しかし現実には、戦闘機をそろえるだけで「数兆円・数十年」の歳月がかかります。明日戦争に巻き込まれるかもしれない世界で、日本はどうやって国を守る準備をしているのでしょうか。
安全保障の第一人者・高橋杉雄氏の著書『日本人が知っておくべき自衛隊と国防のこと』(辰巳出版)より一部抜粋・編集し、知られざる「防衛力整備の厳しい現実」を紹介します。
■日本は有事に即応できるのか?
軍事力、防衛力の確保・維持というのは、スーパーやコンビニでジュースを買ってくるような手軽な話ではありません。中長期的な計画を立て、段階的に整備していかなければならないのです。
しかも、そこには政治や経済の要素が多分に絡んできます。ここでは、日本の防衛力整備の推移について解説していきましょう。
今現在、日本では航空自衛隊でおよそ300機の戦闘機を保有しています。
最新鋭の戦闘機を300機購入すると想像してください。あえて大味な計算にしますが、戦闘機1機の値段をおよそ100億円としましょう。
これを300機揃えるとなれば、これだけで3兆円の予算が必要になります。とても一括購入、一括支払いできる規模ではありません。
加えて、自動車のように工場のラインで大量生産されるものではないので、生産にも時間を要します。
その結果、1年間に10~20機というペースでメーカーから購入し、これを10~30年の年月をかけて積み重ねて、300機の調達を実現することになります。
現在の航空自衛隊の装備を実現するために、どれだけの時間と予算を費やしてきたか、その一端を感じとることができたでしょうか。
■戦闘機300機に“3兆円・30年”かかる国防の現実
そこで重要なのは、今現在の国際情勢だけで防衛力を計画しても意味がないということです。
装備が揃うのが10~20年後ならば、10~20年後の国際情勢に必要な装備でなければ意味がありません。
これは、社会インフラを作ることにも似ています。ダムを作って治水をする、発電設備を作る計画を立てる際は、10~20年後の人口を見据えなければなりません。
防衛力の場合は、周辺諸国がどう変わっていくのかという要素も加味して情勢分析を行い、10年後、20年後の自衛隊に必要な兵力の質と量を導き出していくという作業が必要になります。
その一連のプロセスをまとめていくのが、戦略文書です。現在の日本の場合、戦略3文書と通称される国家安全保障戦略、国家防衛戦略、防衛力整備計画の3つの文書がその役割を担っています。
■日本はどうやって「未来の脅威」に備えているのか
国家安全保障の3文書というかたちでまとめられるようになったのは、2013年からです。
以前は「国家安全保障戦略」という名称の文書はなく、「防衛計画の大綱」(いわゆる「防衛大綱」)と「中期防衛力整備計画」という文書がありました。
防衛大綱は、10年後くらいを見通して情勢を分析し、その中で防衛力はどのような役割を果たすべきかについて定め、その役割を実行するためにどういった態勢が必要か、具体的な兵力装備の量や部隊の数を示します。
防衛大綱の末尾には「別表」というものがあって、その中で10年後の自衛隊の兵力構成が示されるのです。
とはいえ、単に10年後の姿を思い描くだけでなく、この10年間に様々な努力を重ねなければその姿には届きません。そのため別表とは別に、5年間の装備調達計画を定めた中期防衛力整備計画が作られます。
つまり、理屈の上では2回の中期防衛力整備計画を経て10年間で、防衛計画の大綱の別表で示された自衛隊が完成するわけです。
ただし、実際にはこのスケジュールが機能したことはあまりありません。なぜでしょう。
防衛大綱が最初に作られたのが1976年、ちょうど冷戦期です。その後、中曽根内閣のときなどに自衛隊の強化が実施されていますが、大綱の見直しは行われないまま、冷戦が終わりました。その後、1995年になって新しい防衛大綱が作られます。
■世界と政治の激変に翻弄されてきた「防衛大綱」
次に防衛大綱が作られたのは2004年。10年を待たずに刷新されたのは、この期間中にいわゆる9.11、アメリカ同時多発テロ事件が発生したことが大きく影響しています。
インド洋やイラクに自衛隊が派遣されることになったのが、このときの見直しの大きな要因となりました。
その後、2009年に新たな防衛大綱と中期防衛力整備計画を作る予定でした。しかしこの2009年の夏、政権交代の選挙があり、政権が自民党から民主党に移りました。
そして、民主党政権では、改めて防衛大綱の見直し作業をすることになり、予定を延期して2010年に新しい防衛大綱が発表されました。「動的抑止」が盛り込まれた防衛大綱です。
その後、2012年12月の選挙で自民党が政権与党に返り咲きます。自民党政権はあらためて防衛大綱の見直しに着手。2013年に安倍政権で最初の国家安全保障戦略ができました。
振り返ってみると、1976年に作成された防衛大綱が19年後に見直され、以降はそれぞれ9年後、6年後、3年後の改定です。
■1年前倒しで刷新された防衛戦略の裏側
2013年の次は5年後の2018年に新たな防衛大綱と中期防衛力整備計画が策定されました。そして4年後の2022年に“戦略3文書”が策定されたのです。
これは安全保障環境が極めて悪化したことを受けたもので、防衛費を増やして安全保障の態勢を抜本的に見直しをする必要があるという判断で、1年繰り上げて戦略の見直しを実施したわけです。
さらにこのとき、防衛大綱と中期防衛力整備計画という2本立てから、2013年に初めて策定した国家安全保障戦略を約10年振りに見直した上で、防衛大綱を「国家防衛戦略」に名称を変更しました。
そして中期防衛力整備計画を「防衛力整備計画」に改め、“戦略3文書”というかたちにしたのです。
■予測不能な世界と自衛隊のリアル
節目節目で防衛大綱は見直されています。
1976年の最初の防衛大綱は、冷戦を前提とした防衛大綱で、基盤的防衛力構想という防衛構想が示されました。
1995年には、冷戦後の世界に向けた自衛隊をどうするかという問題意識で、2度目の防衛大綱が作成されます。
というのも、1993年から自衛隊がPKO(国連平和維持活動)に参加することとなり、さらに1993~1994年にかけて最初の北朝鮮の核危機が起こるなど、日本の安全保障環境、自衛隊を取り巻く環境が目まぐるしく変化していったからです。
そのため、大綱のキーワードは「不透明・不確実」となりました。基盤的防衛力構想は維持され、大綱巻末の別表も、冷戦後も基本的に自衛隊の兵力構成は維持されたかたちになりました。
基盤的防衛力構想自体は冷戦期に作られたものですが、1995年の防衛大綱で冷戦後バージョンの基盤的防衛力が形作られたと言えます。
以後、時代の不確実性を証明するように2001年にアメリカで同時多発テロが起こったのを受け、自衛隊がインド洋で多国籍軍に給油し、イラク戦争が始まり、陸上自衛隊がイラクに派遣されるようになりました。
自衛隊がインド洋やイラクで活動するなど、2001年9月10日までは誰も考えたことがなかったはずです。まったく予想外の未来が待ちかまえていたのです。
そうした現実世界を直視しながら、防衛大綱は積み重ねられてきたのです。こうした動きは、その後も続きます。この書籍の執筆者:高橋杉雄 プロフィール
防衛省のシンクタンクである防衛研究所防衛政策研究室長。早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了。専門は国際安全保障、現代軍事戦略論、核抑止論、日米関係論。日本の防衛政策を中心に研究・発信する、我が国きっての第一人者。ウクライナ戦争勃発以降、テレビをはじめとした様々なメディアで日々解説を行っている。著書に『日本人が知っておくべき自衛隊と国防のこと』(辰巳出版)など。
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