【東京・月島発】取材の途中で「サイト内もそうですが、人の気配がしない会社ですね」というフレーズが、ふと口をついて出た。不快感を覚える言葉かもしれない。
(本紙主幹・奥田喜久男)
●ひきこもりでも自身の能力で生きていける仕組みを
佐藤さんが2017年に設立された会社は、ひきこもり者主体というコンセプトもユニークですが、まず社名を聞いて「なんのこっちゃ?」と思わせるインパクトがありますね。
実は「ウチらめっちゃ細かいんで(以下、めちゃコマ)」というネーミングは、夢の中で降りてきたんです。ひきこもりの人というのは、とても細かい性格の人が多いのですが、その細かさを欠点ではなく武器や強みとして伝えるにはどうしたらいいかとずっと考えていたら、寝ているときにこのフレーズがふと浮かびました。
なるほど。ちょっとユーモラスで明るいイメージもありますね。ところで、ひきこもりの人や障害をもつ人たちにスポットを当てる原点はどんなところにあったのですか。
子どもの頃、近所に“アキちゃん”という同い年の女の子がいました。幼い頃は一緒に遊んでおり、その後も交流が続いていたのですが、彼女は重い自閉症で、ずっと話すことができませんでした。
小さなときから、障害を抱えた人に対する思いがあったのですね。
それと、めちゃコマ設立のきっかけになったのは、私の双子のいとこの存在でした。彼らは学校を出た後に就職したのですが、何らかのきっかけで2人ともひきこもりになってしまったんです。アルバイトをしてもなかなか長続きせず、出たり入ったりの状態が20年以上続いています。先日お父さんが亡くなりましたが、もし残されたお母さんが亡くなったりすれば、年金収入も途絶えてしまいます。そうなったらどうやって生活していけばいいのかという、いわゆる8050(7040)問題に直面しているのです。
身近にそうした方々がいると、より問題意識は高まりますね。
こうした人たちが、自分の能力を発揮して、生きていけるようにすることが必要ではないかと思いました。
それで、まず、ひきこもりの人に会ってみようと思い、実際にお会いしてみると、頭の回転が速い人や高い能力の持ち主がたくさんおられたんです。日本にひきこもりの人は100万人いるといわれ、実にもったいないと思いました。その半数は何らかの精神的な疾患や発達障害を抱えているといわれ、その部分はさきほどのアキちゃんの話ともオーバーラップするのですが、そうした方々が持っている能力を発揮できる仕組みや仕掛けをつくるべきだと考えたわけです。
ひきこもりだからといって、決して能力的に劣っているわけではないと。
そうですね。そこで私は、ITエンジニアをやってきたこともあり、プログラミングならば在宅でもできるだろうと考え、めちゃコマを立ち上げました。
●クリスマスプレゼントのMSXパソコンがエンジニアへの道をひらく
めちゃコマのビジネスについては後編でじっくりうかがうとして、佐藤さんご自身は子どもの頃、どんなことに熱中していましたか。
小学校5年生のときにクリスマスプレゼントに買ってもらったのが三菱電機製のMSXパソコンです。もともとはファミコンが欲しかったのですが、父からファミコンはダメだがパソコンならいいといわれた覚えがあります。もっとも、MSXでもゲームをけっこうやりましたが……(笑)。
遊ぶためのコンピューターはダメと(笑)。
このときパソコンを買った電器屋さんに、高校2年生のお兄さんがいたんです。この方は私の恩人の1人といえますが、高校の部活動でプログラミングをやっていて、それを私に教えてくれました。MSXパソコンを小さなテレビにつないで、自分で書いたプログラムを走らせてみると、私がつくったロケットの画像がちゃんと動いたんです。これは感動しました。
お父さんにパソコンを買ってもらい、電器屋のお兄さんにプログラミングを教わったことで、今の道につながったのですね。ちなみにお父さんはどんなお仕事をされていたのですか。
私は札幌で生まれ、小学校に上がる頃に父の仕事の都合で室蘭に引っ越したのですが、当時、父は室蘭工大で岩石力学の研究をしていました。まだ北海道にたくさん炭鉱が残っていた時代で、石炭を掘る際の岩石破壊のメカニズムを調査するため、何日も鉱山に泊まり込んで仕事をしていました。
お父さんが理系の学者ということは、エンジニアを目指す環境は整っていたわけですね。
そうですね。父の職場に行けばパソコンはたくさんありましたし、今、教育の仕事に携わっているのも父の影響があると思います。それで、実は来年(2022年)の4月から、私は20年ぶりに学生に戻るんですよ。
何か新たなチャレンジをされるのですか。
