文部科学省は、「誰一人取り残さない教育」を掲げています。本来なら、これは一人ひとりの子どもの個性を大切にし、それぞれに合った学びの場をつくるという意味のはずです。


しかし、実際には昔ながらの「みんな一緒」の教育を変える気配はなく、むしろそのやり方から外れる子どもたちを「問題児」と見て、不登校の子どもを増やし続けているのが現状です。

また、学力や学習状況を「調査」し、教育施策に役立てることを目的としていた全国学力テストで学校間の競争をあおり、学校を窮屈な場にしてしまっています。

本記事では、『学校が合わない子どもたち それは本当に子ども自身や親の育て方の問題なのか』(前屋毅 著)の一部を抜粋し、全国学力テストの変遷と現在の実態から、本当の意味での「誰一人取り残さない教育」とは何かを考えていきます。

■「競争の道具」と化している全国学力テスト
「うちの学校は全国学力テストで上位の成績なんですよ」

公立中学校や小学校の校長と話をしていると、こう言われる場面が多くあります。全国学力テストで上位だから、この学校のレベルは高い、と言いたいのだとおもいます。

そう言われるたびに、違和感を覚えてしまいます。全国学力テストで上位ならレベルが高いのか、という疑問があるからです。

校長は学校自慢をしているつもりなのでしょうが、「全国学力テストの成績しか自慢するものはないのか」とおもってしまうのも筆者の正直な気持ちです。

全国学力テストは、「全国学力・学習状況調査等」が正式な名称です。文科省のホームページには、「義務教育の機会均等とその水準の維持向上の観点から、全国的な児童生徒の学力や学習状況を把握・分析し、教育施策の成果と課題を検証し、その改善を図る」と説明されています。

素直に読めば、学力や学習状況を「調査」して、その結果を検証して教育施策の改善に役立てるのが目的となります。

しかし実際には、「競争の道具」となってしまっています。


全国学力テストが始まったのは2007年度からで、小学6年生と中学3年生を対象にして、毎年4月に実施されています。始まって2年目の2008年には、当時の大阪府知事が全国学力調査の市町村ごとの科目別正答率を情報公開請求者らに開示したことで話題になりました。

開示の判断について文科省は市町村教育委員会に委ねるとしていたのですが、当時の知事は開示を求めます。それでも開示を固辞する教育委員会に対して、その知事は口汚く批判し、予算制裁まで示唆していました。

知事が開示にこだわったのは、全国学力テストで大阪府の成績が悪かったからです。開示して市町村ごとの順位が明らかになれば、どこより上だったとか下といったランク付けが行われます。そして、必然的に上位にランキングされるための競争が起きます。

知事は、それを狙っていたわけです。成績を上げる競争をさせることで、全国学力テストでの大阪府のランクを上げようとしたのです。

静岡県でも全国学力テストでの騒動がありました。2013年4月に行われた全国学力テストで、静岡県の小学校国語Aの成績が全国で最下位となり、これに当時の知事が怒り、成績が悪かった100校の校長名を公表する意向を定例記者会見の場で明らかにします。

「戦犯」として校長名をさらすというわけで、成績が悪かったことに対する「罰」でしかありません。
こんなことが常態化すれば、さらされる校長は肩身の狭い思いをすることになるので、「次はさらされないように」となって成績を上げる努力を現場に強要することになるはずです。

大阪府知事と同じで、競争させることで最下位という“不名誉”な立場から脱するのが知事の意図でした。

これについては、さすがに文科省からも問題視する発言があったりして、この案を知事も取り下げざるをえないことになります。そのかわり知事は、成績が全国平均以上だった校長名の公表に踏みきりました。それなら「褒めることになるからいいだろう」というわけです。

しかし、名前が公表されなかったのは「成績の悪い学校の校長」ということになるので、罰を与えたのと同じことになります。

当時の大阪府や静岡県の知事が、こうした方法をとったのは、全国学力テストでの順位にこだわったからです。

前述のように、全国学力テストの目的は教育施策に役立てるための「調査」であって、競争させることではありません。にもかかわらず、知事は競争に異常なくらいこだわったことになります。この順位へのこだわりは大阪府や静岡県だけでなく、どの自治体にもありました。

それは現在も変わりません。その影響は学校にもおよび、全国学力テストを競争の道具としてみる傾向が強く、だからこそ冒頭のような校長の発言につながったわけです。


■文科省が競争をあおっている
そもそも「調査」と説明している文科省自体が、競争をあおっています。

全国学力テストの都道府県別の成績を発表しているのが文科省で、簡単に順位比較ができるようにしているのです。それに基づいてメディアが、どこそこの県が全国1位とか、順位を上げたとか下げたとか、さかんに報じるので競争はエスカレートしてきました。「調査」なら順位付けに結びつくような発表の仕方は避けるべきですが、文科省は逆のことをやっているわけです。

「調査」と言いながら、文科省が全国学力テストを実施した本音は「学力アップ」にあったからで、競争させることで学力を上げようとしているからにほかなりません。しかも、学力を点数で測ることしかしていないのです。

現在の全国学力テストは「悉皆(しっかい)方式」で行われています。悉皆というのは「すべて」という意味で、全国の公立の小学6年生と中学3年生に在籍する児童・生徒は、全員が参加することになっています。

「調査」で学力や学習状況を把握するためなら、全員を参加させる必要などなくて、全国の児童・生徒から何割かだけ選択して実施する「抽出(ちゅうしゅつ)方式」で事足りるはずです。

実際、2010年4月に行われた全国学力テストは抽出方式で行われています。前年8月に行われた総選挙で民主党が自民党に勝利し、9月に民主党政権が誕生して政権交代が実現したことが理由でした。全国学力テストが始まったころから悉皆方式に反対する声はあって、それに民主党が応えたかたちです。


ところが2012年12月に自民党が政権復帰すると、たちまち全国学力テストは悉皆方式に逆戻りしてしまいます。

抽出方式で問題があったわけではありません。にもかかわらず、悉皆方式に戻してしまったのです。学力を上げるには競争させるにかぎる、という自民党・文科省の発想が優先されたことになります。

以来、いまでも全国学力テストは悉皆方式で行われており、それによる競争はますますエスカレートしています。

各学校も競争を意識しないわけにはいかない状況が続いており、この章の冒頭で紹介したような発言をする校長も増えてきました。

全国学力テストの結果に全国の学校が縛られ、点数だけで評価するテストの結果にこだわる学力偏重の傾向がますます強まってきているのです。

点数をとることが子どもたちや教員に重くのしかかり、学校を窮屈な場にしてしまっている大きな要因になってもいます。この記事の執筆者:前屋 毅 プロフィール
1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。立花隆氏、田原総一朗氏の取材スタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーに。最新刊『学校が合わない子どもたち~それは本当に子ども自身や親の育て方の問題なのか』(青春新書)など著書多数。
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