40代になると、少しずつ親の介護が自分の人生の視野に入り込んでくる。そんなとき、親から「孤独死が怖い」とSOSが来たら、どうするのが正解なのだろう。
■涙ながらに訴えられて
「父が亡くなったのが4年前。私には姉がいますが、結婚して遠方におり、義兄の両親の面倒もみているため、数年に1度しか会えない状態。母は最初のうちは『一人でも大丈夫』と言っていたんです。でも2年後に『私、孤独死が怖い』と泣きながら電話をかけてきた。
いったいどうしたのかと実家を訪れると、近所で仲よくしていた人たちが、みんな子どもと暮らすと越していったそう。自分だけ一人になって不安だったんでしょうね」
エリさん(47歳)はそう言う。母は現在、77歳だ。身体的には健康なのだが、父がいなくなってからはやはり心細いし寂しいのだろうと思ってはいた。
ただ、エリさんも結婚して家族がいる。当時、大学受験を控えていた長男、高校1年生の長女、そして小学校6年生の次女がいた。中古で購入したマンションは3LDKで、長女と次女は同じ部屋だ。
「うちのすぐ隣にワンルームマンションがあるんです。そこで暮らすのはどうかと提案してみました。夕飯はうちに来てもいいし。とはいえ、うちは共働きなので昼間は誰もいない。話し相手になれるかどうかも分からないとは伝えました。母はそれでいい、と」
■隣のマンションに越してきた母
賃貸のワンルームで暮らすことになった母は、朝からエリさん宅を訪れるようになった。朝は、夫と自分と上の子どもたち2人、4人分のお弁当を作ったり洗濯機を回したりと、エリさんはバタバタしている。夫は手早く朝食の準備をするのが日課だ。
そしてエリさんはお弁当をもって一足先に家を出る。その後、子どもたちを送り出してから夫が家を出るまで、朝はキッチンもリビングも戦場状態。とても母をかまっている暇はなかった。
「手伝ってくれるならありがたいんですが、母は座っているだけ。結局、朝から来ても仕方がないと思ったのか来なくなった。ただ、夕方もうちはドタバタしているんですよ。
夫か私、どちらか早く帰れる方が次女と共に夕飯の支度をし、帰ってきた人からどんどん夕飯をとったりお風呂に入ったり。夜9時ごろになってやっと全員そろうという感じ。平日は団らんなんてめったにない。
だからキッチンには大きな白板があって、そこに思い思いに何か書いておく。だいたい子どもたちからの学校行事のことが多いですが。そこに夫か私が答えを書き入れたり」
それでも必ず子どもたちには声をかけ、学校生活を楽しんでいるかどうかだけはチェックを欠かさないでやってきた。週末は親も子どもものんびり過ごすか、どこかへ出掛けるか。家族の時間だけは大事にしてきたつもりだった。
そこに母という“異端者”が入り込んできた。
■もともと価値観が合わなかった
「小さいころから、母は姉が大好きで愛情を捧げていました。でも、私とはなんとなく反りが合わなかった。でも逆に私は気楽に自由に生きることもできた。
大学に入ってすぐ実家を出てからずっと一人でやってきて、結婚後は夫と二人三脚で頑張ってきた。そんな私が30年ぶりくらいに母と距離が近くなった。やっぱりこの人とは合わないなと思うことが多かったですね」
それでも、母の孤独死したくないという気持ちを受け入れて、こんなに近くに住むようになったのだから、それでよしとしてほしいとエリさんは思っていた。だが、母はしばらくすると「私は孤独だ」と言い始めた。
「例えば週末。長男は塾があるけど、下の2人を連れて、数家族でハイキングに行ったりすることがあるんです。母に一応、行くかと聞いてもそんなに歩けないという。だから出掛けてしまうと、あとから『週末さえ、私は一人きりなんだ』とぼやく。
平日、地域のサークルにでも行けばと言っても、どうやってサークルを探せばいいか分からないと。
そういうことが延々続いたので、近所に越してくれば、私が何もかもしてくれると思っているなら、大間違いだからねと言ったら泣き出して」
寂しいのは分かるが、健康なのだから自分のことは自分でしてほしいとエリさんは思っている。
■母には老人ホームの方がいいのでは……
「母の余暇の過ごし方をどうして私がお膳立てしなければいけないの」と考えてしまう。長女が一緒に区役所に行ってあげると言っても、「子どもには分からない」の一点張り。親切を拒絶された長女が傷ついてしまうという事態もあった。
「お母さんには老人ホームの方がいいかもしれないと言ってみたら、あんたとはもう話したくないとまで言われました。半年ほど前のことです。それ以来、時々次女が様子を見に行くくらいで、うちには寄りつかなくなってしまった。
でもかまってほしいのは変わっていないようです。先日、私が帰宅したら母がうちのマンション前でうろうろしていて。来るなら入ればいいでしょうと声をかけると、うれしそうについてきた」
どうしたらいいのか、どうしたら母がハッピーになれるのか。そう考えてはいるが、自分のキャパを超えることはできない。
そうやって愚痴る自分は冷たい人間なのかもしれない。エリさんは頭をフル回転させながら、いつも心の奥に罪悪感を覚えている。それがつらいと力なく言った。
▼亀山 早苗プロフィール明治大学文学部卒業。男女の人間模様を中心に20年以上にわたって取材を重ね、女性の生き方についての問題提起を続けている。恋愛や結婚・離婚、性の問題、貧困、ひきこもりなど幅広く執筆。趣味はくまモンの追っかけ、落語、歌舞伎など古典芸能鑑賞。
親を引き取った女性が、その後の経過を話してくれた。
■涙ながらに訴えられて
