【代々木発】下川さんは日本電子出版協会でその普及に尽力する一方、社業としても「電子復刻」の事業を展開している。「良書を絶版のない世界に」というスローガンの下、書籍や雑誌の現物をスキャンし、電子化することで再び販売できるようにする取り組みだ。
イーストのビジネスの一つではあるものの、お手軽にできる仕事ではなく、むしろ文化的使命を帯びているように映る。そして、そこに同社の「日本語」へのこだわりが加わることで、ひと味もふた味も違う社風が形づくられていくような気がするのだ。
(本紙主幹・奥田喜久男)

●テクノロジーの停滞が起こらない
コンピューターの世界 
 下川さんは「ムーアの法則」が好きだから、この世界で活躍することができたということですが、もう少しわかりやすくお話しいただけますか。
 インテル創業者の一人、ゴードン・ムーアが、半導体の集積密度は18か月で2倍になるといったのは1965年のことで、60年代というのは人間が初めて月に行った時代でもありました。つまり、私の中学・高校時代は、今後、科学技術はどれだけ進歩するのかと、思いを馳せた時代だったわけです。
 たしかにそういう時代でした。
 インテルはその後、18か月を24か月と修正しましたが、コンピューターの世界ではそうした進歩がいまだに続いているわけです。
 ところが、1969年に人間が月に到達しているのですから、2020年代には人類が火星への移住が可能になっていなければならないはずなのに、それはできていません。つまり、そこにテクノロジーの停滞が起こっているわけですが、コンピューターテクノロジーの世界ではムーアの法則がいまだに有効であり、量子コンピューターをはじめ、どんどん新しい技術が生み出されています。
 中学・高校時代に実感した技術の進歩が、いまも続いている世界だということですね。
 先日、将棋の藤井聡太二冠が将棋研究のためのパソコンを自作し、そのマシンに64コア、128スレッドのCPUを使っていると聞きましたが、その情報処理スピードは世界でもトップクラスです。そうした話を聞くと、やはりワクワクしますね。

 下川さんがワクワクするのは、具体的にはどんな点なのですか。
 技術が進歩すること自体ですね。
 なるほど。
 かつて私が富士通SSLにいた頃、当時の通産省は、IBMは絶対に抜くことのできない会社だという発想から、富士通と日立に共同でMシリーズを開発させました。
 でも、そのどうしても勝てなかったIBMを、わけのわからないマイクロソフトが抜いたわけです。当時、それは信じられないようなことであり、その先はマイクロソフトの天下になると思っていました。
 ところが、またわけのわからないグーグルやフェイスブックなど、いわゆるGAFAがマイクロソフトを抜いてしまった。ハードウェアからソフトウェア、そしてインターネットにおける検索サービスというように、次々と主役が変わっていきました。私にとって、そういうことが起こる世界に身を置いていることこそが面白いのです。
●Webブラウザの
縦書き化を実現する
下川さんは、日本電子出版協会(JEPA)の副会長も務めておられますが、こちらではどのような活動をなさっているのですか。
 JEPAはイースト設立の翌年、1986年に発足した社団法人で、当時、日本マイクロソフトの古川亨さんから「面白い団体があるから入らないか」と誘われたのがきっかけです。
 グーテンベルクによる活版印刷の発明から500年以上経ちますが、この印刷技術は知識や情報や感動を伝える媒体といえます。
その役割は今後インターネットに移行していくだろうということで、JEPAに出版社、印刷会社、IT企業などが集まって、電子出版の発展をサポートしているのです。
 イーストの社業でも、1995年頃からWindowsソフトからインターネット系のアプリにシフトしていったとうかがいましたが、ネットの普及によって本や雑誌の形も変わっていくということですね。
 そうですね。それから、イーストという社名には、日本語に強いソフトウェア会社にしたいという意味を込めたとお話ししましたが、そうした意味で貢献できたと考えているのが、2011年にWebブラウザの縦書き化を実現したことです。
 Webの縦書き化ですか。
 W3C(World Wide Web Consortium)により標準化されたマークアップ言語のHTML5に縦書きとルビの機能を付加し、それまで横組みしかできなかった電子出版のフォーマットであるEPUBでの日本語組版を可能にしました。
