは突然、不登校になるわけではない
昨日まで元気に登校していたのに、今日になって「もう、学校に行かない」と宣言して不登校になってしまうということは、まず、ありません。不登校になるには、それなりの“前兆”があるようです。それに気づくのも、いちばん身近にいて、いちばんの理解者でもある保護者です。
「うちの子が不登校になったきっかけは、学校での、ある友人とのトラブルでした。そのことは、私も子どもに聞いて知っていました。学校側も知っていて、2人に事情を聞いたそうですが、子どもの話では相手の言い分を一方的に聞くだけで、うちの子の言い分は聞いてもらえなかったそうです」
とは、ある保護者の話です。そういう状態では学校に行くのが楽しいはずもなく、そのうち学校に行くのが辛そうな様子をみせるようになります。そして、学校に行ったり行かなかったりになってしまう「行きしぶり」が始まり、それは不登校になる前兆でもありました。
その保護者が続けます。
「そういう状態が続けば、親としては『いずれ学校に行かなくなる。不登校になるだろう』と感じてはいました」
そんな様子に学校側も気づいてもよさそうなものです。友人とのトラブルがあって学校もかかわっているので、行きしぶりの原因がそこにあると考えてもよさそうなものです。
ところが担任の対応は意外なものだったそうです。
「それが、『ゲームやってる?』と訊いてきたそうです。友人とのトラブルについて話してくるとおもっていたのに、それはきれいに忘れたかのような話し方だったそうです。行きしぶりについても、まったくふれてこない。それに、子どももあきれていました。それがあって私は、『近いうちに完全に不登校になるな』と予感していました」
そして、その悪い予感は的中してしまいます。
別の保護者は、次のような話をしてくれました。
「私からみても、うちの子は学校が合わないとおもっていました。
ひとりで絵を描いているのが好きなタイプで、なんでも集団で動かなくてはならない学校には馴染じめないだろうな、と親としてはおもっていました。
いつかは不登校になるのかな、と覚悟もしていたのですが、小学校に入学してから5年生までは休まずに通っていました。学校に行くのは辛くて、できれば行きたくないのが本音だったはずなのですが、根がまじめな子なので、『辛くても行かなければいけないのが学校だ』と考えていたようです」
それが、6年生になってしばらくして不登校になりました。そのとき保護者は、ショックを受けるより、「来るべきものが来たか」とおもったと言います。友だちとのトラブルなどはあっても5年生までは通えていたので、このまま何事もなく小学校を卒業してほしいのが保護者の正直な思いではありました。
ただ無事に中学校に進めたとしても、そこで不登校になる懸念も捨てきれなかったそうです。
わが子が学校が合うか合わないか、そして不登校になるかどうか、保護者には予想できてしまうのかもしれません。
■「昭和タイプ」のままの教員たち
いろいろな保護者の話を聞いていると、「不登校の多くの原因をつくっているのは学校」だとおもわずにはいられません。不登校というと、「子ども本人に問題がある」とされがちですが、そうとばかりはいえないようです。
先ほどの、保護者は「いつか不登校になるだろう」と覚悟していたけれど5年生までは問題なかったのに6年生で不登校になった子の話を続けます。
6年生で不登校になった原因は、教員にあったようです。保護者が次のように説明してくれました。
「6年生になって担任が替わったのですが、その先生が上から強制的に押しつけてくる、バリバリの『昭和タイプ』の人でした。6年生で最終学年ということもあってか、何に関しても全生徒の見本になるようなキチッとした行動を求めてきたようです。ただでさえ集団行動が苦手なところに、集団でキチッと動くことを強制されて、学校にいるのが窮屈すぎて我慢できなくなり、だんだん学校に行かなくなり、不登校になりました」
「昭和タイプ」という表現は、じつは多くの保護者の話のなかに登場してきました。上からプレッシャーをかけて言うことをきかせようというのが、昭和タイプということのようです。
そういう教員が昭和のころには普通だったけれど、さすがに平成も終わり、いまは令和であり、昭和のやり方は時代遅れにおもえるのですが、まだまだ過去の遺物になってもいないらしい。それも不思議なことです。しかも、それが不登校の原因になっている。
言い方を換えれば、令和の時代にもかかわらず教員や学校が昭和から抜けだせていないことが、不登校を増やしつづけているのかもしれません。ある保護者は、こんな話をしてくれました。
「私の子が不登校になったのも、担任との相性が悪かったことが大きな原因でした。とにかく学校の先生は、『させたい』だらけです。椅子に座っているときに、足をブラブラさせていると注意される。
ブラブラさせるくらい、いいじゃないですかね。でも先生は、きちんと足をそろえて座らせたい。図書館での読書があって、そこでも学年相応の本を読んでいないと注意される。学年相応の本を読ませたいんですね。そうやってうるさく言われるのがたまらなくなって、行きしぶりにつながっていきました」
そうした教員による「させたい」は、「叱る」に等しくなります。少なくとも、子どもたちはそう受けとります。上からのプレッシャーそのものです。
■教員は忙しすぎる?
