横浜市の公立中学校で校長を務めていた齋藤浩司さんが、早期退職して始めたのは、不登校の子どものための「学習の居場所」でした。それが横浜市にある「菊名和み塾」で、現在、小中学生10名が在籍しています。
■「居場所」はあっても「学習の居場所」がない
「不登校の子にとって必要なのは、まずは家から出て人と触れあい、リラックスできる場所だと考える人が多いんです」と、齋藤さんは語ります。
そうした、不登校の子どもが家の外で過ごせる場所である「居場所」は、あちこちにできています。菊名和み塾の設立を検討していた地域にも、同様の居場所はすでに存在していました。
「そういう居場所を見学したり、居場所づくりをしている人たちに話を聞いたりする中で知ったのが、『学習する場所がない』ということでした」
居場所は、不登校の子どもたちが共に過ごしたり遊んだりすることを主眼としており、そのための工夫はされているものの、学習する場所としての位置付けが弱いのです。算数の学習を望む子どもがいれば、部屋の片隅で大人が教えるといった状況でした。
そこで齋藤さんは、「それなら学習する場所として位置付けよう」と考えたのです。ただ、学習する場なら、いわゆる「学習塾」でもよかったはずです。菊名和み塾を始めようとする地域には学習塾がなかったのかと尋ねると、齋藤さんは笑いながら答えてくれました。
「いや、ありますよ。しかし、学習塾が始まるのは放課後の時間帯です。そういう時間に出かけていってたくさんの子たちといっしょに学習する気持ちもエネルギーも、不登校の子にはありません」
確かに、それができる状況であれば、そもそも不登校にはならないでしょう。しかし、そうした子どもたちにも学習したいという気持ちは存在します。
■仕事をしながら次のことを考えるのはイヤだった
齋藤さんが校長を辞めたのは2022年3月で、定年が1年後にせまった59歳のときでした。この時点で、菊名和み塾の構想があったわけではありません。
「学校外で何かやりたいとは思っていましたが、具体的なプランがあったわけではありません。大学院とか教職大学に行くとか、ゆっくり温泉にでも浸かりながら考えようかなと思っていました(笑)。ただ、仕事をしながら考えるのは中途半端でイヤだったので、スパッと辞めました」
仕事を始めたときの事務所にするためにワンルームのマンションを購入し、2023年4月に「一般社団法人とえはたえ」を設立します。この「とえはたえ」が運用しているのが、菊名和み塾です。
マンションを準備したときも、菊名和み塾の構想があったわけではありません。それが、どうして菊名和み塾のスタートにつながっていったのか、齋藤さんは次のように話します。
「マンションの部屋は毎日使うわけではありません。部屋を眺めていたところ、『4人か5人の子どもを受け入れるのにちょうどいい広さだな』と思い、『不登校支援のようなことができるのではないか』と考えました」
そこから前述のようなリサーチを始め、2023年5月に菊名和み塾をオープンするに至ったというわけです。実際に子どもたちがやってくるのは6月でしたが、生徒募集には元校長の肩書きが役立ったようです。
「校長時代の知り合いも多いので、区役所に説明に行ったら、『頑張ってください』と言われました。しかし、資金援助を受けられるわけではありません(笑)。学校も訪ねたし、地区の民生委員にも相談しました。そういう方々も校長時代からの顔見知りが多いので、協力には前向きでした」
そうしたつながりの中から、2人の子どもが菊名和み塾に入塾することになります。それも小学校の校長からの紹介だったそうです。
場所もあって子どもたちもやってきた。問題は、どういう「学習の居場所」にするかです。学校と同じような授業をしていたのでは、「居場所」にはなりません。
■不登校の子どもたちには学習における「つまずき」がある
「不登校の子は学習に『つまずき』があります。それを解決するには戻ることが大事になります」と齋藤さん。学校に行っていないブランクのために学習が遅れてしまった「つまずき」だったり、そもそも学校での授業についていけなかったための「つまずき」だったりもします。
にもかかわらず、4年生だからといって4年生の学習をやらせれば、「つまずき」から立ち直るどころか、どんどん「つまずき」の深みに陥らせることになってしまいます。
4年生であっても、2年生の段階が理解できないために4年生の学習に付いていけなくなっているのなら、2年生の段階まで戻って学習をやり直すわけです。
「それは学校でも理解していますが、子ども一人ひとりに合わせて学習内容を行ったり来たりさせるには、場所も足りないし、教員の数も足りません」
そもそも、4年生のクラスで自分だけ3年生や2年生の内容を学習するのは、周囲の目もあり、子どもたち自身が嫌がるかもしれません。それが原因となって不登校になってしまう可能性もあります。
しかし、少人数の菊名和み塾なら、それが可能です。各自のペースで学習を進めているため、周囲の目も気になりません。子どもたちにとっては、気兼ねなく学べる、学習の居場所なのです。
■運営を支えるのは、保護者の費用ではなく「助成金」
保護者が気になるのは授業料かもしれません。実は、菊名和み塾は無料です。一切、授業料も参加費も受け取っていません。マンションの部屋は齋藤さんの持ち物ですが、それでも電気代や水道代、消耗品代など運営費は必要になります。
