■つらかった結婚生活
「夫が60歳で定年退職を迎えたら離婚する。そう思いながら結婚生活を送っていました」
ミエさん(70歳)は静かにそう言った。短大を出て就職し、25歳のとき、3歳年上の先輩から交際を申し込まれ、半年あまりの付き合いで結婚を決めた。当時の暗黙の了解に従って、彼女が「寿退社」した。
「リーダーシップがあってぐいぐい引っ張っていってくれる。仕事上ではそれが彼の長所でしたが、家庭でも同じ感じだった。引っ張っていくというよりは、あらゆることが強要された。そんな感じです」
結婚してすぐは社宅に入居したのだが、妊娠が分かると夫は「うちに引っ越そう」と実家で両親と同居することを決めた。あらかじめそういう話になっていたのだろう。ミエさんに義両親との同居の意志はなかったが、仕事を辞め、妊娠した身では抗うことはできなかった。
「うちの親も、あなたはもうあちらの家の人なんだからって。
年子で3人の子を産み、体がガタガタになった。出産後、セックス解禁になるやいなや夫が求めてくるせいだ。拒否すると夫は不機嫌になり、口もきかなくなる。それが怖くていいなりになった。
■虚飾に満ちた夫と義両親
「義両親もわがままな人たちで、私は彼らをあちこちに送り迎えするために運転免許をとらされました。実家の父がもらい事故で大ケガをしたことがあるので、私は運転免許はとりたくなかったんですが」
運転ができるようになると、義両親は徒歩5分の歯科医までも送迎させた。子どもたちだけ置いていくわけにはいかないから、いちいち子どもたちも車に乗せるしかない。すると義両親は「うるさい。置いてくればいいのに」と文句を言った。
家事育児は全てミエさんの仕事。夫は子どもの成績だけはチェックして、「誰に似たんだか」とため息をついた。
「エリートでもないのにエリートぶる。お金がないのに金持ちぶる。夫は虚飾に満ちていました。それは義両親も同じです」
20代で子どもを産み終えていたので、50歳になるころには子どもたちは全員、成人した。その後はひたすら介護に明け暮れる毎日。他人が家にはいるのを嫌がった義両親は、全てをミエさんに委ねた。
■絶対に離婚すると決めた日
寝たきりになった義父を見送ったのが54歳のとき。義母は認知症がひどくなり、夜中に家を出て徘徊したり、冷蔵庫の中のものをどんどん捨ててしまったりと目が離せなくなった。だが外を徘徊しているときに転倒して骨折、入院した。
夫は「おまえがちゃんと見ていないからだ」と激怒したが、ミエさんがトイレに入っている間に鍵を開けて出かけてしまったのだ。追いかけて探し回って、ようやく見つけたときには道路にうずくまっている状態だった。
「こっちだって精神的にギリギリだった。
義父が逝って2年後、義母も亡くなった。肩の荷が下り、体が軽くなったような気がしたとミエさんは言う。これから「自由」を手に入れたい、と。
「私の自由になるお金はほとんどなかったから、あわてて近所にパートに出ました。すると数日後には夫が『あそこのスーパーで働いているって本当か』って。本当だと言うと、みっともないことをするなと怒鳴られました。働くことがなぜみっともないのか分からなかった。楽に生活できるだけの費用をくれていたわけでもないのに」
ミエさんの不満は爆発した。夫の定年退職の日、「離婚してほしい」と伝えた。夫はフッと鼻で笑って「今すぐ出ていっていいよ」と言った。
■自殺を考えたことも……
「今まで通り生活するなら置いてやるって。絶望しかなかった。でも家を出ても生活していけないのは私だって分かってる。子どもたちだって『応援するよ』とは言ってくれたけど、実際にはみんな生活が苦しいのも承知しています。頼るわけにはいかない」
一時は自殺さえ考えた。だが、それも子どもたちに迷惑をかけるだけだと思いとどまった。夫との関係を変えることはもう無理だろう。夫は暴言を吐くが、暴力をふるったことはない。それだけでよしとしようとミエさんは決めた。
夫は73歳になった。
「夫と二人のときはずっとテレビがかかっています。それでも生活が成り立っているんだから不思議ですよね。どちらかが病気になったときどうなるのか……」
地域が主催する書道教室に通うのがミエさんの唯一の趣味だ。筆をもつと雑念が消えるという。
「人生最大の後悔は離婚できなかったこと。できるだけ早く天に召されたいです」
小さく笑いながら、ミエさんはそうつぶやいた。









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