2000年はじめ、秋葉原には現在と異なる文化があった。美少女PCゲームのブーム、歩行者天国での路上ライブ、そして萌えソング。現在のアニメシーンの礎となったそれら文化の中で、特に美少女ゲームの楽曲を手がけて萌えソングの分野を開拓した「UNDER17」の功績は計り知れない。さあ、今こそその「伝説」の軌跡を辿ろうではないか!2002年から2004年までの、わずか2年間の活動期間にも関わらず、今なおオタクの間やエンタメ業界で語り継がれる存在「UNDER17(アンダーセブンティーン)」。声優でシンガーソングライターの桃井はるこさんと、現在「ULTRA-PRISM(ウルトラ・プリズム)」としても活動するギタリスト・小池雅也さんによる音楽ユニットは彗星のように現れ、そして惜しまれつつ去っていった……。電気街としての秋葉原が「萌えの街」となり、美少女ゲームのヒロインたちが店頭のプロモーション映像などで笑顔を振りまいていた2000年代初頭。そんな時代にUNDER17は「電波ソング」というジャンルを確立して一時代を築いたのである。あれから15年。「萌えソング」や「電波ソング」は時代の流れに上書きされ、今やその形をおぼろげなものにしつつあった。……でもそれでいいのだろうか?……若く、熱く、そして勢いに満ちたあの時代を個々の記憶に封じたままでいいのか?我々はその「記憶」を書きとめ、後世に伝えるために、秋葉原オタク文化の先駆者であり、萌えソングの可能性を切り拓いてきたUNDER17のお二人に当時のことを振り返っていただいた。まずはモモーイこと桃井はるこさんのインタビューを、そして後日掲載の後編では小池アニキこと小池雅也さんのインタビューをお届けする。【取材・文=気賀沢昌志/撮影=小原聡太】■Vtuberにも影響を与えたカリスマ的存在UNDER17こと「アンセブ」は、ボーカルの桃井さんとギターの小池さんによる2ピースユニットだ。ライブではさらに女性2人組の「アンセブダンサーズ」やバックバンドが加わり会場を盛り上げる。その特徴は、桃井さんの甘い歌声と、キャラクター作品の曲とは思えない小池さんの楽曲センスである。大音量で新作ゲームのプロモーションをするという秋葉原の特殊な環境も手伝い、UNDER17が作る音楽は「強烈なインパクトを与える歌詞」「耳に残る曲調」「印象的な合いの手」といった要素が加わり、萌えソングの一部が「電波ソング」と呼ばれるようにもなった。……つまり新ジャンルの確立である。またUNDER17が地上波TVアニメの主題歌を担当するようになると、ユニットの知名度と萌えソングの需要はますます広がりを見せていく。UNDER17はジャンルの開拓者であり萌えソングの伝道師だったのだ。実際にUNDER17の楽曲に触れ、今なお心の中に「萌えソング」を抱き続けるファンについて、桃井さんは感じた「熱」をこう語る。「日本各地や海外でもイベントのお誘いを頂くのですが、最近は『桃井さんを呼べるようなイベントにしよう!を目標に、ずっとこのイベントを続けてきました!』とおっしゃってくれるイベンターさんがけっこういたんです。ひとつの目標にしてもらえるのは本当に光栄ですよね。UNDER17をしていた当時は忙しくて、皆さんのリアクションを客席の様子でしか知ることができませんでした。でもこうして振り返ってみると、ライブに来られなくても楽曲を聴いてくれる人がこんなにもいたんだなと、この15年ですごく感じました」さらにそのカリスマ性は、エンタメの最前線であるVtuberにも影響を与えている。個人Vtuberの名取さなさんや、ホロライブ所属のAZKiさんだ。AZKiさんは自身の番組「アズラジMAX」で桃井さんと共演を果たし、UNDER17時代の楽曲からずっとファンであることを告げ、さらに魂の一部がもはや桃井さんそのものであると告白。名取さんはニコニコ超会議のステージなどで楽曲を熱唱するほどの熱烈なファン。そのことを知った桃井さんが名取さんに楽曲を提供するなど親交が深まっている。自身も1997年にバーチャルアイドル「もあいはるこ」をプロデュースしたという桃井さんは、「おふたりとも『桃井さんに影響を受けて』とか『アンセブの曲がすごく好きでした!』とおっしゃってくれたんですよ」と頬を上気させていた。■15年ぶり復活の「なぜ?」新型肺炎の影響で、開催日が3月19日から7月22日に変更された音楽イベント「ススメ★萌でんぱ少年!!大復活祭2020!!