2026年現在、世界では厳しい局面が続いています。そういった中、自国の政治家が難題を解決していく力があるのかどうか、という点に興味がある方は多いでしょう。


井沢元彦さんの著書『真・韓国の歴史 なぜ「反日」を捨てられないのか』では、日本の教育の変遷を振り返りながら、間違った「エリート」を生んでしまう背景について解説しています。

今回は本書から一部を抜粋し、本当のエリートとは何かをご紹介。組織を率いる人材に求められるものについて、ぜひ触れてみてください。

■試験秀才偏重で亡国の道を歩んだ戦前日本
皆さんはエリート教育とは何だと考えているだろうか? 「未曽有の事態」という言葉がある。若い人にはあまり聞きなれない言葉だろうか、本当はもっと使うべき言葉でもある。それは現代風に言えば「想定外の事態」だからだ。

プーチン・ロシアのウクライナへの全面侵攻もそれにあたるかもしれない。ロシアがウクライナに侵攻することは多くの人が予想していた。しかし、ウクライナから分離独立を宣言した東部の州をロシア領に編入する目的であり、まさかウクライナ全土を支配するための侵攻になるとは誰も考えなかった。私自身も予測できなかった。

しかしそうした「想定外の事態」に対しても、政治家は真っ先に対処しなければならない。ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領はよくやっていると言えるだろう。


(中略)

現代社会で求められているのはクリエイティブな才能、つまりオリジナルを作る能力である。

■「試験秀才」を生んだ日本のエリート教育
このように考えれば、日本のエリート教育は極めて異常であることに気がつく。なぜなら、予備校の繁盛を見てもわかるように、日本の教育は大学入試に強い「試験秀才」を育成するのが主目的になってしまっている。試験とは言うまでもなくすべて過去の分野から出題される。

したがってこういう教育の下では、想定外の事態に臨機応変に対応できる人材より、過去の出来事に精通している人間の方が評価されてしまう。わかりやすく言えば、ゼレンスキー大統領よりクイズ王が英雄となる世界になってしまう。

試験秀才というのは問題が多い。たとえば現代日本では運転免許試験なども含めれば、試験を受けた経験がない人間はおそらくいないだろう。あなたが何らかの試験の経験者だとして、大学入試でも英検でも何でも良いのだが、ペーパーテストをこれから受けようとする人間にアドバイスできることが一つあるはずだ。

それは簡単な問題から先に解き点数を稼いで、次に難しい問題をやれということで、簡単に言えば「難しい問題は先送りしろ」ということだ。つまり試験秀才という「先送りの名人」を重んじる国家では、難しい問題を先送りにする人間が、国家の要職に就いてしまう。

本当に国家に期待されるエリートとは、この逆でなければならない。
人が嫌がること、避けて通ることを、率先して解決しようとする人間を育てることが、エリート教育の重要な眼目である。

■ペーパーテストで本当のエリートは育たない
過去のデータにだけこだわる国では、優秀な官僚は育つが本当のエリートは育たない。試験秀才全盛の世界では試験の成績がすべてだから、その頂点にある東大法学部を卒業した人間でなければエリートとは言えないことになる。

しかも彼らは試験の成績がすべての基準だから、東大法学部を出ていない人間を、自分より頭が悪いと思い込む。だからかつての帝国陸軍軍人のような学歴だけで人間の価値を判断し、それ以外の評価ができない「エリートバカ」が生まれてしまう。

おわかりだろう。すべては「述べて作らず」から始まっているのである。念のためお断りしておくが、私は「試験秀才」や官僚は社会にとって必要ない、と言ってはいない。国家の運営には過去の事例に精通している彼らの存在は必要不可欠だ。ただ彼らは想定外の問題には対応できないので、対応できる人間をあらかじめ育成しておくことこそ国家の仕事であり、エリート教育とはそういうことだと申し上げているのである。

■織田信長がいなくなった300年後の日本
織田信長は身分制度を無視して実力のある人間を抜擢できる優秀な君主だった。だからこそ最下級の兵士から出発した木下藤吉郎(豊臣秀吉)も大将に抜擢された。
それから300年後の大日本帝国陸軍はこういう人事ができなかった。陸軍大学校卒でないとどんなに優秀な人間でも絶対に大将(正確には少将以上)になれない。つまり帝国陸軍も試験秀才偏重の組織だったのだ。

そうしたトップになれる陸軍大学校出の幹部たちの多くはドイツ留学組だった。ドイツ語が堪能でドイツの要人たちとも通訳なしで話せる。また試験秀才だから自分が誰よりも頭がいいと思い込んでいる。そういう連中は、外部の人間が「ドイツと同盟を結ぶなど危険ですよ」などと忠告しても耳を貸さない。内心「ドイツ語もしゃべれないくせに何を言うか」と思っているからだ。

つまり戦前の日本は、語学の才能を鼻にかけた試験秀才によって亡国の道を歩んだのである。これが「エリートバカ」であり、こういうことに気がつくことを「歴史に学ぶ」という。

完全な実力主義でなければならないはずの軍隊ですら、学歴主義、つまり試験秀才偏重になっていたことを、われわれ日本人はもっと肝に銘じなければいけない。そうしなければ将来また同じ過ちを繰り返すことになるからだ。


もっとも信長の例を見てもわかるように、日本は昔から試験秀才偏重の国であったわけではない。そうなったのは実は明治維新からだ。あの時われわれの祖先は、身分にとらわれずに人材を選ぶために(それ自体は結構なことなのだが)、ペーパーテスト絶対の国にしてしまったのである。その弊害はもうおわかりだろう。

井沢 元彦(いざわ・もとひこ)プロフィール
昭和29年、名古屋市生まれ。早大法学部卒。TBS入社後、報道局放送記者時代『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞受賞。その後退社し執筆活動に専念。歴史推理・ノンフィクションに独自の世界を開拓。
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