学期末になると、誰もが手にするおなじみの「通知表」。小学校から高校まで、当たり前のように受け取ってきた方が多いのではないでしょうか? でも実は、この通知表、文部科学省が「必ず作りなさい」と明言しているわけではありません。
多くの学校は、独自の判断で作成を続けているのが実情です。

本稿では、本当に通知表が必要なのかを改めて考えていきます。先進的な事例も交えながら、令和時代にふさわしい学校評価の在り方を一緒に探っていきましょう。

■通知表を手放すという決断の価値
岐阜県美濃市の公立小学校は、一部の学年の通知表を廃止することを決めました。その背景には、子どもたちが二重丸や三角といった評価記号にばかり注目し、劣等感や自信喪失、さらには仲間内での序列化を招くリスクを避けたいという意図があるようです。通知表があるのが当たり前という状況の中で、この思い切った判断には大いに敬意を表したいと思います。

一方で報道によると、逆の動きも見られます。神奈川県のある小学校では、2020年に通知表を廃止したものの、その後のアンケートで「学習成績を数値で示してほしい」という声が多数寄せられました。そのため、今年度から通知表に近い形で学習成績を示す方針に変更されるとのことです。一度廃止してみたことで、学校側も保護者側も、通知表の意義を改めて実感できたということでしょう。

多くの保護者は「学校でのわが子の様子が見えにくい」と感じています。口頭での懇談会や成績表で概要を把握できるものの、やはり数値や評価ランクが明示されることで、客観的に子どもの頑張りや課題を知りたいという要望は根強いようです。


■評価の本質とは「成長の通過点の見える化」
通知表の有無はあくまで手段に過ぎません。本質は「何のために評価するのか」にあります。筆者は、「児童・生徒のできることとできないことを見える化し、その先の成長を支援すること」が評価の本来の役割であると考えています。

日本人は真面目な国民性から、長所を伸ばすよりも短所を補おうとする傾向が強く、できないことが「悪いこと」とみなされがちです。その結果、三角評価が続けば自信を失い、クラス内の序列化を助長するリスクがあります。「丸が多い方がいい」という価値観が根底にあると言えるでしょう。

まず大人自身が、できないことがあっても「まずは挑戦してみる」姿勢が大切であることを示し、失敗を乗り越える経験を子どもたちに数多く提供することが重要です。長期的な成長を見据え、評価を通過点と位置付けることで、子どもたちが「できないこと=悪いこと」と考えることなく、自ら学び続ける力を育めるはずです。

■通知表作成に潜む教員の業務負担
通知表の作成には、想像以上の労力と時間が教員に求められます。各教科の評価に加え、一人ひとりの所見を丁寧に書き込むには相当な時間を要し、しばしば業務時間外まで圧迫します。筆者が主宰するコーチング塾の元教員からは、「授業は好きでも、通知表の評価業務は苦痛だった」という声も聞かれるほどです。

また、担任だけでなく管理職による確認や修正が入ると、その手間はさらに増大します。
筆者自身も、心を込めて書いた文章が添削によって画一化される悔しさを経験しました。こうした業務負担は、本来の教育活動の質を低下させかねない現実を浮き彫りにしています。

とはいえ、通知表の意義を否定するのではなく、本質を見失わない範囲での簡素化と効率化が急務です。担任が30~40名分の通知表を作成する状況を考えれば、1つの工程削減だけでも大幅な時間短縮につながります。

例えば、印刷や押印の省略、AIの活用、テンプレート化など、学校全体で工夫すれば数十時間の削減が期待できます。これにより教員は子どもと向き合う時間を確保し、本来の指導に集中しやすくなるでしょう。

■学校改革に求められるのは「やらなくていい」を見極めて辞める勇気
学校改革に求められるのは、まず「やらなくていいこと」を見極め、思い切って取りやめる勇気を持つことです。

学校現場は前年踏襲の風土が強く、通知表だけでなく「必ずやること」として定着した業務や行事が数多く存在します。コロナ禍で中止された行事が次々に復活しているように、慣習に流されるまま形だけを踏襲していては、教員の多忙化を助長してしまいます。

重要なのは、その行事や業務の目的を丁寧に再検証し、代替手段があれば積極的に取り入れる姿勢です。保護者や教職員の声も尊重しつつ、賛否だけで判断するのではなく、多角的な視点から効果やコストを比較検討して決断すべきでしょう。特に管理職には、「やらないことを決める」というリーダーシップと、その一方で子どもたちの学びの質を確保する責任感が求められます。


学校の改革が一個人の意志に依存せず、組織として定着させるためには、制度や仕組みの見直しが不可欠です。ただし、改革を推進した管理職が異動や退職でいなくなると、元の慣習に戻ってしまうことも少なくありません。教員が本来の教育活動に専念できる余地を創出し、子どもたちと真正面から向き合う時間を最大化することこそ、令和時代の学校文化が目指すべき姿ではないでしょうか。

令和の教育に必要なのは、教員の余白をつくり、子どもたちと真正面から向き合う時間を最大化することです。評価の形式に縛られず、本質的に「子どもの成長を支える」問いを自らに投げかける姿勢こそ、これからの教育に求められるでしょう。

▼坂田 聖一郎プロフィール教員を13年間経験した後、独立し「株式会社ドラゴン教育革命」を設立。「学校教育にコーチングとやさしさを」コンセプトに、子どもたちがイキイキと学べる教育を実現できる世の中を学校の外から作りたいという想いで活動する教育革命家。
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