~過ぎさりし萌をもとめて~」では、UNDER17はもちろん、Little Non、<B>ULTRA-PRISM</B>、でんぱ組.incといった歴代「アキバ系音楽ユニット」が一堂に会して「萌えソングの系譜」を披露する。あの時代を知っている人間にとっては夢のようなイベントだ。現にイベントが発表された1月1日は、情報を知ったファンが「マジ!?」「2020年はじまったな!」とその「奇跡」に沸き立った。出演する顔ぶれを見て頂ければ、当時を知るファンならオールスター感を共有してもらえるだろう。まず「ULTRA-PRISM(ウルトラ・プリズム)」は小池さんと月宮うさぎさんによる現在進行形のユニットだ。アニメ『侵略!イカ娘』のテーマ曲「侵略ノススメ☆」などでおなじみ。萌えソングを受け継ぐ「今」のユニットである。「でんぱ組.inc」もULTRA-PRISMと同じく「アキバ系音楽ユニット」の系譜に連なるグループだ。なにより小池さんも楽曲提供をしている「ファミリー」である。「Little Non(リトルノン)」は秋葉原の歩行者天国出身で、アニメ『こどものじかん』のテーマ曲「ハナマル☆センセイション」などのヒット曲を世に送り出した。秋葉原の歩行者天国は現在、路上ライブはもちろんあらゆるパフォーマンス行為が禁止されている。Little Nonはパフォーマンス行為が禁止される以前の、さらにはそのパフォーマーさえいなかったガラガラの時代からストリートライブを開始して注目を集めていた。またライブ終了後にゴミ拾い活動をしており、その誠実な姿勢も評価されていたのである。アキバ文化を語るうえで決して外せない。UNDER17とは異なる文脈で誕生し、やがてメジャーデビューを果たすことになるLittle Non。残念ながらユニットは2011年に解散。ボーカルのNOZOMIさんは現在、「永野希」として舞台や声優の仕事もしている。今回はLittle Non復活ということもあり、一日限定の「NOZOMI」名義でステージに上がるとのこと。すでに解散した2組のユニットが同じステージで復活するなど、はたして誰が予想できただろうか?もともと今回のイベントは「萌えソング自体なかなか語られる機会がなく、このままでは時代に埋もれてしまう」という危機感から企画されている。UNDER17が開拓し、Little Non、でんぱ組.inc、ULTRA-PRISMへとバトンが渡された萌えソングの系譜を、イベントを通じて歴史に刻もうというわけだ。ただのノスタルジーでもいい。しかし裏には大きな意義が隠れている。そのシンボルとしてUNDER17を復活させる桃井さんにとっても、今回の企画は長年待ち続けたイベントだったようだ。「UNDER17を今知ったという人から、当時のライブを体験したかったというお声をずっと頂いていたんです。私自身、節目に何かできたらいいんだけど……と思いつつ時間だけが過ぎてしまいました。こういったイベントは自分たち主導ではなかなか実現しません……。ですから今回、このような機会を頂きまして、とても感謝しています。そしてずっと待ち続けていた皆さん、奇跡の復活が実現しますよ!」→次のページ:秋葉原が生んだ「電波ソング」■秋葉原が生んだ「電波ソング」それでは「電波ソング」とは具体的にどんな音楽だったのだろうか?「楽曲制作において、私が昔からこだわっていたのは一度聴いたら歌えるような楽曲でした。たとえばUNDER17の処女作『いちごGO!GO!』は、秋葉原の雑踏でかき消されないよう、『なんだこの歌は?』と気づいてもらえる楽曲にしたかったんです。あの当時の秋葉原は今ほど騒音規制が厳しくなくて、中央通り沿いではリリース間近の美少女ゲームのプロモーション映像を大音量で宣伝することが多かったんです。でも周囲には、あの誰でも口ずさみたくなる有名な電気屋さんのテーマソングもかかっているわけですよ。それらに負けず、インパクトのある歌詞や耳に残るメロディにしないと気づいてもらえない……。それで完成した曲に、たまたま後に『電波ソング』と呼ばれる特徴が備わっていたんです」「いちごGO!GO!」には桃井さんのロリボイスで「GO!!GO!!」という煽りが入っている。ヒロインの甘いセリフやポップなオノマトペが入っている楽曲が「萌えソング」と呼ばれるのだ。電波ソングはそれより際立った個性がある楽曲のこと。ネットスラングの「電波」に由来する、インパクト重視の楽曲がそう呼ばれる傾向にある。「ですから私自身は一度も電波ソングを目指したことはありません。