「父が亡くなったのが4年前。私には姉がいますが、結婚して遠方におり、義兄の両親の面倒もみているため、数年に1度しか会えない状態。母は最初のうちは『一人でも大丈夫』と言っていたんです。でも2年後に『私、孤独死が怖い』と泣きながら電話をかけてきた。
いったいどうしたのかと実家を訪れると、近所で仲よくしていた人たちが、みんな子どもと暮らすと越していったそう。自分だけ一人になって不安だったんでしょうね」
エリさん(47歳)はそう言う。母は現在、77歳だ。身体的には健康なのだが、父がいなくなってからはやはり心細いし寂しいのだろうと思ってはいた。
ただ、エリさんも結婚して家族がいる。当時、大学受験を控えていた長男、高校1年生の長女、そして小学校6年生の次女がいた。中古で購入したマンションは3LDKで、長女と次女は同じ部屋だ。
そこに母の居場所はない。
「うちのすぐ隣にワンルームマンションがあるんです。そこで暮らすのはどうかと提案してみました。夕飯はうちに来てもいいし。とはいえ、うちは共働きなので昼間は誰もいない。話し相手になれるかどうかも分からないとは伝えました。母はそれでいい、と」
■隣のマンションに越してきた母
賃貸のワンルームで暮らすことになった母は、朝からエリさん宅を訪れるようになった。朝は、夫と自分と上の子どもたち2人、4人分のお弁当を作ったり洗濯機を回したりと、エリさんはバタバタしている。夫は手早く朝食の準備をするのが日課だ。
そしてエリさんはお弁当をもって一足先に家を出る。その後、子どもたちを送り出してから夫が家を出るまで、朝はキッチンもリビングも戦場状態。とても母をかまっている暇はなかった。
「手伝ってくれるならありがたいんですが、母は座っているだけ。結局、朝から来ても仕方がないと思ったのか来なくなった。ただ、夕方もうちはドタバタしているんですよ。
夫か私、どちらか早く帰れる方が次女と共に夕飯の支度をし、帰ってきた人からどんどん夕飯をとったりお風呂に入ったり。夜9時ごろになってやっと全員そろうという感じ。平日は団らんなんてめったにない。
だからキッチンには大きな白板があって、そこに思い思いに何か書いておく。だいたい子どもたちからの学校行事のことが多いですが。そこに夫か私が答えを書き入れたり」
それでも必ず子どもたちには声をかけ、学校生活を楽しんでいるかどうかだけはチェックを欠かさないでやってきた。週末は親も子どもものんびり過ごすか、どこかへ出掛けるか。家族の時間だけは大事にしてきたつもりだった。
そこに母という“異端者”が入り込んできた。
■もともと価値観が合わなかった
「小さいころから、母は姉が大好きで愛情を捧げていました。でも、私とはなんとなく反りが合わなかった。でも逆に私は気楽に自由に生きることもできた。
大学に入ってすぐ実家を出てからずっと一人でやってきて、結婚後は夫と二人三脚で頑張ってきた。そんな私が30年ぶりくらいに母と距離が近くなった。やっぱりこの人とは合わないなと思うことが多かったですね」
それでも、母の孤独死したくないという気持ちを受け入れて、こんなに近くに住むようになったのだから、それでよしとしてほしいとエリさんは思っていた。だが、母はしばらくすると「私は孤独だ」と言い始めた。
「例えば週末。長男は塾があるけど、下の2人を連れて、数家族でハイキングに行ったりすることがあるんです。母に一応、行くかと聞いてもそんなに歩けないという。だから出掛けてしまうと、あとから『週末さえ、私は一人きりなんだ』とぼやく。
平日、地域のサークルにでも行けばと言っても、どうやってサークルを探せばいいか分からないと。
区役所に行ってみれば分かるよと言うと、一人では探せないって。
そういうことが延々続いたので、近所に越してくれば、私が何もかもしてくれると思っているなら、大間違いだからねと言ったら泣き出して」
寂しいのは分かるが、健康なのだから自分のことは自分でしてほしいとエリさんは思っている。
■母には老人ホームの方がいいのでは……
「母の余暇の過ごし方をどうして私がお膳立てしなければいけないの」と考えてしまう。長女が一緒に区役所に行ってあげると言っても、「子どもには分からない」の一点張り。親切を拒絶された長女が傷ついてしまうという事態もあった。
「お母さんには老人ホームの方がいいかもしれないと言ってみたら、あんたとはもう話したくないとまで言われました。半年ほど前のことです。それ以来、時々次女が様子を見に行くくらいで、うちには寄りつかなくなってしまった。
でもかまってほしいのは変わっていないようです。先日、私が帰宅したら母がうちのマンション前でうろうろしていて。来るなら入ればいいでしょうと声をかけると、うれしそうについてきた」
どうしたらいいのか、どうしたら母がハッピーになれるのか。そう考えてはいるが、自分のキャパを超えることはできない。
自分たちの生活だけで精いっぱいなのに、気持ちの負担が増えるばかり。
そうやって愚痴る自分は冷たい人間なのかもしれない。エリさんは頭をフル回転させながら、いつも心の奥に罪悪感を覚えている。それがつらいと力なく言った。
▼亀山 早苗プロフィール明治大学文学部卒業。男女の人間模様を中心に20年以上にわたって取材を重ね、女性の生き方についての問題提起を続けている。恋愛や結婚・離婚、性の問題、貧困、ひきこもりなど幅広く執筆。趣味はくまモンの追っかけ、落語、歌舞伎など古典芸能鑑賞。
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