まるで『鬼滅の刃』に登場する鬼たちのように……ごく普通の“いい人”が理不尽なルールに服従してしまうメカニズムがあるといいます。
教育思想家・高部大問氏の著書『謎ルール: 10代から考える 「こんな社会」を生き抜く解放論』(内田樹監修)は、現代社会に氾濫する不思議なルールに「なぜ?」と問い直す一冊。
本書から一部抜粋し、人々が謎ルールに服従してしまうカラクリを解説します。
■理不尽でも服従してしまうメカニズム
人はなぜ謎ルールに従ってしまうのか。このメカニズムを紐解くために、「服従」というテーマについて考えてみましょう。
皆さんは、どんなとき服従するでしょうか?
「飢えというのはライオンですら服従させる」といいますが、人は、飢えていなくても服従する生き物です。権威者の指示で人はどこまで強い電気ショックを赤の他人に与えるか、という世界を震撼させた服従実験があります。
実験を行った社会心理学者ミルグラムの著書『服従の心理』には、実験の詳細が記述されています。
皆さんなら、どんな人がどこまで強い電気ショックを与えると思うでしょうか? どんな人が言いなりになると思うでしょうか?
服従実験で分かったことは、「普通の個人がとんでもない段階まで実験者の指示に従い続ける」という驚くべき結果でした。極悪非道人でもなく、どちらかといえば仕事に真面目な一般人が、ひどく破壊的なプロセスの手先になってしまう。なぜでしょう。
理由はいたってシンプルです。「服従こそは生存を一番確実に保証してくれるもの」だからです。
つまり、従わなければその場を切り抜けられそうにない場合、人は命令内容を問わず、命令者に従わざるを得ないのです。
■普通の人が『鬼滅の刃』の鬼たち同然に
被験者の心理状態はどうなっていたかというと、「行動自体の善悪評価から、権威システムの中での自分の成績優劣評価に移行」していたのです。
このとき、普段先生や保護者から言われている「清く正しく」「人に優しく」「自分を信じて」といった教えや助言は、残念ながら大した効力を発揮してくれないでしょう。行動はもはや良心に制約されず、善悪そっちのけで、ただ求められるタスクをハイスコアでクリアしようと努めます。
まるで、漫画『鬼滅の刃』でボスの鬼舞辻無惨(きぶつじ・むざん)からの評価を獲得することに必死な鬼たち同然ですね。
それだけではありません。被験者は、自分の行動に責任があるとは考えなくなり、権威である実験者の願望を実行する代理人にすぎないと正当化するようになります。自分は、ただ与えられた役割を果たしただけ、というわけです。
邪悪な行動がいくつもの工程に分割され、担当する仕事がその連鎖の中間工程でしかないとき、人は、最終工程から遠く離れているために痛みと責任を感じにくいのです。
もしも、人々が生活の全てを自らの手で担うゼネラリスト(=なんでも屋)であったなら、こんな事態は起きないでしょう。こうした事態が起きてしまうのは、人々が生活を分担し、なんらかのスペシャリスト(=専門家)を目指すためです。
おや、どこかで聞いた話ですね? そうです。
■「分業」がもたらす副作用
私たちの仕事は他人に電気ショックを与えることではありませんが、たとえ自分の仕事が他人に思わぬ迷惑や害を与えているとしても、分割された仕事の一端しか担っていない間は、そのことに気づかずせっせと仕事に専念してしまいます。真面目に、誠実に。悪気など全くなくても。
忠誠や規律といった現代社会で称揚される価値こそが、正に人々を権威の悪意あるシステムに縛りつける可能性を生むとは、なんという皮肉でしょうか。
先ほど、皆さんはどんなとき服従するでしょうか、と尋ねましたね。
通常は真っ当で礼儀正しい人物も、権威構造に参加する時点で良心は弱められてしまいます。命令を発する人物が公式にその場を仕切っていると認識したら、私たちは言われた通りのことを大人しく実行してしまうのです。
駅員に指示されるがままに並び、美容師に指示されるがままに頭を動かすといった日常行動と、さして変わりはありませんね。
したがって、服従行動を人格や性格と関係づけるのは適切ではないでしょう。親切か否かや善良か否かを問わず、人は状況次第で誰しもがいとも簡単に服従してしまうのです。
人の行動を決めるのは、「その人がどういう人物かということではなく、その人がどういう状況に置かれるかということ」です。
ミルグラムは、穏当な人がわずか数カ月で良心を眠らせ他人を殺めるほどになってしまう軍隊組織を引き合いに、服従プロセスを整理しています。
軍事訓練の場は、他のコミュニティから隔絶されており、競合する権威がありません。自分に命令してくるボスが他にいないということは、裏を返せば、相談先や頼れる存在も他にいないということです。
結果、褒賞や懲罰は、どれだけその権威に服従するかに応じて支給されます。
訓練の名目上の目的は、新兵に軍の知識・技能を身につけさせることですが、根本的なねらいは、「個性や自我の名残をすべて打ち砕くこと」だといいます。
軍隊組織では、全員の歩幅・歩調・速度をピタリと合わせる行進訓練が行われますが、そこでの教えの主目的は一糸乱れぬ行進そのものではなく、狙いは規律づけにあり、「個人が組織モードにとけこんだことに視覚的な形態を与えること」なのです。
つまり、服従は隔離と命令によって起動するのです。競合権威が不在の隔離空間に収容されるとき、人は他に助けを求めたり逃げたりすることができず、特定の権威の指示に従うことになりますね。
その日一日を切り抜けて生き延びるだけでも一苦労な場合、道徳についてなど心配している暇はありません。
ミルグラムの服従実験においても、被験者は隔離された実験室で、指示役の実験者が間近にいるハイ・プレッシャーの状況でした。
さて、こうした服従の条件は、実験室や軍隊組織ならば可能なように思われますが、現実の世界でそんな状況はあり得るでしょうか?