作ったものがそうなってしまうんです。結果、作ったものに対して、『桃井はるこ』の名前を出していたわけでもないのに『いちごGO!GO!を歌ってるのって桃井さんですよね?』と気づいてもらえるようになりました。その出来事がきっかけとなり、小池さんに改めて『UNDER17をやりましょう!』とお願いしたんです」もともと桃井さんはソロで活動しており、ソロ時代から小池さんに編曲を依頼していた縁がある。その流れでUNDER17をやるかどうか考えていたら「いちごGO!GO!」の手応えがあったというわけだ。秋葉原の雑踏に負けないような楽曲、雑踏の中で注目されたこと……「いちごGO!GO!」という楽曲を介してあらゆる運命が「UNDER17結成」に収束した。少し大袈裟かも知れないが、UNDER17はあの時代に生まれるべくして生まれたユニットだったのかも知れない。■2000年当時の秋葉原の日常「中央通り沿いにはゲームを扱う店舗が何軒か並んでいたのですが、『あっちがあの曲をかけたから、こっちはこの曲を大音量でかけよう!』とか、『予約特典が抱き枕だから、こっちはその抱き枕を店頭に掲げよう!』と対抗意識を燃やしていたんです(笑)。でも18禁ゲームの抱き枕ですからね。絵柄がセクシーすぎて商店街の人に怒られていましたよ(笑)。そんな文化がありましたね。例えば今はオープニング動画を先行して配信したりしますよね。でも当時はネットで音声をやり取りするということもありませんでした。店頭でプロモーション映像を見てもらうことに大きな意味があったんです。ギリギリあったのは、オープニング曲のショートバージョンがMP3形式でダウンロードできるくらいでしたね。ですから『なんだこれ?』と思わせて検索してもらい、曲をダウンロードさせる流れにしようと宣伝担当者も頑張っていたんです」■2000年当時は稀有な存在だった「UNDER17」現在、声優、シンガーソングライター、文筆業など幅広く活躍する桃井さん。アイドルグループ「純情のアフィリア」のプロデューサーとしてもその手腕を発揮している。もともとセルフプロデュースをしながらご自身の活動の場を広げてきた桃井さんは、UNDER17でも様々な想いや意図を込めて活動してきた。「私は18禁ゲームの公式サイトから曲をダウンロードして聴くのが好きでした。当時は『これは流行の〇〇風だな!』とか『こういう感じの曲にしたんだ』とワクワクしたものです。でもあの頃は18禁ゲームの歌を歌う人は非公表が普通で、どんなに良い曲でも歌手や作曲家を追いかけられない状況だったんです。そのフラストレーションがあったので、私は自分が歌う立場になった時、『そんな思いはさせないぞ!』と名前を出すことにしました。私の名前が出ることで、『みんなちゃんと聴いてくれているんだぞ』ということが証明されると思いましたし、それでクリエイター側も励まされ、さらにいいものを作ってくれたら嬉しいかなと」理由はもうひとつある。「今でこそ、当たり前のようにTVアニメ化される存在になりましたが、UNDER17を結成した2002年当時、美少女ゲームはまだそれほど大きな文化ではなかったんです。私たちオタクはものすごく可能性を感じていましたが、『18禁』の部分だけがクローズアップされていたようなところがあったんですね。つまりまだ少しアニメよりアンダーグラウンドな存在だったんです」2000年頃は「泣けるエロゲー」ブームが到来し、「18禁ゲームなのに泣ける」という煽り文句のもと、マスコミでもたびたび取り上げられていた。アングラな存在だが一部タイトルは話題になり、業界に昼と夜が混在するような状況だったのである。「そのため18禁のお仕事がタイアップとして見られていなかったというか、実力のあるアーティストさんがアルバイトとしてやるようなイメージでしたね。だからこそ、私は本気でやりたいと思いましたし、本気でやればきっとそれに共感してくれる人もいると思いました。それはファンもミュージシャンも同じです。当時、私はすでに声優としてデビューさせて頂いていましたが、メジャーなお仕事ができるうちに『桃井はるこ』の名前で堂々と18禁ゲームの歌を唄うことが重要だと思いました。若い世代から見ると意外な時代だと思います。当時は顔出しで18禁ゲームのアーティストを名乗る人が珍しかったですから、めちゃくちゃ面白かったんですよ。それに美少女ゲームの発売イベントで、スタンディングで盛り上がるような場所もありませんでしたからね」→次のページ:「オタクのための音楽を作りたい!」