わが子が不登校になったとき、多くの保護者はまず「どうすれば子どもを学校に行かせられるか」と考えがちです。「引きずってでも連れて行く」といった強引な方法をとる保護者も少なくありません。
しかし、そうした対応は本当に子どものためになるのでしょうか。

実際に不登校を経験した保護者の中には、ある一言で子どもの表情が劇的に明るくなったという体験をした人もいます。子どもの気持ちに寄り添うことの大切さに気づいた保護者たちは、その後どのような道を歩んだのでしょうか。

また、不登校になると、勉強の遅れや進学への影響も気になるところです。保護者たちは、こうした課題にどのように向き合い、どんな工夫をしてきたのでしょうか。『学校が合わない子どもたち それは本当に子ども自身や親の育て方の問題なのか』(前屋毅 著)より一部を抜粋し、不登校の子どもとどう向き合えばよいのかを考えてみます。

■不登校の子どもが楽になった保護者の一言
わが子が不登校になったとき、強引に学校に連れて行こうとする保護者は多いようです。今回の取材でも、そういう話を多く聞きました。

それこそ「引きずってでも連れて行く」という心境のようで、子どもにしたら強制されていることになります。学校に連れて行ったところで不登校の原因が解消するわけではないとおもうのですが、それでも、そうしなくては気が済まなくなるのが保護者のようです。

ある保護者は次のように話していました。

「うちは、父親がしつこく連れて行ってましたね。
普段は子どものことをかまわない人が、不登校になったとたん、学校に行かせようと必死になっていました。『学校から帰ってきたら駄菓子屋に行こうね』とか言って連れだしていたこともあります。子どもにしたら、駄菓子屋なんかで釣られないのですが、父親が必死なので渋々ついていくという感じだったようです。ずいぶんあとのことですが、『あのときのお父さんは、すごく嫌だった』と子どもは言っていました」

それで学校に行くようになれば、それはそれで解決なのかもしれませんが、不登校はそんな単純な問題ではありません。父親に強制されても、行きたくない気持ちは変わらない。行く、行かないの会話というか対立が毎朝くりひろげられ、そのうち父親のほうがあきらめたそうです。

子どもが頑固だとか、親の言うことをきかなくなったというのではなく、不登校の原因が解消されていないのだから行きたくないのです。「学校に行きさえすれば問題は解決する」と考えるのは、保護者の勝手すぎる解釈でしかありません。

学校に来さえすれば不登校の問題は解消すると考えるのは、保護者だけではないようです。そういう意識は、学校や教員にもあります。

「子どもを校門まで連れて行って、それでも校門から中に入れずに30分くらいも立ち尽くしていました。そんな子どもに私もつきあって、ずっと立っていました。
その様子に気づいたのか、担任の先生が校門までやってきて、子どもを連れて行きました。そのとき先生が私に、『グッジョブ(good job)です。お母さん、頑張ってくれましたね』と言ったんです。それが私には嬉しくて、すごく喜んでしまいました」と言った保護者がいました。

褒められて、自分のやったことに間違いはなかったと確信したのです。子どもを学校に連れて行く努力を誰も評価してくれないなかで、ようやく認められたという気分になったのかもしれません。ただ、その保護者は、「しかし」と続けました。

「気分よく学校をあとにしての帰り道、ふと、校門で立ち尽くしていた子どもの表情が頭に浮かびました。顔色が真っ青だったんです。子どもは真っ青な顔をしていたのに自分は喜んでいる、『どういうことだ』とおもいました。そして、顔色が真っ青になるくらい学校が嫌なら休ませよう、とおもいました」

学校に連れて行くだけでは問題は解決しないことがわかったからです。子どもが学校に行って喜んでいるのは、保護者の独りよがりでしかないと気づいたのです。


学校から帰宅した子どもに「明日から学校は休んでいいよ」と言ったら、明らかに表情が明るくなったそうです。

やはり「学校に行かなくていいよ」と子どもに言えた保護者は、あとになって「学校に行かなくていいと言ってもらえて嬉しかった」と子どもに言われたそうです。「行きたくない」という子どもの気持ちを無視して学校に引っ張っていくより、子どもの気持ちに寄り添うことのほうが必要なのです。

