業務としてモータースポーツに参戦する自動車メーカーが多い中、特別自己啓発活動としてほぼ手弁当でスーパー耐久シリーズに参戦する「Honda R&D Challenge(以下HRDC)」を以前ご紹介しました。実はHondaの特別自己啓発活動として、もう1チーム参加しています。
■この記事を読めばさらに楽しい
・クルマ作りの人材育成のためスーパー耐久に参戦するHonda従業員チーム「Honda R&D Challenge」
Honda四輪事業が始まった頃から存在する「歴史ある自動車部」


椋本さんは、2010年に本田技術研究所創立50周年を記念して行なわれた社内コンテスト「新商品提案企画」で、手軽に乗れる“軽オープンスポーツ”を提案。その後、2011年に22歳の若さで開発責任者(LPL)に就任し、軽スポーツカー「S660」を作り上げました。話題が話題を呼び、さまざまなメディアに露出したので、椋本さんのことをご存知の方も多いかと思います。筆者が出会ったのもその頃で、彼に興味を懐きS660を試乗したら、いつの間にかハンコをポン。マイカーとして迎え入れてしまいました。

筆者が納車を待つ約1年の間、椋本さんは2016年頃にLPLの任を解かれ、本来のデザイナー職に戻ったのだとか。人にクルマを買わせておいて逃げるとは何事かと思いましたが、会社の都合なのですから彼に非はありません。戻った椋本さんが担当したのは、車内の限られたスペースの中に、どのように人や物を配置するか、という分野だそう。
Hondaが掲げるクルマづくりの基本思想「人のためのスペースは最大に、メカニズムは最小に(マン・マキシマム/メカ・ミニマム)」を考えるのがお仕事とのこと。どうりでS660のドライビングポジションは気持ちがいいわけですね。ちなみに最近担当したのはタイなどで販売しているCITYなのだとか。

スポーツカーを作ったことから、モータースポーツが好きなのは理解できるのですが、どうしてスーパー耐久の監督兼ドライバーになったのでしょう。ことの発端は、任が解かれた2016年頃にさかのぼります。ある日「N-ONEオーナーズカップのドライバーに空きがでたので、代わりにサーキットで走ってみないか?」という悪魔の誘いからです。

もともと彼の近くには、後にモータースポーツに関係する人が多いようで、現在スーパー耐久のST-Qクラスに参戦するHRC(ホンダ・レーシング)で陣頭指揮を採る岡さんは、なんとS660のテストドライバーで、さらにHRDCの代表を務める木立さん(現:Honda広報部)の教え子というから驚き!

さらに「新商品提案企画」で椋本さんを支えたデザイン室の上司は、2019年からHonda F1専任のマネージングディレクターを勤めた山本雅史さんというではありませんか。ちなみに山本さんは昨年「勝利の流れをつかむ思考法 F1の世界でいかに崖っぷちから頂点を極めたか」(KADOKAWA刊/1650円)を上梓されており、その中で具体的な車種のことは出していないものの、この「新商品提案企画」のことについて触れているので、興味のある方はご一読ください。
■この記事を読めばさらに楽しい
スポーツカーを作りたいという人の近くには、モータースポーツに関する人が集まりやすいのかもしれませんが、とにかく世間は狭さには驚かされます。
話を戻し、この悪魔の誘いが椋本さんとTEAM YAMATOの出会いの始まり。N-ONEでスポーツランドSUGOを走ったところ、モータースポーツの楽しさにハマってしまい、TEAM YAMATOで活動するようになったのだとか。ところが、このTEAM YAMATO。実は創設が1965年とHondaが四輪事業を始めた頃から続く、実に由緒正しき“部活動”だったというではありませんか。こうして活動しているうちに、いつの間にか代表に祀り上げられ、現在に至るというわけです。

Hondaに入ったからといって、誰もがHRCに行ってF1やMotoGP、SUPER GTやSUPER FORMULAに携われるわけではありません。社会や企業は、自分の希望どおりにはいかないものです。
このような活動は、事業所ごとで行なわれているとのこと。ちなみにほかの自動車メーカーに似たようなものはあるのかというと、筆者の知る限り、Hondaほど活発ではないようです。


それゆえ社内には特別自己啓発活動に対して理解があり、有休申請が通りやすいのだそう。椋本さんも、スーパー耐久に参加する時は木曜日ぐらいから有給を取得されているとのことで「もう、有休を使いすぎてヤバいんですよ(笑)」だとか。ご家族から「休みの日はレースばかりして!」といった文句が来ないのかなと思いましたが、安心してください。現在35歳の椋本さんは独身です。