■「オタクのための音楽を作りたい!」UNDER17がエポックメイキングだったのは、顔出しで活動したことや「電波ソング」というジャンルを確立したことだけではない。ライブイベントも大きな理由だ。「UNDER17の初のステージイベントが『キャラフェス2002春』でした。そのイベントは美少女ゲームの展示会で、各ブースでは開発スタッフの座談会やシンセサイザーでBGMの実演なんかをしていたんです。UNDER17結成前にそのイベントを訪れた時、ここでスタンディングのライブをしたらめちゃめちゃ面白いだろうなと思ったんです。同じ趣味のもと、あれだけ多くの若者が集まっているのに、体験版のCDロムをもらって帰ってくるだけじゃ寂しいじゃないですか。それで思い出になればいいなと思ってステージに立つことにしたんです。その時からもう『みんな立っていいよ!』って煽って(笑)。客席の前の人は座って見ているんですけど、後ろの方では盛り上がってくれる人もいたので『これは行ける!』と初回から思いました」しかし不安もあったようだ。「秋葉原でもライブイベントがありましたけど、スピーカーを入れ、ディストーション・エフェクターを使用した『ギューン!』というエレキギターのヘヴィな音を出すようなイベントって美少女ゲーム業界では珍しかったんです。しかもオープンスペースですよ! 苦情が来るんじゃないか、お客さんが来なかったらどうしようかって。毎回どうなるか分かりませんでしたけど、『18禁の作品でもいい』『流行の曲とは違う電波ソングでもいい』……そうやって共感する人たちが応援してくれるので、すごくやりがいがありましたし、楽しかったです」「当時のオタクは虐げられていたし、恥ずかしい存在という認識でしたから、今ほど公言できない状況でした。それまでの流行歌って、例えば遠足のバスの後ろで騒いで夜になれば女子の部屋や男子の部屋に行けるような人が作った音楽だったと思うんです。でも私がUNDER17でもソロでもやりたかったことは、私もそうでしたけど、バスの前の方の、先生の隣で気持ち悪そうにしている子に向けての音楽だったんです。その人たちに、『やっと自分たちの音楽を見つけた!』と思ってもらえたんでしょうね。『オレたちだって盛り上がっていいんだ!』とフラストレーションを爆発させる場を作れたとしたら嬉しいと思いました」桃井さんはUNDER17としてステージに立つ時に必ずメガネを着用していた。これはオタクに寄り添う意味を込めた、UNDER17における桃井さんの「ポリシー」である。なお「Animelo Summer Live 2008 -Challenge-」で会場に投げ込まれたメガネは、今もファンの手元で大切に保管されているようだ。■盟友「小池雅也」UNDER17のユニット・パートナーというだけではなく、それ以前から桃井さんのソロ曲の編曲も手掛けていたという小池さん。その出逢いはまだ桃井さんが高校生の頃。SF作家の渡辺浩弐さんが設立した映像制作会社「GTV」に駆け出しのライターとして出入りしていた時だ。「渡辺浩弐さんの多彩なお仕事ぶりを拝見するうち、私も『自分の表現の根幹って何だろう?』と思いはじめたんです。それで子供の頃から好きだった音楽しかないと思い、曲を自作して渡辺さんに相談したんです。すると『会社と取引があるスタジオにリミックスもしているエンジニアさんがいるから、その人に編曲してもらったらいいんじゃない?』と紹介していただきました。その人が小池さんでした。当時は80年代の音楽がカッコ悪いと言われている時代でしたが、私はそういうのが好きで、例えば『これはヴァン・ヘイレンの「ジャンプ」みたいな音色でいいんですけど』と言うと、小池さんは『えー、カッコ悪いよそんなの』なんて言わず『なるほど』って分かってくれるんです。それで作ったのが1997年のソロ曲『GURA GURA』でした。そこから編曲をお願いするようになり、『キャラフェス2002春』ではUNDER17としてステージに立ってもらったんです。嫌がる小池さんをむりやり引っ張り出して(笑)」だが桃井さんが小池さんを盟友に選んだのは、ただ「受け入れてくれたから」という理由だけではない。「当時、オタクに対する風当たりの強さが、一般的にも業界の一部にもあったんです。私はそういう人が許せなくて鬱々とした気分になったこともありました。でも小池さんは絶対にそんなことをしない人でした。