「先生もたいへんですよ。子どもたちが35人くらいもいるクラスを、ひとりでまとめなればいけないわけです。子ども一人ひとりに対応している時間もないだろうから、団体としてみるしかない。それを統制するには、怒鳴りたくなる気持ちもわからないではない」と言った保護者もいました。
厚生労働省の定めている過労死ラインを超える残業を強いられている教員も珍しくないのが現状です。
そうしたなかで、子ども一人ひとりの個性を尊重して指導するのは難しく、「怖い存在」として子どもたちを従わせるような指導を優先してしまうのかもしれません。
教員のやることが増えるばかりの学校現場では、なおさら力ずくで子どもたちをおとなしくさせる傾向が強くなっているようにおもえます。
そのやり方が「昭和」であり、昭和という時代は終わったけれど、こと学校に関しては昭和が色濃く残っているということでしょうか。ある保護者は次のように言ったものです。
「私も昭和の時代に小学校に通いましたが、いまのほうが先生が子どもたちを抑えつける傾向は強くなっていると感じます。それこそ私たちが小学生や中学生だった時代より、さらにひと昔もふた昔も時代が戻っているような印象を受けます。それを実際に見たり聞いたりすると、さすがに子どもたちは窮屈だろうなと感じます。それで、うちの子も不登校になったんですけどね」
そんな教員は、わが子が不登校になって心配し、悩んでいる保護者の気持ちにまで考えがおよぶことはないのかもしれません。気にしてなどいられない、ともいえます。
「保護者は無視されている」と感じている保護者が少なくないことを、筆者は今回の取材でもあらためて感じました。
「うちの子が不登校になってから、クラスの担任から電話がありました。不登校を心配しての連絡ではなくて、『通知表が書けないんですけど』という用件でした。
不登校ですから、ほかの子と同じ基準で通知表に記入できないのは当然です。さらには、『1がいいですか、それとも斜線にしておきますか』と訊いてくる。そんなもの、不登校の保護者にしてみれば、どっちでもいいんです」
白紙の通知表では、教員が仕事をしていないとみなされかねません。教員としては問題なので、なんらかのものを記入して済ませたいと考えます。もしも保護者に無断で「1」を記入すれば、「なんで、うちの子が1なんだ」とクレームをつけられる可能性もあります。
それを避けるためにも、保護者の意向を確認したかったのかもしれません。保護者にしてみれば、わが子のことを心配するよりも、自分の都合を優先しているように聞こえてしまいます。そんな教員を保護者が信用できるはずがありません。
実際に教員がどう考えての行動だったかは別にして、自分の言動が保護者の信頼を失うことにつながっている可能性を教員として考えてみるのは必要なことです。そういう気遣いができなければ保護者との信頼関係は築けないし、子どもの成長を協力して支援することもできないはずです。この記事の執筆者:前屋 毅 プロフィール
1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。立花隆氏、田原総一朗氏の取材スタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーに。最新刊『学校が合わない子どもたち~それは本当に子ども自身や親の育て方の問題なのか』(青春新書)など著書多数。
編集部おすすめ