皇室の記者会見は形式的なもの……という印象を持つ人も多いかもしれない。しかし、明仁上皇の皇太子時代の会見を見ると、強く「主体的な意志」を発信していることが分かる。


『「平成の天皇家」と「令和の天皇家」 二つの家族はなぜ衝突したのか』(大木賢一著)では、明仁天皇と徳仁天皇、それぞれの皇太子時代における「発信」のスタイルの差について、皇室記者として取材を続けてきた著者が描き出す。

今回は本書から一部抜粋し、明仁皇太子時代の記者との生々しい対話や、今も語り継がれる「日本人が忘れてはならない四つの日」に込められた強い意志の在り方について紹介する。

■対照的な二人の「発信力」
明仁皇太子夫妻は即位前から、自分たちが何に関心を持ち、何をしたいと思っているか、外に向けて発信することに積極的だった。その点は、平成時代の徳仁皇太子夫妻とは対照的だったと言える。

例えば、明仁天皇の平和への思いを表す逸話として、「日本人が忘れてはならない四つの日」という有名な話がある。

『新天皇家の自画像 記者会見全記録』という1989(平成元)年3月に刊行された本によると、この発言がなされたのは、1981(昭和56)年8月、東宮御所の間で行われた「夏の定例会見」でのことだったらしい。

私が担当していた徳仁皇太子の時代は、記者会見と言えば2月23日の誕生日の前と、公式の外国訪問の前だけであり、それ以外に「定例会見」なるものはなかった。

頻度から言っても明仁皇太子の方が記者と接する機会を多く持っていたことになる。そしてそれ以上に、語っている中身が、徳仁皇太子の時代よりもはるかに充実している。

■忘れてはならない四つの日
明仁皇太子はこの「定例会見」の時、47歳。終戦記念日の感慨について記者に問われ、次のように話した。

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「こういう戦争が二度とあってはいけないと強く感じます。
そして、多くの犠牲者とその遺族のことを考えずにはいられません。日本では、どうしても記憶しなければならないことが四つあると思います。

(終戦記念日と)昨日の広島の原爆、それから明後日の長崎の原爆の日、そして6月23日の沖縄の戦いの終結の日、この日には黙とうを捧げて、今のようなことを考えています。

そして平和のありがたさというものをかみしめ、また、平和を守っていきたいものと思っています。そしてこれは子供達にも、ぜひ伝えていかなければならないことだと思っております。そのようなことが、子供達のために強く印象づけられるように努力していくつもりです」
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この会見での記者の質問を数えてみると、21回もあり、質問と回答と言うよりも普通の会話のようである。

事前提出された五つ程度の質問に紙を見ながら答えた徳仁皇太子との違いが際立つが、明仁天皇も即位後の記者会見では質問事前提出の形式をとっていたから、天皇となる前の皇太子という立場を比較的自由の利くものと自覚していたとも思われる。

この点も徳仁皇太子とは対照的なのではあるまいか。

■記者と対等に語る主体性
この時の発言は、日本が経験した戦争への自らの向き合い方を吐露したものであり、「努力していくつもりです」という言葉は、即位後も続く行動の宣言として力強く感じられる。明仁皇太子の発言をもう少し引用しようと思う。

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「さっき黙とうするっていいましたが、これは原子爆弾の落ちた時ということになっていますけども、この(沖縄の)場合はそういうことがないわけですね。ですから、その日に黙とうすることにしているわけなんですが、ただ、私なんかどうしても腑に落ちないのは、広島の時はテレビ中継がありますね。


それに合わせて黙とうするわけですが、長崎は中継ないんですね。やはり同じような被害を受けたわけだから、当然同じに扱われるべきものなんじゃないかと思うんですけれども。

それから沖縄戦も県では慰霊祭を行っていますが、それの実況中継はありませんね。平和を求める日本人の気持ちは非常に強いと思うのに、どうして終戦の時と広島の時だけに中継をするのか。どういうわけですかね」
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明仁皇太子はテレビ局の中継に疑問を呈し、記者に逆質問している。記者が「そういうことのないようにしたいものです」と答えると、「ぜひそういうふうに皆さんの力でやっていただきたいと思いますね」と、メディアの奮起に期待するような言葉を述べた。

皇太子の立場にある者が、自身の発言においてこれだけの主体性の高さを維持していることは、平成と令和を経験した身からすると、驚くばかりだ。

生き生きとした記者との会話は、この時代の牧歌的とも思える皇室と記者との「近しさ」による部分もある。しかし、それだけではなく、この記者会見でのやり取りからは、明仁皇太子が政治や社会に関わり、意思を発信することへの強い意欲を持っていたことが分かる。

大木 賢一(おおき・けんいち)プロフィール
1967年、東京都生まれ。1990年、早稲田大学第一文学部日本史学科卒業。共同通信社入社。
鳥取支局、秋田支局などに勤務し、大阪府警と警視庁で捜査一課担当。2004年から大阪府警キャップ。2006年から2008年まで社会部宮内庁担当。大阪支社、東京支社、仙台支社デスクを経て2016年から本社社会部編集委員。2024年7月からメディアセンターデジタル編成部編集委員。著書に『皇室番 黒革の手帖』(2018年、宝島社新書)、共著に『昭和天皇 最後の侍従日記』(2019年、文春新書)、『令和の胎動 天皇代替わり報道の記録』(2020年、共同通信社)。「現代ビジネス」などインターネットメディアでの執筆多数。
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