自分の音楽を聴いてくれる皆さんに凄く感謝していて、オタクを邪険にしない人だったんです」「小池さんがいなかったら私は音楽の仕事ができていなかったと思います。感謝しかありません。私のワガママでUNDER17を解散してしまい、小池さんには申し訳ないと今でも思っています」→次のページ:UNDER17解散。そして伝説へ……■UNDER17解散。そして伝説へ……2002年2月に結成されたUNDER17は、その2年後、2004年11月に横浜BLITZで開催された「FIRST LIVE TOUR FINAL そして伝説へ」で解散した。そのツアーでは初日に桃井さんが倒れ、喉が枯れた状態で公演を行うなど、もはやUNDER17を続けていくことが困難だと思い知らされる場面もあった。そして運命の11月20日、横浜。会場には解散を惜しむファンが大勢駆けつけた。「フロアのドアが閉まらないほど大勢の方に来ていただきました。モニターしか見えなかったという人もいたんです。解散はもちろん、ストレスを感じさせてしまい申し訳なさしかありませんでしたね……。今でも覚えてますよ。歌っている間、多くの人がずっと泣いていました……。でも正直、あの頃は心身ともに限界でした。もうUNDER17をやめないと先が見えない……そんな状況にまでなってしまって……。もしかしたら休止という選択肢もあったかもしれません。でも当時は忙しすぎて、本当に追い詰められていたんです」桃井さんは「あの場に来たいと思ってもらえたことが嬉しかった」と寂しそうに語りつつ、しかし解散に悔いはないと語ってくれた。こぼれる「申し訳ない」の言葉で、取材の場となった会議室が埋まっていく。「それに、ジャンルがまったくないところから始めたのに、『UNDER17の音楽ってこうだよね』とイメージが固定されはじめたのも悩みの原因でした。いつでも一曲一曲、すごくがんばって作っていますから、流れ作業になるのが嫌だったんです」萌えソング自体、UNDER17でできることがなくなり、結果、当時まだ20代ということもあって「感性が若いうちに色々な人とコラボしたい」「色々なジャンルの音楽もやりたい」と思うようになった桃井さん。UNDER17をはじめたのは、もともと「未知の領域を覗きたい」という持ち前の好奇心からだった。それはさながら大宇宙を探査し続けるU.S.S.エンタープライズ号だ。カーク船長とスポックのコンビを中心として未知なる宙域を進み、つねに新たなフロンティアを目指す。目の前にあるのは好奇心だけ。放たれた矢は決して止まらない……。最近の桃井さんのソロ曲『星空ダンシング』。(作曲・作詞:桃井はるこ)→次のページ:「萌でんぱ少年」への意気込み■伝説、復活!「UNDER17として最後にリリースしたベストアルバムに『そして伝説へ……』というタイトルをつけたのですが、これは『皆さんがずっと聴いていてくれれば、私たちは解散しても音楽の中でUNDER17であり続けられる』という想いを込めています。ですから2枚組の2枚目には、歌い継げるよう、無理を言ってカラオケを入れてもらいました」願いを込めてリリースしたアルバムは愛され続け、次世代のエンタメを担う人たちにも届いた。まさに「伝説」が実現したのである。「今度、『萌でんぱ少年』というイベントでUNDER17が復活します。望まれて復活できるのは本当にありがたいことです。たぶん、当時を知る人の方が少ないと思います。私も久しぶりに小池さんと組むのでどうなるか分かりませんが、『これがアンセブか』と思っていただければ(笑)。私も2002年当時の気持ちでやろうと思っています。いらっしゃる皆さんも、萌えとかオタクが市民権を得ない秋葉原の、まだ秋葉原デパートやメッセサンオーやロケットがあって、店員さんたちがエアコンのチラシを配っている、その頃に戻ったような気持ちになってもらえたらいいですね」UNDER17解散の地が横浜BLITZで、『萌でんぱ少年』が開催される場所が「KT Zepp Yokohama」という、運命的に近い距離で開催される本イベント。桃井さんも「場所が近いのも不思議な話ですし、復活するなら今だったんでしょうね」と、その「気づき」を我々に教えてくれた。「昔は毎月のように救急車で運ばれていたり、ライブの次の日は声が出なくなってラジオ出演が難しくなったりしたことがありました。でも今はすっかり元気になりましたよ。そのパフォーマンスを会場でお見せします。本物のUNDER17ですよ!!」最後に小池さんへのメッセージを預かった。