タレント都知事の先鞭をつけたのが青島幸男氏。それまで都知事を4期16年務めた鈴木俊一氏退任の後、世界都市博覧会の中止を公約に掲げ、95年の都知事選に出馬、当選した。青島氏はもともとテレビの人。放送作家をスタートに自ら番組に出演するようになり「マルチタレント」としてもてはやされた。俳優としての代表作は、長谷川町子原作のテレビドラマ「意地悪ばあさん」の主人公「波多野タツ」役。
続く石原慎太郎氏の出自は作家。一橋大学在学中に執筆した「太陽の季節」で芥川賞を受けた。同作の映画化で弟、石原裕次郎を俳優デビューさせた。石原氏も68年に参院選に立候補し当選、政治家に転身した。75年には都知事選に立候補したが、当時の現職、美濃部亮吉氏に僅差で敗れた。翌76年の衆院選で当選し国政に復帰。環境庁長官として初入閣した後、運輸大臣も務めた。
石原都知事時代に副知事を務めていたのが猪瀬直樹氏。石原氏と同じく出自は作家だ。87年に「ミカドの肖像」で大宅壮一ノンフィクション賞を受けデビューした。その後、小泉内閣の行革断行評議会委員や道路関係四公団民営化推進委員会委員、地方分権改革推進委員会委員なども歴任。東大大学院人文社会系研究科客員教授も務めた。07年に当時の石原慎太郎都知事の下、都副知事に就任。
続く舛添要一氏の出自は国際政治学者。東大法学部助手からスタートし、パリ大学現代国際関係史研究所客員研究員やジュネーブ国際研究大学院研究員などを経て、東大教養学部助教授も務めた。その後、テレビの討論番組などに多数出演し、知名度を上げた。99年に都知事選に出馬したものの、得票数は3位で落選した。01年、参院選に出馬し当選、政治家に転身。厚生労働大臣も務めた。その後、猪瀬直樹氏の突然の辞任を受けて14年1月に実施された都知事選に出馬、当選した。しかし、海外出張時の宿泊費が規定より高額だったことにはじまり、神奈川県の別荘に公用車で行っていたこと、政治資金で100点以上にのぼる浮世絵などの美術品を購入していたことなどが「公私混同」ではないかと追及され、在任2年余りの16年6月に辞職に追い込まれた。
そして、小池百合子氏。
就任早々、もめにもめた築地市場の豊洲移転問題。結局、豊洲移転に落ち着き、築地は解体され、スタジアムなどを含む再開発計画が進行。小池氏が当初かかげていた「築地は守る。豊洲は生かす」というスローガンは反故にされた。
青島氏から小池氏まで、すべての都知事がテレビをうまく使って政治活動を展開してきた。特に、青島氏、舛添氏、小池氏は「テレビの申し子」と言っても過言ではないだろう。さらに、今回の都知事選で有力候補の一人、蓮舫氏もその一人だ。音響機器メーカークラリオンの「クラリオンガール」として世に出て、バラエティ番組「スーパージョッキー」のアシスタントとして有名になった。04年の参院選に立候補し当選、政界入りした。09年、民主党政権時代に行われた「事業仕分け」の仕分け人として、当時のスーパーコンピュータ事業について「2位じゃダメなんでしょうか」と発言したことでも有名だ。これもテレビで一気に広まった。しかし、今回の都知事選の候補者に、テレビとほとんど無縁で支持を伸ばしている候補者が散見される。
石丸氏は、銀行員からキャリアをスタートさせ、生まれ故郷の広島県・安芸高田市に帰って市長選に立候補し当選。38歳で市長になった。就任以後、YouTubeなどインターネットへの情報発信を積極的に展開。特に市議会で繰り広げられる市長と市議との丁々発止のやり取りが話題を呼び、人口3万人の小さな市を一躍有名にした。8月の任期満了を前に、今回の都知事選出馬を表明。1日10箇所以上も街頭演説を行うなど精力的に選挙活動を続けていた。今回の都知事選で「台風の目」とも呼ぶべき存在だ。政治家としての資質などは別として、石丸氏の最大の特徴は、テレビと無縁な候補、という点だ。
彼はタレントでも作家でもなく、テレビのレギュラー番組も持っていない。政党の後ろ盾もなく、労働組合や業界団体の支援による動員もない。しかし、街頭演説には多くの人が集まっている。これは明らかにネットの力を背景にするものだ。19年、インターネットの広告費が、初めてテレビを抜いた。市民の情報の接点は急速にネットに傾いている。政治の世界にネットの影響が広がるまで時間がかかっていた。しかし、今回、石丸氏がどこまで健闘するかによって、今のネットの力が改めて明らかになるだろう。今回の都知事選は、日本社会の大きな転機になるかもしれない。(BCN・道越一郎)