実は、私たちに身近なあの場所が、服従マインドを培養している監獄的施設なのです。
監修:内田樹(うちだ・たつる)
1950年東京生まれ。
著者:高部大問(たかべ・だいもん)
1986年淡路島生まれ。教育思想家。全員バラバラの血液型の家族、片目は失明し歯も1本だけの祖父、不登校の近親者、母子家庭の幼馴染、車椅子のクラスメイトなど、いわゆる多様性に囲まれた幼少期・青年期を経て、慶應義塾大学商学部在学中、地球2周分の海外ひとり旅、中国へのインターンシップ・留学を経験。卒業後、リーマン・ショックによる就職氷河期にリクルートに就職。人事・総務・営業を経験した後、大学事務職員にキャリア・チェンジ。入口の学生募集業務から出口の進路支援業務まで10年間従事し、現在はインクルーシブ保育・教育を実践する社会福祉法人どろんこ会に所属。1年間の育休経験も踏まえ、幼児教育から高等教育まで教育現場のリアルを執筆・講演などで幅広く発信。
教育思想家・高部大問氏の著書『謎ルール: 10代から考える 「こんな社会」を生き抜く解放論』(内田樹監修)は、現代社会に氾濫する不思議なルールに「なぜ?」と問い直す一冊。
本書から一部抜粋し、人々が謎ルールに服従してしまうカラクリを解説します。
■理不尽でも服従してしまうメカニズム
人はなぜ謎ルールに従ってしまうのか。このメカニズムを紐解くために、「服従」というテーマについて考えてみましょう。
皆さんは、どんなとき服従するでしょうか?
「飢えというのはライオンですら服従させる」といいますが、人は、飢えていなくても服従する生き物です。権威者の指示で人はどこまで強い電気ショックを赤の他人に与えるか、という世界を震撼させた服従実験があります。
実験を行った社会心理学者ミルグラムの著書『服従の心理』には、実験の詳細が記述されています。
皆さんなら、どんな人がどこまで強い電気ショックを与えると思うでしょうか? どんな人が言いなりになると思うでしょうか?
服従実験で分かったことは、「普通の個人がとんでもない段階まで実験者の指示に従い続ける」という驚くべき結果でした。極悪非道人でもなく、どちらかといえば仕事に真面目な一般人が、ひどく破壊的なプロセスの手先になってしまう。なぜでしょう。
理由はいたってシンプルです。「服従こそは生存を一番確実に保証してくれるもの」だからです。
つまり、従わなければその場を切り抜けられそうにない場合、人は命令内容を問わず、命令者に従わざるを得ないのです。
基本的に人は生存条件に平伏せざるを得ませんから、生存ルールが服従に変われば、人は服従するほかありません。
■普通の人が『鬼滅の刃』の鬼たち同然に
被験者の心理状態はどうなっていたかというと、「行動自体の善悪評価から、権威システムの中での自分の成績優劣評価に移行」していたのです。
このとき、普段先生や保護者から言われている「清く正しく」「人に優しく」「自分を信じて」といった教えや助言は、残念ながら大した効力を発揮してくれないでしょう。行動はもはや良心に制約されず、善悪そっちのけで、ただ求められるタスクをハイスコアでクリアしようと努めます。
まるで、漫画『鬼滅の刃』でボスの鬼舞辻無惨(きぶつじ・むざん)からの評価を獲得することに必死な鬼たち同然ですね。
それだけではありません。被験者は、自分の行動に責任があるとは考えなくなり、権威である実験者の願望を実行する代理人にすぎないと正当化するようになります。自分は、ただ与えられた役割を果たしただけ、というわけです。
邪悪な行動がいくつもの工程に分割され、担当する仕事がその連鎖の中間工程でしかないとき、人は、最終工程から遠く離れているために痛みと責任を感じにくいのです。
もしも、人々が生活の全てを自らの手で担うゼネラリスト(=なんでも屋)であったなら、こんな事態は起きないでしょう。こうした事態が起きてしまうのは、人々が生活を分担し、なんらかのスペシャリスト(=専門家)を目指すためです。
おや、どこかで聞いた話ですね? そうです。
これはすなわち、分業がもたらす副作用なのです。
■「分業」がもたらす副作用