「それは、助成金で賄っています。
助成金を利用するには、そのような制度があることを知って申請する必要があります。助成には期限があるので、一度承認されればずっと助成してもらえるわけではありません。その点について聞いてみると、「毎日、助成制度情報を見ています」という答えが返ってきました。
実は斎藤さんには、助成制度を利用するノウハウがあるのです。中学校の校長時代には、経済産業省「未来の教室」に応募して助成を受け、不登校生徒が登校できるように別室を用意するなどして、助成制度をうまく利用してきました。予算が限られている公立学校で、助成金を使って子どもたちのための策を実行していく校長ならではの発想であり、力量でもあります。
不登校の児童生徒が増え続ける中で、そのような子たちを対象に学校内で学習環境を保障するために空き教室などを活用した「校内教育支援センター」の設置に積極的な自治体も増えています。
2025年8月、文部科学省は「校内教育支援センター」の支援員の配置校を、現在の2000校の2.5倍にあたる5000校へ増やすことを検討していると発表しました。
また、2025年4月に文部科学省が公表した「不登校児童生徒への支援について」では、校内教育支援センターを「不登校児童生徒の多様な学びの場」と位置付けています。
しかし「多様な学びの場」といいながらも、「緩やかに学校復帰や在籍学級に復帰する場として活用できる」という説明があり、結果的に「学校以外は学びの場ではない」というメッセージが含まれているように考えられます。
その結果、せっかく校内教育支援センターをつくっても、学校の門をくぐることに苦痛を感じる子どもをかえって追い詰めてしまう可能性が生まれるのです。
「必要な子が選べる選択肢を増やしていく、それが菊名和み塾の目的です」と、齋藤さんは言います。菊名和み塾のような存在が広がっていけば、本当の意味での「学びの多様化」が実現するはずです。
この記事の執筆者:前屋 毅 プロフィール
1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。立花隆氏、田原総一朗氏の取材スタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーに。最新刊『学校が合わない子どもたち~それは本当に子ども自身や親の育て方の問題なのか』(青春新書)など著書多数。
■「居場所」はあっても「学習の居場所」がない
「不登校の子にとって必要なのは、まずは家から出て人と触れあい、リラックスできる場所だと考える人が多いんです」と、齋藤さんは語ります。
そうした、不登校の子どもが家の外で過ごせる場所である「居場所」は、あちこちにできています。菊名和み塾の設立を検討していた地域にも、同様の居場所はすでに存在していました。
「そういう居場所を見学したり、居場所づくりをしている人たちに話を聞いたりする中で知ったのが、『学習する場所がない』ということでした」
居場所は、不登校の子どもたちが共に過ごしたり遊んだりすることを主眼としており、そのための工夫はされているものの、学習する場所としての位置付けが弱いのです。算数の学習を望む子どもがいれば、部屋の片隅で大人が教えるといった状況でした。
そこで齋藤さんは、「それなら学習する場所として位置付けよう」と考えたのです。ただ、学習する場なら、いわゆる「学習塾」でもよかったはずです。菊名和み塾を始めようとする地域には学習塾がなかったのかと尋ねると、齋藤さんは笑いながら答えてくれました。
「いや、ありますよ。しかし、学習塾が始まるのは放課後の時間帯です。そういう時間に出かけていってたくさんの子たちといっしょに学習する気持ちもエネルギーも、不登校の子にはありません」
確かに、それができる状況であれば、そもそも不登校にはならないでしょう。しかし、そうした子どもたちにも学習したいという気持ちは存在します。
その気持ちを支援する場としてこそ、菊名和み塾の存在価値があるのです。
■仕事をしながら次のことを考えるのはイヤだった
齋藤さんが校長を辞めたのは2022年3月で、定年が1年後にせまった59歳のときでした。この時点で、菊名和み塾の構想があったわけではありません。
「学校外で何かやりたいとは思っていましたが、具体的なプランがあったわけではありません。大学院とか教職大学に行くとか、ゆっくり温泉にでも浸かりながら考えようかなと思っていました(笑)。ただ、仕事をしながら考えるのは中途半端でイヤだったので、スパッと辞めました」
仕事を始めたときの事務所にするためにワンルームのマンションを購入し、2023年4月に「一般社団法人とえはたえ」を設立します。この「とえはたえ」が運用しているのが、菊名和み塾です。
マンションを準備したときも、菊名和み塾の構想があったわけではありません。それが、どうして菊名和み塾のスタートにつながっていったのか、齋藤さんは次のように話します。
「マンションの部屋は毎日使うわけではありません。部屋を眺めていたところ、『4人か5人の子どもを受け入れるのにちょうどいい広さだな』と思い、『不登校支援のようなことができるのではないか』と考えました」
