トランプ米大統領からの「自衛隊艦船の派遣要求」など、中東情勢への対応が最大の焦点となった日米首脳会談。日本は「法律の範囲内で対応する」と説明しましたが、そもそも日本はアメリカの要求にどこまで応えられるのでしょうか。


日米同盟は決して「アメリカの言いなり」のシステムではなく、そこには他国とは異なる“特殊な関係”と法的な限界が存在します。

今の国際情勢と密接に結びつく日米同盟の真実と「集団的自衛権」の実態を、防衛省シンクタンクの第一人者・高橋杉雄氏の著書『日本人が知っておくべき自衛隊と国防のこと』(辰巳出版)より一部抜粋・編集して紹介します。

■「日本はフリーライドしている」は誤り。基地と防衛を交換する“非対称な同盟”
日本の安全保障の要とも言えるアメリカとの同盟関係について見ていきましょう。

日米同盟というのは、「日米安保体制」と言ったりもします。外務省では「日米安保体制を中核とする日米同盟」とも言います。

日米安全保障条約そのものは、1950年に日本の独立と同時に結ばれました。それが1960年に改定されて現在に至ります。

すでに80年以上も続く安保条約ですが、権利義務関係がちょっと特殊な条約です。

基本構造、特に1950年の旧安保の基本構造は、日本は「米軍に駐留してもらう、米軍は駐留してください」という特異な形態になっています。

1960年の安保改定で単に駐留してもらうだけではなく、駐留する米軍および国家としてのアメリカは日本防衛義務を負うというかたちになりましたが、基本的には基地貸与協定なのです。

つまり、日本がアメリカに基地の土地を貸す、アメリカはそこに部隊を置く代わりに日本を守るという構図です。
これを昔の外務省の人は、「人(米軍)と物(基地)との交換」と表現しました。

日米同盟で日本がアメリカにフリーライドしているという言い方をする人がいますが、それは正しくありません。基地を提供しているので、フリーライドではないのです。ただし、かなり非対称な構造です。

■条約締結時、自衛隊は「存在すらしていなかった」。日米防衛協力のリアル
1960年の新安全保障条約では、日米同盟では日本領域内における他国からの武力攻撃を、日米双方が両国に対する武力攻撃とみなすこととなりました。ですから、日本の領域が攻撃されたときには、日米共同で対処することになっているわけです。

そこで日本が負っている義務は、日本領域を守ること、そして米軍に基地を提供することだけです。ですから、米軍への基地の提供と米軍の展開が基本的な日米安保条約上の取引関係です。

ここで注目すべきなのは、自衛隊と米軍の防衛協力というのは条約締結時にはそれほど重要な要素ではなかったということです。

変な表現になりますが、外務省マターである日米安全保障条約がこの日米同盟の中核で、防衛省および自衛隊はその上に乗っかっているものなのです。

その理由ははっきりしていて、1950年に日米安全保障条約を結んだ時点では自衛隊そのものが存在しませんでした。
発足したのは1954年です。1960年の安保改定のときでさえ、まだまだ能力が足りません。

そのため最初の頃は、日米安保体制の中では、自衛隊と米軍の協力というのはあくまで二の次で、大事なことは基地の提供だったのです。

ところが1970年代に入って、ベトナム戦争でアメリカが消耗し、実際に軍事力も下がっていきました。それとは逆に、日本が経済発展して自衛隊が強力化していったことで、自衛隊と米軍の協力というのが俄然重要になってきたのです。

現実的な必要性があるなら検討しなければなりません。これは自衛隊と米軍とで共同作戦計画を作ることになります。

この点について、文民統制、あるいは政治からのコントロールを確保するためにガイドラインが作られました。

■日本はアメリカと一緒に戦えない? 日米の役割を決定づける「4人の大臣」
日米同盟には「日米防衛協力のための指針」という文書があります。これが「ガイドライン」です。最初に作られたのは1978年で、その後1997年、2015年に見直されます。