私たちの仕事は他人に電気ショックを与えることではありませんが、たとえ自分の仕事が他人に思わぬ迷惑や害を与えているとしても、分割された仕事の一端しか担っていない間は、そのことに気づかずせっせと仕事に専念してしまいます。真面目に、誠実に。悪気など全くなくても。
忠誠や規律といった現代社会で称揚される価値こそが、正に人々を権威の悪意あるシステムに縛りつける可能性を生むとは、なんという皮肉でしょうか。
先ほど、皆さんはどんなとき服従するでしょうか、と尋ねましたね。
通常は真っ当で礼儀正しい人物も、権威構造に参加する時点で良心は弱められてしまいます。命令を発する人物が公式にその場を仕切っていると認識したら、私たちは言われた通りのことを大人しく実行してしまうのです。
駅員に指示されるがままに並び、美容師に指示されるがままに頭を動かすといった日常行動と、さして変わりはありませんね。
したがって、服従行動を人格や性格と関係づけるのは適切ではないでしょう。親切か否かや善良か否かを問わず、人は状況次第で誰しもがいとも簡単に服従してしまうのです。
人の行動を決めるのは、「その人がどういう人物かということではなく、その人がどういう状況に置かれるかということ」です。
ミルグラムは、穏当な人がわずか数カ月で良心を眠らせ他人を殺めるほどになってしまう軍隊組織を引き合いに、服従プロセスを整理しています。
軍事訓練の場は、他のコミュニティから隔絶されており、競合する権威がありません。自分に命令してくるボスが他にいないということは、裏を返せば、相談先や頼れる存在も他にいないということです。
結果、褒賞や懲罰は、どれだけその権威に服従するかに応じて支給されます。
訓練の名目上の目的は、新兵に軍の知識・技能を身につけさせることですが、根本的なねらいは、「個性や自我の名残をすべて打ち砕くこと」だといいます。
軍隊組織では、全員の歩幅・歩調・速度をピタリと合わせる行進訓練が行われますが、そこでの教えの主目的は一糸乱れぬ行進そのものではなく、狙いは規律づけにあり、「個人が組織モードにとけこんだことに視覚的な形態を与えること」なのです。
つまり、服従は隔離と命令によって起動するのです。競合権威が不在の隔離空間に収容されるとき、人は他に助けを求めたり逃げたりすることができず、特定の権威の指示に従うことになりますね。
その日一日を切り抜けて生き延びるだけでも一苦労な場合、道徳についてなど心配している暇はありません。
ミルグラムの服従実験においても、被験者は隔離された実験室で、指示役の実験者が間近にいるハイ・プレッシャーの状況でした。
さて、こうした服従の条件は、実験室や軍隊組織ならば可能なように思われますが、現実の世界でそんな状況はあり得るでしょうか?
実は、私たちに身近なあの場所が、服従マインドを培養している監獄的施設なのです。
監修:内田樹(うちだ・たつる)
1950年東京生まれ。
思想家、武道家、凱風館館長、神戸女学院大学名誉教授。専門はフランス現代思想、武道論、教育論など。東京大学文学部仏文科卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程中退。第六回小林秀雄賞(『私家版・ユダヤ文化論』)、2010年度新書大賞(『日本辺境論』)、第三回伊丹十三賞を受賞。
著者:高部大問(たかべ・だいもん)
1986年淡路島生まれ。教育思想家。全員バラバラの血液型の家族、片目は失明し歯も1本だけの祖父、不登校の近親者、母子家庭の幼馴染、車椅子のクラスメイトなど、いわゆる多様性に囲まれた幼少期・青年期を経て、慶應義塾大学商学部在学中、地球2周分の海外ひとり旅、中国へのインターンシップ・留学を経験。卒業後、リーマン・ショックによる就職氷河期にリクルートに就職。人事・総務・営業を経験した後、大学事務職員にキャリア・チェンジ。入口の学生募集業務から出口の進路支援業務まで10年間従事し、現在はインクルーシブ保育・教育を実践する社会福祉法人どろんこ会に所属。1年間の育休経験も踏まえ、幼児教育から高等教育まで教育現場のリアルを執筆・講演などで幅広く発信。
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