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トランスポゾンを介したヒトの遺伝子ネットワークの拡張モデル
近畿大学農学部(奈良県奈良市)生物機能科学科准教授 西原秀典と、同4年 小宮篤(研究当時)は、ヒトのゲノムに大量に存在する「トランスポゾン※1」というDNA配列が、神経細胞形成に大きな役割を果たすことを明らかにしました。トランスポゾンは「動くDNA」と呼ばれ、従来は機能をもたないと考えられてきましたが、本研究によって、ヒトの神経細胞形成に必要なタンパク質に結合し、遺伝子発現を制御していることを発見しました。
本研究成果は、トランスポゾンが脳の進化をもたらした遺伝的要因であることを示唆するものであり、神経疾患等のメカニズム解明にも貢献が期待されます。
本研究の成果は、令和8年(2026年)4月9日(木)AM9:00(日本時間)に、英国のBioMed Central社が発行するゲノムに関する国際学術誌"Genome Biology(ゲノムバイオロジー)"にオンライン掲載されました。
【本件のポイント】
●ヒト神経細胞の形成に関与する2つのタンパク質が、トランスポゾンに結合して、遺伝子発現を活性化することを発見
●哺乳類、特に霊長類の進化の過程で、トランスポゾンの増幅により神経細胞の遺伝子発現制御ネットワークを拡大させてきたことを解明
●従来役割をもたないと言われてきたトランスポゾンが、脳の進化をもたらす要因となっていた可能性を示唆
【本件の背景】
ヒトは、哺乳類の祖先から今に至る進化の過程において、脳のサイズの増大と複雑化に伴い高度な認知機能を獲得してきました。このような進化は、神経細胞の形成機構の変化に起因すると考えられ、その背景には遺伝子配列そのものの変化だけでなく、遺伝子の発現を制御する仕組みの進化が重要であると考えられています。一般的に遺伝子発現の制御は、特定のDNA配列に転写を活性化するタンパク質が結合することで調節されます。
「トランスポゾン」はゲノム中で転移や増幅ができるDNA配列であり、「動くDNA」とも呼ばれます。ヒトゲノムには400万を超えるトランスポゾンが存在し、ゲノムの約半分の領域を占めています。かつてトランスポゾンは特別な機能を持たない「ジャンクDNA」と考えられていました。しかし近年の研究では、一部のトランスポゾンが遺伝子発現制御に重要な役割を担うという報告が相次いでおり、トランスポゾンが生物の進化に大きく貢献してきた可能性が示唆されています。
しかし、個々のトランスポゾンが実際にどのような組織や細胞の進化に寄与したのか、またそのゲノム変化が進化のどのタイミングで起こったのかについては、まだほとんど明らかにされていません。
【本件の内容】
研究グループは、トランスポゾンがヒトの進化に及ぼした影響を検証するため、哺乳類の神経細胞形成において重要な働きをする2つのタンパク質に着目しました。2つのタンパク質はさまざまなDNA配列に結合し、神経細胞で必要な遺伝子を発現させるのに重要な役割を担っています。
また、これらのトランスポゾンは、生物の進化のうち、主要な哺乳類の祖先および主要な霊長類の祖先の段階で数が増加し、転写活性化タンパク質が結合できる配列がゲノム全体に広がり、結果的に神経細胞において多くの遺伝子発現が活性化されるようになったと考えられます。このことから、神経細胞が形成される際に必要な遺伝子発現制御ネットワークは、トランスポゾンによって大きく変化してきたことが明らかになりました。
本研究成果により、トランスポゾンが哺乳類、特に霊長類における神経細胞の進化に深く関与してきた可能性が示されました。脳進化の分子基盤を理解する上で、極めて重要な知見であると言えます。
【論文掲載】
掲載誌:Genome Biology(インパクトファクター:9.4@2024)
論文名:Transposable element-mediated evolutionary expansion of Sox2- and
Brn2-binding regulatory modules for mammalian neural-cell differentiation
(トランスポゾンがもたらした神経分化を制御するSox2・Brn2結合配列の進化)
著者 :西原秀典※、小宮篤 ※責任著者
所属 :近畿大学農学部生物機能科学科
URL :https://link.springer.com/article/10.1186/s13059-026-04050-w
DOI :10.1186/s13059-026-04050-w
【本件の詳細】