では、このガイドラインは誰が合意の署名をしているのかと言うと、いわゆる2+2、日本の外務大臣と防衛大臣、アメリカの国務長官と国防長官です。


ガイドラインでは、日米が共同作戦する局面を特定し、作戦局面の中で日米の役割分担を決め、それを最終的に大臣4人が署名して承認します。

ですから、策定されたガイドラインの枠組みに基づき、作戦計画を自衛官と米軍人が組み上げていくのは、すでに大枠を日米両国の大臣が承認した上でのこととなります。

つまり、これはすべて民主的コントロールの下にあるということになるのです。

そういう形で日米の防衛協力が進んでいるとはいえ、いわゆる日本の集団的自衛権の制約があるので、日本は日本防衛のときは米軍と一緒に戦えますが、2015年に平和安全法制が成立するまでは、それ以外のときは米軍に兵站面などで協力できても一緒に戦うことはできない、という形になっていました。

ガイドラインということでは、1997年の改定では米軍に対する自衛隊の後方地域支援が盛り込まれました。そして2015年には、平和安全法制も見据えて新たなガイドラインを策定したのです。

■トラウマとなった湾岸戦争。「金だけ出して感謝されない」日本が下した重い決断
時間を何年か巻き戻します。

日本の集団的自衛権、自衛隊の海外での武力行使、あるいは武器の使用というものが真剣に議論されるようになったのは、1991年の湾岸戦争以降です。

湾岸戦争のとき、世界中の国がクウェートを救うために軍事的協力を行いましたが、日本は軍事的協力に参加せず、資金援助のみでした。そのことに対する国内外からの批判が、大きな契機になりました。

これは有名な話ですが、アメリカの新聞大手ワシントンポストに、戦争が終わった後にクウェート政府が協力国への感謝の広告を打ちました。
しかしその中に日本の名前が含まれておらず、日本国内では衝撃とともに受け止められました。日本は提供した資金に見合う評価を得ることができなかったのです。

それ以来、国連活動への自衛隊の参加、アジアでの安全保障上の危機における自衛隊と米軍の協力が、安全保障政策上の大きな課題になりました。

これは1991~1995年の間の出来事ですが、具体的な結果が出てきたのが2014年から2015年にかけてです。実に20~25年の時間をかけて、安倍政権のときに集団的自衛権の限定行使に踏み切ることになりました。

2014年7月1日に閣議決定を行い、「存立危機事態」というかたちで、日本と密接な関係にある他国が武力攻撃を受け、わが国の存続が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態において、自衛権を行使できるようになったのです。

■もし「存立危機事態」が起きたら……自衛隊が米軍と“一緒に戦う”究極のシナリオ
この存立危機事態の具体的なシナリオについて、個人的考えとしてシナリオ化して申し上げると以下のようになります。

半島有事が起こり、北朝鮮が韓国と米軍を攻撃しました。しかし、日本は攻撃を受けていません。この状態では、かつての日本は後方支援以外は何もできませんでした。

しかし今の安保法制成立後であれば、明らかに半島有事は日本の安全保障に死活的な脅威になるので、米軍と一緒に戦うという選択肢が生まれるのです。

もちろん「できる」からといって自動的に「戦う」わけではありません。
あくまでそうした選択肢が生まれるということです。

とはいえ、他国に自衛隊を派遣して戦闘行動を行うという展開までは想定されていません。

半島有事で集団的自衛権を行使する場合でも、そこで想定されることのほとんどは日本海でのオペレーションになるであろうと筆者は思います。この書籍の執筆者:高橋杉雄 プロフィール
防衛省のシンクタンクである防衛研究所防衛政策研究室長。早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了。専門は国際安全保障、現代軍事戦略論、核抑止論、日米関係論。日本の防衛政策を中心に研究・発信する、我が国きっての第一人者。ウクライナ戦争勃発以降、テレビをはじめとした様々なメディアで日々解説を行っている。著書に『日本人が知っておくべき自衛隊と国防のこと』(辰巳出版)など。
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