東北大学大学院医学系研究科の博士課程で「AIでうつを解消することはできないか」という研究に取り組もうと考えているんです。
AIでうつの解消ですか……。
はい。もう少し具体的にいえば、カウンセラーがクライアントに問診する内容を、AIで再現できないかという研究です。人間のカウンセラーが24時間、患者さんに関与することは不可能ですが、AI活用が可能になればLINEなどのチャットボットを通じていつでも気軽に相談したり、つらい気持ちを吐き出すことができます。
AIに学習させれば、カウンセラーの機能の一部を担えるかもしれないと。
ただ、日本にはリアルなカウンセリングに基づくデータベースは存在しません。そうした現状から、まずはデータベースをつくることそのものに研究価値があると考えています。
実際には、例えばカウンセリングでどういう会話をするとクライアントの気持ちが楽になるのかとか、どうしたら課題の掘り下げができるかということを究明する必要があるわけです。
データベースをつくるだけでも、容易ではありませんね。
そうですね。でも、今後のめちゃコマの事業展開にも関連する大事な課題なのでなんとか実現したいと考えており、いま具体的なプランを練っているところなんです。
なるほど。
●日に焼けてしまった「くまモン」
2016年4月14日、熊本市内で打ち合わせ中、佐藤さんはM6.5の大地震に遭遇した。その後、当時福岡にあった拠点に戻ったものの、16日未明、熊本でM7.3の本震が発生したことを知る。居ても立ってもいられなくなった佐藤さんは、パン2万個、米700キロをすべて自前で現地に運んだ。そのお礼の気持ちとしてもらった「くまモン」は、ずっと身近に飾っていたため、日に焼けて頭が白くなってしまったのだという。
心に響く人生の匠たち
「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
ところが「めちゃコマ」社長の佐藤さんは、そんなことを意識したことはなかったという。2人でその理由を探っているうちに、当たり前のことに気づいた。130名いる社員のほとんどがリモートワークであり、オフィスに人が集まって仕事をする会社ではないのだ。コロナ禍のはるか前から在宅勤務が当たり前というある種先進的な企業経営の裏には、深い問題意識があった。
(本紙主幹・奥田喜久男)
●ひきこもりでも自身の能力で生きていける仕組みを
佐藤さんが2017年に設立された会社は、ひきこもり者主体というコンセプトもユニークですが、まず社名を聞いて「なんのこっちゃ?」と思わせるインパクトがありますね。
実は「ウチらめっちゃ細かいんで(以下、めちゃコマ)」というネーミングは、夢の中で降りてきたんです。ひきこもりの人というのは、とても細かい性格の人が多いのですが、その細かさを欠点ではなく武器や強みとして伝えるにはどうしたらいいかとずっと考えていたら、寝ているときにこのフレーズがふと浮かびました。
なるほど。ちょっとユーモラスで明るいイメージもありますね。ところで、ひきこもりの人や障害をもつ人たちにスポットを当てる原点はどんなところにあったのですか。
子どもの頃、近所に“アキちゃん”という同い年の女の子がいました。幼い頃は一緒に遊んでおり、その後も交流が続いていたのですが、彼女は重い自閉症で、ずっと話すことができませんでした。
当時は子どもながらに、学校はどうするんだろうとか心配しましたし、大人になってからも親御さんが亡くなった後はどうなるのかなどと、ずっと心に引っかかっていたんです。
小さなときから、障害を抱えた人に対する思いがあったのですね。
それと、めちゃコマ設立のきっかけになったのは、私の双子のいとこの存在でした。彼らは学校を出た後に就職したのですが、何らかのきっかけで2人ともひきこもりになってしまったんです。アルバイトをしてもなかなか長続きせず、出たり入ったりの状態が20年以上続いています。先日お父さんが亡くなりましたが、もし残されたお母さんが亡くなったりすれば、年金収入も途絶えてしまいます。そうなったらどうやって生活していけばいいのかという、いわゆる8050(7040)問題に直面しているのです。
身近にそうした方々がいると、より問題意識は高まりますね。
こうした人たちが、自分の能力を発揮して、生きていけるようにすることが必要ではないかと思いました。
それで、まず、ひきこもりの人に会ってみようと思い、実際にお会いしてみると、頭の回転が速い人や高い能力の持ち主がたくさんおられたんです。日本にひきこもりの人は100万人いるといわれ、実にもったいないと思いました。その半数は何らかの精神的な疾患や発達障害を抱えているといわれ、その部分はさきほどのアキちゃんの話ともオーバーラップするのですが、そうした方々が持っている能力を発揮できる仕組みや仕掛けをつくるべきだと考えたわけです。