■勉強や進学は大丈夫なのか
不登校になれば、当然ながら学校にいるときのような勉強はできなくなります。

保護者としては、子どもが不登校になって勉強が遅れることがなにより心配なのではないか、気になるところです。

勉強が遅れれば進学にも影響があるだろうし、子どもの将来を考えれば保護者としては悩ましいところでしょう。その疑問にも、多くの保護者が答えてくれました。

「不登校になって最初のころ、『それなら私が教えなければ』という義務感のようなものがありました。それで教えはじめたのですが、本職ではないので上手に教えられないし、子どもと2人だけの勉強には限界があります。それで、だんだんやらなくなりました」

とはいっても、保護者との勉強はまんざらムダでもなく、「それによって、子どもが自分の得意なことを発見するきっかけになった」と話す保護者もいました。

学校の授業ではクラス全員が足並みがそろうように(実際にはそろっていないのですが)進められていきますが、2人だけだと子どものペースで進められることになります。

「漢字をおもしろいと気づいてほしくて、書き順なんか気にしないで自由に書かせるようにしたんです。
そうしたら漢字の形をおもしろがるようになって、興味をもってくれるようになりました」

学校では、とにかく書き順をうるさく教えます。「とめ・はね・はらい」にもうるさくて、「はねていないからバツになった」といった類の話はよく聞きます。うるさく言われることで漢字が嫌いになる子どもも、実際、少なからずいるようです。

わが子だけを相手にした学習では、そういう細かいことを気にしないでもやれます。細かいことを言わずに子どもの興味を引きだすことが大事だと気づけたりもします。不登校になる前は、学校に送りだしたら「お任せ」状態だったものが、子どもと向き合うことになって勉強についても気づくことがあるようです。

先ほどの保護者の子は、その後、学校には行かないけれども「適応指導教室」に通うようになります。適応指導教室は、「教育支援センター」などと呼ぶところもありますが、不登校の子どもたちが学習や集団生活を体験できる場として、地域の教育委員会が設けている公的な機関です。

そこでは「適応指導」という言葉が使われますが、文字どおり学校に適応できるように指導するのを目的にしています。最近では、学校に戻すことだけを目的にしないように変わりつつありますが、その考えが完全に浸透しているとはいえないところもあります。

「適応指導教室の先生に、書き順などで注意しないようにお願いしました。それを受け入れてもらえて、いまでも漢字は好きです。
学校だと書き順をうるさく言われ、同じ漢字を何十回も書くことを宿題で強制されて、嫌気がさしていたのかもしれません。いまでも漢字が好きなのは、不登校になったおかげかもしれません」

もちろん、うまくいくケースばかりではありません。「算数を教えるのは難しい」と言った保護者もいました。

うまく教えられないので、やはりそういった勉強は遅れることになります。不登校を経て学校に行くようになれば、勉強の遅れを実感しないわけにはいかないので、それを苦に再び学校に行かなくなる子も少なくないそうです。

「勉強が遅れていることを自覚できたからなのか、うちの子は『もっと勉強したい』と言いだしました。勉強の遅れが気になるのは、じつは親ではなくて子ども自身です。もっとも、そのために学習塾に行きたいと言われたのですが、嬉しい半面、塾代の工面がたいへんでした」と言って笑う保護者もいました。

勉強については、やはり多くの保護者にとってはいちばんの悩みのようです。この記事の執筆者:前屋 毅 プロフィール
1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。立花隆氏、田原総一朗氏の取材スタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーに。
最新刊『学校が合わない子どもたち~それは本当に子ども自身や親の育て方の問題なのか』(青春新書)など著書多数。
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