TEAM YAMATOは、若い方を中心にスーパー耐久シリーズのほか、ダートトライアル、そしてN-ONEオーナーズカップなど、幅広いカテゴリーに参戦しています。部員は20名弱で、勤務先は様々。
スーパー耐久シリーズに再挑戦し始めたのは2017年からで、以来、先代のFIT RSで参戦を続けています。昨年、新しくFIT RSが出たのにどうして先代? と尋ねると「MT仕様がないから」と、ちょっと残念そう。

椋本さんがチーム代表になったのは2020年から。そして一昨年、初めて富士24時間に挑戦したのだそうです。初年度は勝手がわからず「しっちゃかめっちゃか」だったそうですが、今年再挑戦すると「前回の経験が自信になりました」というわけで、成長を感じられたとのこと。この「成長」が、特別自己啓発という活動において重要であり、レースに参戦する最大の目的なのだとか。もちろん勝利は目指しますが、勝利以上のものを常に得ているというわけです。


チーム代表兼ドライバーとして参戦する椋本さん。その活動が本職であるデザイン業務に結びつくのかというと、「直接的には結びつかない」といいます。ですが「レースウィークはもちろんですが、次のレースに向けての準備など、モータースポーツはやることがとても多いんです。その限られた時間の中で、やる/やらない、という判断を瞬時に決めなければなりません。


特別自己啓発活動という点でHRDCとTEAM YAMATOは同じです。ですが生い立ちは異なり、HRDCはシビック TYPE Rの開発責任者である柿沼さんと開発ドライバーの育成を担当されていた木立さんという、車両開発側の人が「シビック TYPE Rでニュルブルクリンク24時間レースに参戦しながら、人材育成をしたい」と「業務」として出発し、その後、特別自己啓発へと変わったという生い立ちがあります。
一方、TEAM YAMATOは発足当初からHondaの自動車部(後に特別自己啓発活動)として、様々なカテゴリーに挑戦しています。ですのでHRDCは開発寄り、TEAM YAMATOは参加することに重きを置いているといえそう。


あとHRDCには「サーキットのリトルエンジェル」であり「サーキットのブラックダイアモンド」とも言われるレースクイーンの葵 成美さんがいらっしゃるのですが、TEAM YAMATOにはいらっしゃいません。その代わりと言っては何ですが、ピットには他チームが配布していた人気レースクイーンユニットのウチワがさり気なく置かれていました。
大学の自動車部の雰囲気。時に真剣、時に笑顔
TEAM YAMATOが、7月上旬にスポーツランドSUGOで行なわれたスーパー耐久シリーズに参戦するというので、ピットにお邪魔しました。



この日のレースは9~12時頃まで行なわれる3時間レース。朝早いにもかかわらず、スタッフの皆さんは朝から元気にテキパキとマシンチェック。右を見ても左を見ても若くて、中にはドレッドヘアーの方もいました。代表の椋本さんがスタッフに指示を……ということはなく、各自が自主的に仕事をされていて、椋本さんが一番暇そうにされている感じ。いや、筆者を含めた取材や来客の対応をされていました。



会社から多少の補助は出ているものの、特別自己啓発活動は基本的には手弁当。チームウェアやヘルメット、レーシングスーツなど、そのほとんどは自腹だそうです。部費を集めて必要な物を揃えるというあたり、大学の自動車部の延長みたいなものかなと感じました。それゆえか、ピットに流れる雰囲気も、どこか学生のノリに近いようにも。時に真剣、時に笑顔。実に楽しそうです!


ピットを見回すと、とてもキレイ。


今大会では予選2番手だったTEAM YAMATO。ドライバーは社内の評価ドライバーではなく、デザイナーやエンジニアなのだそうです。フロントローのグリッドで椋本さんは「メンバーに優勝の感動を味わってほしいですね」と意気込みを語ります。そして筆者に「優勝しそうだったら、その時は1時間くらい前から写真取ってくださいね」とまで。もちろんですよ!


ST-5クラスのグリッドを見回すとトップはNDロードスターばかり。その昔はFITの姿も見かけたのですが、新型FITが登場したこと、NDロードスターの成熟が進みタイムが出やすいことなどから、その数は減りつつあります。新型FITの姿もありましたが、タイムは振るわず予選最下位……。Hondaは、現行FIT RSのガソリン仕様車にMTを用意するべきでは? と思わずにはいられません。
折角なので言わせてもらいます
「HRCはFIT RSのMT仕様を作るべき!」