ひきこもりだからといって、決して能力的に劣っているわけではないと。
そうですね。そこで私は、ITエンジニアをやってきたこともあり、プログラミングならば在宅でもできるだろうと考え、めちゃコマを立ち上げました。
●クリスマスプレゼントのMSXパソコンがエンジニアへの道をひらく
めちゃコマのビジネスについては後編でじっくりうかがうとして、佐藤さんご自身は子どもの頃、どんなことに熱中していましたか。
小学校5年生のときにクリスマスプレゼントに買ってもらったのが三菱電機製のMSXパソコンです。もともとはファミコンが欲しかったのですが、父からファミコンはダメだがパソコンならいいといわれた覚えがあります。もっとも、MSXでもゲームをけっこうやりましたが……(笑)。
遊ぶためのコンピューターはダメと(笑)。
このときパソコンを買った電器屋さんに、高校2年生のお兄さんがいたんです。この方は私の恩人の1人といえますが、高校の部活動でプログラミングをやっていて、それを私に教えてくれました。MSXパソコンを小さなテレビにつないで、自分で書いたプログラムを走らせてみると、私がつくったロケットの画像がちゃんと動いたんです。これは感動しました。
これで何でもできるのではないかという、万能感のようなものを抱いたんです。そのお兄さんは東工大に進学するのですが、それを見て、私も東工大に行ってエンジニアになろうと決意しました。
お父さんにパソコンを買ってもらい、電器屋のお兄さんにプログラミングを教わったことで、今の道につながったのですね。ちなみにお父さんはどんなお仕事をされていたのですか。
私は札幌で生まれ、小学校に上がる頃に父の仕事の都合で室蘭に引っ越したのですが、当時、父は室蘭工大で岩石力学の研究をしていました。まだ北海道にたくさん炭鉱が残っていた時代で、石炭を掘る際の岩石破壊のメカニズムを調査するため、何日も鉱山に泊まり込んで仕事をしていました。
お父さんが理系の学者ということは、エンジニアを目指す環境は整っていたわけですね。
そうですね。父の職場に行けばパソコンはたくさんありましたし、今、教育の仕事に携わっているのも父の影響があると思います。それで、実は来年(2022年)の4月から、私は20年ぶりに学生に戻るんですよ。
何か新たなチャレンジをされるのですか。
東北大学大学院医学系研究科の博士課程で「AIでうつを解消することはできないか」という研究に取り組もうと考えているんです。
AIでうつの解消ですか……。
はい。もう少し具体的にいえば、カウンセラーがクライアントに問診する内容を、AIで再現できないかという研究です。人間のカウンセラーが24時間、患者さんに関与することは不可能ですが、AI活用が可能になればLINEなどのチャットボットを通じていつでも気軽に相談したり、つらい気持ちを吐き出すことができます。
AIに学習させれば、カウンセラーの機能の一部を担えるかもしれないと。
ただ、日本にはリアルなカウンセリングに基づくデータベースは存在しません。そうした現状から、まずはデータベースをつくることそのものに研究価値があると考えています。
実際には、例えばカウンセリングでどういう会話をするとクライアントの気持ちが楽になるのかとか、どうしたら課題の掘り下げができるかということを究明する必要があるわけです。
データベースをつくるだけでも、容易ではありませんね。
そうですね。でも、今後のめちゃコマの事業展開にも関連する大事な課題なのでなんとか実現したいと考えており、いま具体的なプランを練っているところなんです。
なるほど。
事業経営と研究の二足の草鞋というわけですね。(つづく)
●日に焼けてしまった「くまモン」
2016年4月14日、熊本市内で打ち合わせ中、佐藤さんはM6.5の大地震に遭遇した。その後、当時福岡にあった拠点に戻ったものの、16日未明、熊本でM7.3の本震が発生したことを知る。居ても立ってもいられなくなった佐藤さんは、パン2万個、米700キロをすべて自前で現地に運んだ。そのお礼の気持ちとしてもらった「くまモン」は、ずっと身近に飾っていたため、日に焼けて頭が白くなってしまったのだという。
心に響く人生の匠たち
「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
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