「UNDER17時代で一番好きな楽曲は、私は……うーん……ひとつ選ぶのは難しいですけど、やっぱり『天罰!エンジェルラビィ』かな。今って一曲が長いですけど、あのサイズ感がいいと思います。小池さんはUNDER17の曲で何が一番好きですか?」その答えは、「小池アニキが秋葉原の「伝説」を語る!「UNDER17」復活!! 【独占インタビュー(後編) 】へ続く!▼新型肺炎による開催日変更に伴い、桃井さんよりメッセージを頂戴しました。こんにちは、桃井はるこです。UNDER17として「萌でんぱ少年」に出演すると発表があってから、ファンのみなさまより大きな驚きと喜びのお声をいただいていました。スタッフの方も準備を進めてくださっていましたが、苦渋の決断により延期となりました。すごく楽しみにしていただいていたのに、ごめんなさい。しかし、開催される際には最高のライブにしたいと、決意を新たにしております。それは他の出演者のみなさんも同じ気持ちだと思います。わたしも大変はりきっており、久々にアンセブらしい衣装も既に用意しておりました。来てくださるみなさまもチケットを手にわくわくしていてくださいましたよね。さらにお待たせしてしまい申し訳ないですが、新たな日程が発表されるのをお待ちくださいね。「萌でんぱ少年」のステージで笑顔でお会いできることを願っております。最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。令和2年3月 桃井はるこ ■プロフィール桃井はるこ(ももい はるこ)/12月14日生まれ。東京都出身。射手座。O型。ライト・ゲージ所属。1996年より活動を開始。1997年には秋葉原の路上でゲリラライブをしてメディアに注目される。メジャーデビューは2000年リリースのシングル「Mail me」。以後、声優・シンガーソングライター・ラジオパーソナリティー・作家・MC・アイドルプロデューサーなど多方面で活躍。アニメ・マンガ・レトロゲーム・映画・ラジオ・ミニ四駆・80年代アイドルソング・競馬・野球観戦(東京ヤクルトスワローズ)など幅広い趣味を持つ<discography(おもなタイアップ曲)>・「それいゆ -Dear Destiny-」(TVアニメ『ファンタシースターオンライン2 エピソード・オラクル』)作詞、作曲、歌・「起・承・転・結・序・破・急」(TVアニメ『俺が好きなのは妹だけど妹じゃない』)作詞・「HELP ME!みゅーちゃん!」(楽曲提供:高木美佑)作詞、作曲・「Animetic Love Letter」(TVアニメ『SHIROBAKO』)作詞、作曲・「げんし、女子は、たいようだった。」(TVアニメ『げんしけん 二代目』)作詞、作曲・舞台版『弱虫ペダル』劇中歌『恋のヒメヒメ☆ぺったんこ』『ヒメのくるくる片思い』作詞(共作)、作曲、歌唱・「非公認戦隊アキバレンジャー」(特撮番組『非公認戦隊アキバレンジャー』)作詞、作曲・「Rolling! Rolling!」(TVアニメ『ロウきゅーぶ!』)作詞、作曲・「Romantic summer」(TVアニメ『瀬戸の花嫁』)作詞、作曲、編曲・「アキハバラブ」(楽曲提供:ぱふゅーむ)作詞、作曲・「愛のメディスン」(TVアニメ『ナースウィッチ小麦ちゃんマジカルて』)作詞、作曲、歌……など■イベント情報【タイトル】 ススメ★萌でんぱ少年!!大復活祭2020!! ~過ぎさりし萌をもとめて~【日程】※新型肺炎の影響により、3月開催から7月開催に変更になりました。振替開催日:2020年7月22日(水)開場:17:30開演:18:30※振替公演の開演・開場時間に変更がございますのでご確認ください。(開場・開演が30分早くなっております。)【会場】 KT Zepp Yokohama【料金】※開催日変更にともなうチケット払い戻し、または販売状況等は公式サイトをご確認ください。【出演】 UNDER17、Little Non.、ULTRA-PRISM、でんぱ組.inc スペシャルゲスト:橋本みゆき【一般発売日】一般発売:2020/2/22(土) 10:00より各プレイガイドにて発売スタートプレイガイド:チケットぴあ / ローソンチケット / イープラス【注意事項】 ※3歳以上有料 ※車椅子エリアは会場の都合により見えづらい場所がございます。予め、ご了承ください。 ※営業目的の転売禁止 ※転売チケットの入場不可 ※オークション等への出品禁止 ※会場内での迷惑行為禁止