話は本稿からそれるのですが、せっかくの機会なので、筆者の胸の内を書かせてもらいたいと思います。以前FIT RSのメディア試乗会に参加した時のこと。開発陣がJOY耐に参戦しているということから、参戦車両のラッピングがなされたFIT RSを展示。エンジニアは本作がレース参戦による知見から足回りを決めたという話をしきりにされました。
それはASCII.jpでもほかのメディアでも書かれているかと思いますし、多くのメディアは「そういうのが大事」みたいな事を伝えているかと思います。
試乗後に行なわれたエンジニアとの懇親会で「レースに出られたのなら、FIT RSにMTグレードが必要だと感じられなかったのですか?」と尋ねました。だって前のFIT RSにはMTグレードがあったのですから。ですが答えは「MTグレードは台数がそれほど出ないですし、そもそもあのエンジンは回しても、そんなに面白くはないので」と営業的な面と、そういうエンジンではないという残念な回答。
売れない物を作らないというのは企業としては当然の判断でしょう。ですが環境性能の面で色々あることは承知していますが、回して面白くないのだったら、往年のB16B型エンジンとは言わないまでも、高出力で回して面白いエンジンを作るのがアナタがたのお仕事では? とお話した次第。それを予定していた30分を大幅に超える1時間半も熱弁してしまいました。

これは根拠がない話ではなく、実際2022年7月1日、Honda本社ビル1階・ウエルカムプラザ青山でシビック50周年イベントが開催された時、会場からそういうクルマを求める声が多数聞かれたから。もちろん彼らだって本当はそうしたいのかもしれません。ですが、車格が変わったとはいえ、20年前は200万円で買えたシビック TYPE Rが500万円近くなってしまった今、FITが受け皿にならなければいけないのでは? 実際TYPE Rは受注ストップするほど売れているのですから、そういうクルマの需要はあるのですよ。

さらに申し上げると、HRCは富士24時間レース前に行なわれた参戦会見で、ホンダ・レーシング 取締役兼企画管理部部長の長井氏は「S耐にHonda車が少ないのは残念」と語りました。レースに参戦できるベース車両がないのですから、参戦車両が少ないのは当然のことです。

そして、HRCがS耐に参戦する理由としてFL5型シビック TYPE Rのカスタマーレース仕様の開発と、Hondaファン(HRCファン)を増やすとともにブランディングやマーチャンダイズ(商業化)を模索したいとおっしゃいました。HRCがプライベーターチームのS耐参戦のためだけにシビック TYPE Rのカスタマーレーシング車両を開発しているとは考えづらく、恐らくシビック TYPE Rオーナーズカップを開催し、その参戦車両としてカスタマーレーシング車両の販売を考えられているのでしょう。ですが、N-ONEオーナーズカップの上がシビック TYPE Rって……、敷居が一気に高くなりすぎませんか?

ですので、ダートラやS耐参戦のベース車として、TRDがヤリスのカップカーを販売するように、FIT RSにMTを載せ、内装はロールゲージ&ドンガラのカップカーをHRCが制作・販売するというのはダメなのでしょうか? 応援グッズを作るのも大切ですが、HRCブランドのブランディングやマーチャンダイズのためにも「レーシングサービスに指示されるクルマ」を出すべきではないでしょうか。
HRCの参加型モータースポーツ プロジェクトリーダー 岡 義友さんと椋本さんは面識があるのですから、まずはFITでやってみてはいかがでしょう。グリッドを歩きながら妄想を膨らませたことを、「ASCII.jp成年の主張SUGOコンクール」としてしたためてみました。
SUGOのマモノがTEAM YAMATOに襲い掛かる


では話をレースに戻しましょう。スタートして数周は大きな順位変動はなく。ですが5周をすぎたあたりの1コーナーで混乱があり、気づけばTEAM YAMATOはトップに立っているではありませんか! これは終了1時間前にピットに戻らねばならないと、写真をいっぱい撮る筆者。

ですが、いつしか順位は後退。どうやらレースペースが上がらないようです。そうこうしているうちに、順位は7番手あたりまで後退。



レース中にピットへ訪れると、椋本さんはスマホの画面を見ながら、メカニックと打ち合わせ。どうやらピット作業中の様子を動画撮影し、改善方法を模索しているようです。ちなみに今大会では2回ピット作業が行なわれて、都度ドライバーが交代。なるほど、すぐに改善を試みることも、業務につながるというわけですね。





SUGOにはマモノが棲むといわれています。この日のレースはセーフティーカーが入るような荒れた展開ではないものの、マモノはTEAM YAMATOに襲いかかりました。2回目のピットインの少し前、オーバーテイクをしようとしたところ、リアバンパーが外れてしまったのです。メカニックはモニターを見ながら作業内容を決定。データエンジニアはオフィシャルと相談し、コントロールタワーからの指示が出るまではマシンを走行させることを決定。メカニックは補修用としてガムテームを幾重にも張り合わせて1枚のシートを作ります。
この判断に至るまで、ピット内は至って冷静かつ迅速に行動するあたりに関心した次第。筆者ならスグに血圧が上がって大騒ぎしていることでしょう。



