NSXからシビックへ! その前にNSXを振り返ろう
11月5日にモビリティリゾートもてぎで開催されたSUPER GT最終戦で、ホンダのNSX-GTがラストランを迎えた。ホンダはNSXを全日本GT選手権(現在のSUPER GT)に持ち込み、97年からGT500クラスに参戦を開始した。
本稿では歴代の写真とともに、NSXを振り返ってみたい(写真は都合により2008年~)。
最終戦のもてぎでは、最初にチャンピオンとなった2000年のNSXに、当時のチャンピオンドライバー・道上 龍選手が乗り込み、デモランが行なわれた。
そもそも、ホンダがNSXを国内レースに持ち込んだのは1997年の事だ。当時のNSXと言えば、速いが勝たないマシンというイメージが強かった。その後、熟成が進み2000年にチャンピオンを獲得したのだが、そこから茨の道を歩むことになる。
というのも、GTマシンのレギュレーションはFR(フロントエンジン、リヤ駆動)のレイアウトが基本。対してNSXはMR(ミッドシップエンジン、リヤ駆動)だったため、そのままのレイアウトで出るためにはミッドシップハンディを背負わなければならなかった。それでも2007年に伊藤大輔/ラルフ・ファーマンを擁したARTAが、2度目のタイトルをホンダとNSX-GTにもたらしている。
ハンディを負わされながらもチャンピオンを取れたのは、その頃のGTマシンは出力性能に注力しており、空力面はそれほど重視されていなかったのだが、そんな中、ホンダは動力性能と、空力を突き詰めたためNSXが優位に立ったと言われている。
しかし、それも一時的な話で、他メーカーが追従するように空力を詰めれば、課せられたハンディが重くのしかかってきてしまう。
HSV-010はデビューイヤーに、チャンピオンを獲得する(木暮卓史/ロイック・デュバル組)が、やはり実存しない車での参戦はメーカーとしてのメリットがなかったのか、わずか3年で降板することとなった。そしてSUPER GTがDTMとの共用シャーシ、クラスワン規定のシャーシを導入すると、再びNSXで参戦した。
まったく新しくなった「NSX-GT」は、度重なるレギュレーションの変更などに翻弄される。2014年にデビューしてからタイトルを奪うまでに、5年もの年月を費やすこととなる。2018年にジェンソン・バトンとコンビを組んだ山本尚貴が、2020年にも牧野任祐とのコンビで2度目のタイトルをホンダとNSX-GTにもたらした。
シリーズタイトルという意味では2020年が最後のタイトルとなったわけだが、その速さは他メーカーに劣るものでは決してなかった。現にNSXは、毎年チャンピオン争いに加わっていた。その技術は2024年から投入するシビック・タイプR GTに受け継がれる事となる。このマシンに関わった技術者からは、「初年度からチャンピオンを目指します」と強気の発言も聞こえてきている。
ホンダのフラッグシップであるNSXが、レースシーンから消えてしまうのは寂しくもある。
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