例えば、550円の支払いに際して客側が1150円を差し出した目的を店員は瞬時に察知し、きっちり500円玉をお釣りとして渡します。
■レジ前の「暗算芸」に驚く外国人
日本人にとってはごく自然なことですが、外国人からは「そんな裏技のような計算を、どうしてすぐにできるの?」と驚かれることもあります。こうした行動が「日本人は算数が得意」という印象につながっているようです。
一方ヨーロッパでは、客が自分で計算して端数を整えることはあまり見られません。むしろ店員のほうから「あと5セントありますか?」などと声をかける場面が一般的です。誰が計算を担当するかという役割分担の違いが、文化の違いをよく表しています。
■「1ラッペンなんてとっくにない!」スイス
ところが、筆者が暮らすスイスでは「小銭を減らす工夫」そのものが、そもそも姿を消しつつあります。
というのも、2ラッペン(※ラッペン=日本の1円玉のような存在)硬貨は1978年に、1ラッペン硬貨は2007年に廃止となりました。現在、現金の最小単位は5ラッペンであり、店頭価格も必ず「0」か「5」の5刻みで設定されています。細かい端数を通貨制度から排除してしまったのです。
これにミニマリズムの考え方を重ね合わせると、日本人は財布の中の小銭やお札をできるだけ整理して減らそうとする、いわば「個人レベルでのミニマリスト」。一方スイスは、1ラッペンや2ラッペンの小銭を廃止するという形で通貨そのものを単純化する「制度のミニマリズム」にアプローチしているといえるでしょう。
■日本の算数教育は「速さ」と「正確さ」
教育現場に目を向けると、日本の算数では「速さと正確さ」が中心に置かれています。九九の暗唱や計算ドリルの繰り返し、制限時間付きのテストがその代表例です。与えられた問題を素早く、正確に解く力を育てることが目的とされています。
この教育方針は、レジで小銭を調整する行動にもつながっています。瞬時に最適な答えを導き出す習慣は、幼い頃からの訓練のたまものとも言えます。
加えて、日本では早い段階で筆算を導入します。アルゴリズムを暗記し、繰り返し練習することで、誰もが同じ手順で正しい答えにたどり着けるようにします。理解は後からついてくるものであり、まずは「型」を身につけることが優先されます。
このアプローチは算数教育だけにとどまらず、剣道や空手など、日本発祥の武道でも「型から入る」という文化が色濃く見られることから、日本人がいかに「型」を大切にしているかがうかがえます。
■スイスの算数教育は「理論を先に」学ぶ
一方、スイスの算数教育はスピードを優先しないため、日本の親の目には「進みが遅い」と映ることも。しかし、実際には別のアプローチを取っているだけなのです。
筆算を学ぶ前に、「数をどう分解すれば計算が楽になるか」「どの順番で処理すれば効率的か」といった、数の性質を理解させ、論理的に説明できる力に重点が置かれます。
小学校低学年のうちから理論を学び、時には大きな数でも平気で暗算させられるのは、なかなか骨が折れます。しかし、暗算の理論を理解したうえで、筆算はその延長として「おまけ」のように高学年で学ぶのが一般的。
実際、日本人の保護者が「なぜ簡単な筆算を先に教えないのか」としびれを切らして家庭で教えたところ、学校側から「やめてほしい」と制止された、という話もよく耳にします。理解がないまま計算手順だけを覚えても意味がない、という考え方が根底にあるのでしょう。
これらに鑑みると、日本は「型を先に覚える」教育、スイスは「理論を理解してから型を学ぶ」教育と、正反対の順序を取っていることが分かります。さらに言えば、日本の教育は処理能力の高さに、スイスの教育は論理性や応用力につながっており、それぞれ異なる強みを持っていることが分かります。
スイス人に限らず、ヨーロッパの人々の計算が一般的に遅いのは、日本のように速く正確に解く力よりも、論理的に説明する力を重視しているからなのでしょう。レジでのやりとりだけを見て「外国人は算数が苦手だ」と考えるのは、その国の教育方針を考慮していないことによる誤解なのかもしれません。
この記事の執筆者: ライジンガー 真樹
元CAのスイス在住ライター。南米留学やフライトの合間の海外旅行など、多方面で培った国際経験を活かして、外国人の不可思議な言動や、外から見ると実はおもしろい国ニッポンにフォーカスしたカルチャーショック解説記事を主に執筆。日本語・英語・ドイツ語・スペイン語の4カ国語を話す。