 EPUBの中身はHTML5とCSS3であり、これを縦書きにすることは非常に難しかったのですが、総務省の事業に応募して補助金を受け、それを半年で実現したんです。
 まさに「日本語に強いソフトウェア会社」ですね。
 その功績で、イーストは「縦書きWeb普及委員会」のメンバーとして2018年のグッドデザイン賞を受賞しました。そのメンバーには、日本のインターネットの父である村井純先生も入っているんですよ。
 ところで、コロナ禍の影響はどうでしたか。
 緊急事態宣言中は、フルテレワークにしました。
社員の8割以上がエンジニアで、事務処理についてはすでにクラウド化していましたので、大きな問題はありませんでした。緊急事態宣言が解除された後も、出社してくるのは1割くらいですね。
 在宅でちゃんと仕事をしているか、気になりませんでしたか。
 各自の力量は把握していますし、エンジニアの場合は仕事の結果がはっきり出ますからそうした心配はなかったですね。むしろ、会社における一体感が失われることを危惧しました。
 そのため、月に一回、Teamsを使い全社員ミーティングを行うのですが、通達事項の連絡だけではつまらないので毎回テーマを設定し、たとえば今月はウェブマーケティングについて勉強してみるといった形でコミュニケーションをとるようにしました。
 今後10年、どのような事業展開を考えておられますか。
 現在、受託開発とパッケージ開発の割合が7:3で受託のほうが多いのですが、これを5:5に持っていきたいと考えています。パッケージといってもSaaS型のクラウドサービスですが、こちらの売上を増やしていきたいですね。
 実は、いま売れているソフトウェアの大半は私が企画したものなのですが、社長在任中の11年間に出したソフトはことごとく失敗しているんです。いまは会長という自由な立場ですから、どんどん企画を出してまたヒットさせたいと思っているんですよ。
 それは楽しみですね。
ますますのご活躍を期待しております。
●こぼれ話
 九州には名門高校が多くある。藩校の流れを持つ有名高は全国にあるのだが、九州のそれはひと味ちがう。やたらと母校愛の強いOBが多いのだ。同窓生の結束というか統制力というか。聞けば聞くほど結社的なのである。その中に入れば居心地は良いのだろうが、窮屈そうにも思う。私の友人に佐賀西高校の卒業生がいる。地元では「西高」と呼ばれ、「栄城」ともいう。ちなみに「EIJO」と読み、佐賀城の別名だ。佐賀といえば『葉隠』の「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」を思い出すが、岐阜出身の私にはチンプンカンプンだ。
 ともあれ、その友人が栄城の同窓生を紹介してくれた。
下川和男さんだ。代々木のオフィスに訪ねることにした。住所は代々木だが、文化学園の裏あたりなので、新宿から歩き出し、クネクネと道を曲がって到着した。玄関を開けると広いスペースが広がっている。いい感じだ。どの会社も人は宝だ。人材の採用にはこうした雰囲気はプラスに働く。が、コロナ環境で定着した在宅のテレワーク就労者が70%に及ぶ今後のオフィスのあり方はどうなるのか。特にソフトの開発は集合する必要性がない。下川さんの次の打ち手が楽しみだ。
 会社のイーストには日本マイクロソフトの資本が入っている。この事実は、輝かしい無事故無違反を証明するゴールド免許にも似た価値がある。
いやいや、ソフト開発会社にとってはそれ以上の価値がある。下川さんに根掘り葉掘り聞くうちに、「そうなんですね」と、ことの経緯を理解するに至った。パソコン業界の姿かたちもまだない頃、IBMが聳え立っていた当時のことだ。マイクロソフトのビル・ゲイツって誰なの? 虎ノ門のホテルオークラのオーキッドルームの片隅で、西和彦さんの通訳でゲイツ氏に取材した当時を思い出す。下川さんはその当時からアスキーにいた古川享さんらと交流していた。長い間、同じ川沿いに居たのだが、お会いするのに40年という歳月を要した。お互い元気に生き延びていることに感謝したい。
心に響く人生の匠たち
 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
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