そこから前述のようなリサーチを始め、2023年5月に菊名和み塾をオープンするに至ったというわけです。実際に子どもたちがやってくるのは6月でしたが、生徒募集には元校長の肩書きが役立ったようです。
「校長時代の知り合いも多いので、区役所に説明に行ったら、『頑張ってください』と言われました。しかし、資金援助を受けられるわけではありません(笑)。学校も訪ねたし、地区の民生委員にも相談しました。そういう方々も校長時代からの顔見知りが多いので、協力には前向きでした」
そうしたつながりの中から、2人の子どもが菊名和み塾に入塾することになります。それも小学校の校長からの紹介だったそうです。
場所もあって子どもたちもやってきた。問題は、どういう「学習の居場所」にするかです。学校と同じような授業をしていたのでは、「居場所」にはなりません。
■不登校の子どもたちには学習における「つまずき」がある
「不登校の子は学習に『つまずき』があります。それを解決するには戻ることが大事になります」と齋藤さん。学校に行っていないブランクのために学習が遅れてしまった「つまずき」だったり、そもそも学校での授業についていけなかったための「つまずき」だったりもします。
にもかかわらず、4年生だからといって4年生の学習をやらせれば、「つまずき」から立ち直るどころか、どんどん「つまずき」の深みに陥らせることになってしまいます。
そこから脱出させるには、「つまずき」の原点に戻って学習することが大事だというのが齋藤さんの考えです。
4年生であっても、2年生の段階が理解できないために4年生の学習に付いていけなくなっているのなら、2年生の段階まで戻って学習をやり直すわけです。
「それは学校でも理解していますが、子ども一人ひとりに合わせて学習内容を行ったり来たりさせるには、場所も足りないし、教員の数も足りません」
そもそも、4年生のクラスで自分だけ3年生や2年生の内容を学習するのは、周囲の目もあり、子どもたち自身が嫌がるかもしれません。それが原因となって不登校になってしまう可能性もあります。
しかし、少人数の菊名和み塾なら、それが可能です。各自のペースで学習を進めているため、周囲の目も気になりません。子どもたちにとっては、気兼ねなく学べる、学習の居場所なのです。
■運営を支えるのは、保護者の費用ではなく「助成金」
保護者が気になるのは授業料かもしれません。実は、菊名和み塾は無料です。一切、授業料も参加費も受け取っていません。マンションの部屋は齋藤さんの持ち物ですが、それでも電気代や水道代、消耗品代など運営費は必要になります。
「それは、助成金で賄っています。
いろいろな助成金制度が増えているので、それを利用しています。今は3つの助成支援を受けています」
助成金を利用するには、そのような制度があることを知って申請する必要があります。助成には期限があるので、一度承認されればずっと助成してもらえるわけではありません。その点について聞いてみると、「毎日、助成制度情報を見ています」という答えが返ってきました。
実は斎藤さんには、助成制度を利用するノウハウがあるのです。中学校の校長時代には、経済産業省「未来の教室」に応募して助成を受け、不登校生徒が登校できるように別室を用意するなどして、助成制度をうまく利用してきました。予算が限られている公立学校で、助成金を使って子どもたちのための策を実行していく校長ならではの発想であり、力量でもあります。
不登校の児童生徒が増え続ける中で、そのような子たちを対象に学校内で学習環境を保障するために空き教室などを活用した「校内教育支援センター」の設置に積極的な自治体も増えています。
2025年8月、文部科学省は「校内教育支援センター」の支援員の配置校を、現在の2000校の2.5倍にあたる5000校へ増やすことを検討していると発表しました。
また、2025年4月に文部科学省が公表した「不登校児童生徒への支援について」では、校内教育支援センターを「不登校児童生徒の多様な学びの場」と位置付けています。
しかし「多様な学びの場」といいながらも、「緩やかに学校復帰や在籍学級に復帰する場として活用できる」という説明があり、結果的に「学校以外は学びの場ではない」というメッセージが含まれているように考えられます。
その結果、せっかく校内教育支援センターをつくっても、学校の門をくぐることに苦痛を感じる子どもをかえって追い詰めてしまう可能性が生まれるのです。
「必要な子が選べる選択肢を増やしていく、それが菊名和み塾の目的です」と、齋藤さんは言います。菊名和み塾のような存在が広がっていけば、本当の意味での「学びの多様化」が実現するはずです。

不登校の子どものために「学習の居場所」をつくった齋藤浩司さん(一般社団法人とえはたえ代表理事 菊名和み塾主宰)
この記事の執筆者:前屋 毅 プロフィール
1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。立花隆氏、田原総一朗氏の取材スタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーに。最新刊『学校が合わない子どもたち~それは本当に子ども自身や親の育て方の問題なのか』(青春新書)など著書多数。
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