そしてピットイン。ドライバー交代はせず、タイヤ交換、給油、そしてバンパー修理をしてピットアウト。タイムロスは最小限に抑えてゴールを目指します。





その後、120号車のスピリット・レーシングのロードスターをアウトから大外刈り! ポジションを6位としてチェッカーを受けました。チームに喜びの表情はなく、少し寂しそう。レースが終われば撤収準備が始まり、ピットウォーク中はご飯タイムでした。



レースを終え椋本さんは「予選は良かったのですが、決勝ではペースが上がらなかったのが残念です」と悔しそう。今後のレースについては「次のオートポリス戦は遠いのでお休みします。9月のもてぎはST-5クラスの参戦はないので、一番近いのは10月の岡山国際ですね。テクニカルなコースなので、FITに合っているといいのですが」と、当分の間、スーパー耐久シリーズの参戦はないとのことでした。椋本さんたちの挑戦、活動は涼しくなるころ、また燃え盛ることでしょう。
開幕戦以来連続表彰台! スゴいぞHRDC!

せっかくなので、もうひとつの特別自己啓発チームであるHRDCの様子もご紹介しましょう。今シーズンは開幕戦優勝、第2戦の富士24時間では3位と好成績。今大会も表彰台を狙いたいところです。ちなみにウェイトハンディは45kg。今大会、ST-2クラスには三菱のEVO10が2台、GRヤリスが2台、シビック TYPE Rの計5台が参加しました。ここはニュルブルクリンクFF量販車最速の実力を、四駆勢にみせつけたいところです。

予選はクラス3番手。代表の木立選手に「重くなったのに3番手はすごいじゃないですか」と聞くと「全然ダメ」と笑いながら応えます。どうやら良さそうな雰囲気。


決勝は木立選手、石垣選手、柿沼選手という順。木立選手はちょっと遅れたりしたものの、快走をみせて、約1時間後に石垣選手にチェンジ。給油とフロントタイヤ2本を交換してピットアウトします。


午後のレースはセーフティーカーが出る荒れ模様。そしてHRDCにもマモノが襲いかかります。なんとAドライバーの石垣選手の走行規定時間(60分)を前にしてガス欠症状が出てしまったのです。これは燃料計算を間違えた、というより想定より燃費が悪かったから。そのため給油だけのためにピットイン。そのままコースへ戻ります。チームは作戦を変更し、石垣選手でギリギリまで走りマージンを作る作戦に。


そしてレース終了15分前というタイミングで柿沼選手に交代。3位でチェッカーを受けました。








開幕以来、連続表彰台のHRDC。スパークリングセレモニーで、チームスタッフは大はしゃぎです。その後、木立さんはチームマネージャーに美酒(ノンアルコール)の瓶を手渡したのですが、その瓶はなぜか「サーキットのリトルエンジェル」で「サーキットのブラックダイアモンド」な葵 成美さんのところへ。そして彼女は、なんとその場で飲み始めたではありませんか。長年表彰式を見ていますが、スパークリングを飲むRQの姿は初めて。それだけチームに溶け込んでいるというわけですね。
勝利の女神を迎えたHRCだが……

最後にワークスのHRCの様子をご紹介しましょう。前回の富士戦レポートで筆者が「HRDCにRQはいるのに、HRCにはRQがいない」ということを書いたためか、今回ピットでは可愛らしい女性の姿を見かけました。お名前は奥田千尋さん。なんとリケジョなのだそうです。



勝利の女神を迎えたHRCですが、富士24時間に続いて駆動系にトラブルが発生したらしく決勝はピットレーンスタート。レース中もブレーキランプが点灯しなくなるなど、電装系やらコンピューターのトラブルが発生しては、頭からピットに入って修理をして、その時にドライバー交代をしているという印象。


無事ゴールできたものの、チームの雰囲気は重く、富士戦と同様、どこか近寄りがたい雰囲気でした。でも、まだ参戦2戦目。これからです! 最初から勝ちまくっていたら面白くないじゃないですか!

スーパー耐久シリーズの次戦は大分県・オートポリスで7月29~30日に開催。パワーサーキットなので、ここはPowered by Hondaの本領に期待したいと思います。ワークスに、特別自己啓発のプライベーターとして参戦するHondaの従業員たちに、これからも注目しましょう。

■関連サイト