Sox2とBrn2は、ヒトの胚性幹細胞※2 が神経前駆細胞※3 に分化する過程で重要な働きをする転写活性化タンパク質です。本研究では、Sox2とBrn2が結合するDNA領域の進化的起源を大規模ゲノム解析によって調べました。その結果、ヒトの神経前駆細胞においてSox2は1万7,000か所のトランスポゾンに結合し、そのうち8,000か所がエンハンサー※4 として機能する可能性が示されました。またBrn2は1,500か所のトランスポゾンに結合し、そのうち830か所がエンハンサーあるいはプロモーター※5 として機能する可能性が示されました。特にSox2に関しては、ヒトの胚性幹細胞が神経前駆細胞に分化する際、エンハンサー機能が動的に切り替わることが明らかになりました。
また、比較ゲノム解析の結果、これらのトランスポゾンは真獣類※6 と呼ばれる主要な哺乳類の祖先、および真猿類※7 と呼ばれる主要な霊長類の祖先で増幅したことが分かりました。
このことから、哺乳類の進化の過程でSox2とBrn2の結合配列の増幅と拡散が段階的に起こり、のちにそれらが神経前駆細胞で働くエンハンサーとして機能したことで、その近傍にある遺伝子の発現制御を担うようになったと考えられます。実際にヒトの神経前駆細胞では、Sox2が結合するトランスポゾンの近傍にある遺伝子は、発現量が上昇していることも明らかになりました。
トランスポゾンの増幅は、ゲノム中にSox2やBrn2の結合配列の数を拡大させ、数多くのエンハンサーの創出に繋がりました。これは言い換えれば、哺乳類の進化の過程で徐々に多くの遺伝子がSox2やBrn2の制御下で発現するようになったということです。ヒトの神経細胞形成に関わる遺伝子発現制御ネットワークは、このようなゲノムの進化によって支えられてきたと考えられます。
今後、トランスポゾンが持つ機能の全容を解明することで、ヒトの脳機能進化の遺伝的要因を明らかにするだけでなく、再生医療や神経疾患研究への応用にも繋がると期待されます。
【研究者のコメント】
西原秀典(ニシハラヒデノリ)
所属 :近畿大学農学部生物機能科学科、近畿大学アグリ技術革新研究所
職位 :准教授
学位 :博士(理学)
コメント:ゲノム中に大量に存在するトランスポゾンは、従来は生物にとって特別な役割を持たない配列と見なされてきました。しかし本研究を含め、近年のゲノム研究の進展によってこの見方は大きく変化しつつあります。DNA配列の進化と遺伝子発現制御システムの進化の両輪に、トランスポゾンが深く関与してきた可能性が徐々に見えてきました。それでもその全体像、すなわちどのトランスポゾン配列が、どの細胞で、いつどのような機能を示すのかについては、まだ多くのことが分かっていません。ヒトゲノムの機能やヒトの進化の遺伝的要因を理解するには、今後トランスポゾンの実態を多角的に解明していくことが重要だと考えています。
【用語解説】
※1 トランスポゾン:ゲノム中を移動または増幅することのできるDNA配列。転移因子とも呼ばれる。このうちコピー配列を増幅させるタイプはレトロトランスポゾンと呼ばれる。ヒトを含む多くの生物のゲノムには大量のトランスポゾン配列が存在し、ヒトゲノム全体の約半分の領域を占める。
※2 胚性幹細胞:体を構成するほぼすべての細胞に分化できる能力(多能性)を持つ細胞。発生や再生医療の研究で広く利用されている。
※3 神経前駆細胞:さまざまな神経系細胞に分化する能力を持ち、脳や神経系の形成過程で必要な細胞。発生段階では盛んに増殖し各種の神経細胞へ分化する。
※4 エンハンサー:特定の遺伝子の発現を高める働きを持つDNA配列。転写因子と呼ばれるタンパク質が結合することで、近傍にある遺伝子の発現を活性化させる。遺伝子の働くタイミング、場所(細胞や組織)、発現量を決定する重要な役割を担っている。
※5 プロモーター:遺伝子の発現を開始させる働きを持つDNA配列。
※6 真獣類:胎盤を形成して胎内で子どもを育てる哺乳類のグループで、有胎盤類とも呼ばれる。ヒト、マウス、イヌ、ウシなど、大部分の哺乳類がこのグループに属する。
※7 真猿類:霊長類のうち、原始的な特徴を持つ原猿類とメガネザルを除いたグループ。類人猿(ヒトを含む)、旧世界ザル、新世界ザルが含まれる。大きな脳や比較的発達した視覚を持つことが特徴である。
【関連リンク】
農学部 生物機能科学科 准教授 西原秀典(ニシハラヒデノリ)
https://www.kindai.ac.jp/meikan/2955-nishihara-hidenori.html
農学部
https://www.kindai.ac.jp/agriculture/