「面倒見がいい」のはすてきなことですが、気を付けないと単なる「お節介焼き」になってしまったり、相手から思い通りの反応がないとモラルハラスメント(モラハラ)をしたりしてしまうこともあります。

こういった残念な傾向に陥ってしまうのは、本当の意味での「面倒見のよさ」を分かっていないから。
では、どんな勘違いをしてしまっているのでしょうか。

■「面倒見がいい」の勘違い1:相手を助けるのではなく、支配・コントロールになってしまう
会社の部下や後輩に対して面倒を見てあげているつもりでも、気を付けないと相手に「支配やコントロールをされている」と思われてしまうことがあります。

例えば、相手には相手の仕事のやり方があるのに、自分のやり方でやらないからと注意してしまうと、相手からすれば支配されているように感じるかもしれません。

人それぞれ、得意、不得意なことや、キャラクターもあるので、自分がやってうまくいった方法であっても、相手がうまくいくとは限りません。

それなのに自分のやり方を押し付けてしまうと、それは、「面倒見がいい」わけではなく、単なるお節介になってしまいます(場合によっては、仕事の妨害にも……)。

「自分の正しさ」ばかりを押し付けてしまう場合は、「自分が正しいことを証明したい」という利己的な思いが隠れている可能性が高いので気を付けた方がいいもの。自己肯定感が低い人ほど、他者によって「自分の正しさを認められること」を望みやすいところがあるのです。

■「面倒見がいい」の勘違い2:相手に頼られることで、承認欲求を満たそうとしてしまう
上司や先輩の中には、「部下や後輩に頼ってもらいたい」と思う人がいます。もし相手が頼りたいと思っていないのに、頼られたいと思っている場合は、ちょっと厄介です。

なぜなら、潜在意識的に「自分の存在意義を感じたい」「自分を認めてもらいたい」という思いが隠れているから。その場合は、自分の方が相手を“必要としている”のです。

相手に自立を促すことなく、世話をしてしまう行為は、たとえ相手が感謝をしていたとしても、広い視野で見ると相手のためにならないことも多い。
それは、本当の意味で「面倒見がいい」とは言えないですよね。

■「面倒見がいい」の勘違い3:期待通りの反応がないと、裏切られた気持ちになる
自己中心的な思いを抱いている人ほど、自分がやってあげたことに対して相手が感謝しなかったり、自分を頼ってくれなかったりするときには、裏切られた気持ちになり、手のひらを返したように攻撃的になってしまうことがあります。

それは、「面倒見がいい人(※相手のために動く人)」ではなく、「相手を自分の思う通りに動かしたい利己的な人(※自分のために動く人)」である証拠。だから、一見面倒見のいい人が、モラハラに発展してしまうことがあるのです。

■本当に面倒見がいい人か、お節介の人かの「バロメーター」とは
本当に面倒見のいい人には「相手への愛情」がありますが、単なるお節介になってしまう人が抱いているのは「自己愛」に過ぎません。

また、面倒見のいい人は、「相手の幸せ」を目的に行動できますが、お節介になってしまう人は、「自分の気分がいいこと(自分の幸せ)」がゴールになってしまいます。

面倒見がいい人か、単なるお節介な人なのかが分かるバロメーターがあるとすれば、それは、「場合によっては、相手を手放すことができるか」。

愛情がある人は、相手にやる気のなさが見えたときは、「手放す」という手段で相手に学ばせることもあります。「相手に主体性を持たせる大切さ」を理解しているからです。

その行為は一見、冷たく見えるかもしれませんが、大きな視野で見たら愛情であり、「この人は、いつか大事なことを気づいて乗り越える力がある」と信じてあげていることもあります。「助けない」ことが、深い意味での「面倒見のよさ」につながることもあるのです。

結局、部下や後輩に対して深い愛情を抱ける人になるためにも、まずは自分で自己を愛で満たすことが大事。
自分を認め、愛し、心を満たせているからこそ、人に“純度の高い愛情”を与える余裕が持てるからです。

現代のように、会社での人間関係が希薄になりやすい時代こそ、「面倒見のいい人」は大切。本物の優しさと愛情を持つ「面倒見のいい人」でありたいものですね。
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