私的な何事よりも「公」を重視する、それが平成の天皇夫妻の姿勢だった。海外への「私的訪問は一度もない」という明仁天皇の言葉は、療養中の雅子さまを抱える当時の皇太子一家に向けられたものだった……?

皇室記者として取材を続けてきた大木賢一の著書『「平成の天皇家」と「令和の天皇家」 二つの家族はなぜ衝突したのか』は、現天皇陛下が皇太子時代に直面した平成天皇夫妻との葛藤の正体に迫る話題の本。


今回は本書から一部抜粋し、皇太子妃時代の雅子さまの静養を巡って浮き彫りになった平成と令和、二つの天皇家の「公」に対する考え方の違いについて紹介する。

■明仁天皇の「公」への強い自負
私的な何事よりも「公」を重視する、少なくともそのように見られる努力をすべきであるという平成の天皇夫妻の姿勢が分かりやすく表れているのは、自分たちが行った外国訪問の性質を巡る当時の天皇の発言だろう。

2007(平成19)年5月の欧州訪問の際に明仁天皇が記者会見で述べた言葉は、自らの行動はすべて「公」の姿勢に基づくものだと強調し、「宣言」した端的な例だ。

長い皇太子の時代に「昭和天皇の名代」という立場で、美智子皇太子妃と共に多くの外国訪問をしてきたことに触れた上で、外国訪問全般についてこう話した。

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「名代という立場が各国から受け入れられるように、自分自身を厳しく律してきたつもりで、このような理由から、私どもが私的に外国を訪問したことは一度もありません」
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言葉に棘(とげ)のようなものが感じられ、その前年の皇太子一家によるオランダ静養を揶揄(やゆ)したものととらえる者が多かった。家族の静養という私ごとで外国訪問をする皇太子一家が責められた、という構図である。

「自分自身を厳しく律してきた」と強調するのも、裏を返せば「皇太子夫妻は自分に甘い」と責めているように聞こえる。

もっとも、この発言は「皇太子夫妻の外国訪問を含めた国際交流への期待」を尋ねられて答えたものであり、自分の皇太子時代は、海外渡航に制約があった天皇に代わっての外国訪問だったため、現在とは性質が違う、現在は様々な外国訪問や国際交流が可能である、との趣旨の中での言及だった。

明仁天皇は約半年後の会見で「決してオランダ静養に苦言を呈したのではありません」と話し、世間の受け取り方に不満を漏らした。

■美智子さまの渡欧は「私的」か
とはいえ、この時天皇が「私ども」、つまり明仁天皇夫妻を主語として「私的訪問は一度もない」としたことには、若干の疑義がある。

2002(平成14)年、美智子皇后は単独でスイスを訪れているが、目的は国際児童図書評議会(IBBY)創立50周年記念大会への出席だった。「宮内庁要覧」(平成30年版)を見ると、このスイスへの渡航は「ご訪問」ではなく「ご旅行」になっている。


件の皇太子一家のオランダ静養はどうかというと、「ご静養のためご旅行、ご滞在」となっていて、やはり「ご旅行」の扱いだ。であれば、この美智子皇后のスイス訪問は「私的訪問」とは言えないのか。

宮内庁が発表した資料によると、そもそも天皇の行う行為は、①国事行為②公的行為③その他の行為に分類される。

国事行為は憲法で決められているが、公的行為の基準はあいまいで、平成年間に大幅に増やされた。被災地の慰問や戦争の慰霊の旅などはここに分類される。

「音楽などの鑑賞」は「芸術の奨励」という側面があれば、「その他の行為」の中の「公的性格・公的色彩を有するもの」になり、厳密に個人としての関心で行く場合のみ、「純粋に私的なもの」と位置付けられる。

美智子皇后によるスイス訪問も児童図書の国際的普及という公益を考えれば公的な意味がある。

「私的訪問は一度もない」との発言は、こうしたことが念頭にあって、私的に見える行動であっても、自分たちは「公」を何よりも大切にしてやってきたのだという自負を感じさせるものだ。

そして病気を抱える雅子皇太子妃の「外国での静養」は「完全なる私」であり、皇室の在り方に反するという強いメッセージを読み取ることも可能だった。

■平成に作られた「公」の虚構
本人たちの認識はどうあれ、明仁天皇夫妻にも「私」はあったのだと考えられる例はほかにもある。「私的訪問は一度もない」と話した記者会見の直後、夫妻はスウェーデン、バルト三国、英国の欧州5カ国を歴訪している。

前述の「宮内庁要覧」では「国際親善のためご訪問」とされているが、訪問自体は、明仁天皇が外国会員となっている英国の「ロンドン・リンネ協会」から、博物学者リンネの生誕300年記念行事に招かれたことが発端だ。


それに合わせてバルト三国などの歴訪が決まったとみるのが自然である。

明仁天皇の生物学研究は世界的レベルにあるとされているが、前述の資料によれば、「大相撲御覧」などと並び「純粋に私的な行為」に分類されている。私的行為の成果として付与された協会の外国会員という身分に基づく訪問は、純粋に「公的」と言えるのか。

天皇夫妻や宮内庁側の意向と無関係に、たまたま同じ時期にラトビア、エストニア、リトアニアのバルト三国がそろって自発的に訪問を招請するというのも考えにくいことである。

明仁天皇の「公」の論理に従えば、夫妻自身の側の「行きたい」という希望自体も否定されなければならなくなる。

このように、明仁天皇夫妻は、外国訪問についても天皇や皇族の行いは「公的」でなければならないという建て前を取ったが、その実態に「私的」な要素が隠されていたとするならば、これもまた平成の時代につくられた、「公」のフィクションという構図の表れと言えるだろう。

参内を巡る騒動も、同じように「公」を重視する立場の明仁天皇が、「家族関係」すらを「公」とみなし、「私的」な徳仁皇太子夫妻を牽制するという形をとった。皇太子はそれに対して多くを語らない、語れないというジレンマに追いやられて行ったのである。

大木 賢一(おおき・けんいち)プロフィール
1967年、東京都生まれ。1990年、早稲田大学第一文学部日本史学科卒業。共同通信社入社。鳥取支局、秋田支局などに勤務し、大阪府警と警視庁で捜査一課担当。
2004年から大阪府警キャップ。2006年から2008年まで社会部宮内庁担当。大阪支社、東京支社、仙台支社デスクを経て2016年から本社社会部編集委員。2024年7月からメディアセンターデジタル編成部編集委員。著書に『皇室番 黒革の手帖』(2018年、宝島社新書)、共著に『昭和天皇 最後の侍従日記』(2019年、文春新書)、『令和の胎動 天皇代替わり報道の記録』(2020年、共同通信社)。「現代ビジネス」などインターネットメディアでの執筆多数。
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