(本紙主幹・奥田芳恵)
●油絵の楽しさは無心で没入できること
奥田 今回は少し趣向を変えて、元格闘家で現在は格闘技を応用した企業研修などを手掛ける大山峻護さんと、女性のためのサロンを主宰する桜華純子さんご夫妻にお話をうかがいます。
この企画では、毎回、大切にされているものやお気に入りの品についてお話しいただいているのですが、どんなものをご紹介いただけますか。
大山 私の描いた油絵です。実は、今年(2025年)12月に個展を開く予定なんです。
奥田 油絵の個展ですか! とても本格的ですね。絵は、昔から描かれていたのですか。
大山 いいえ、今年の2月からです。
奥田 えー! 格闘家の方にお会いするつもりでおりましたので、最初から驚いています。そのきっかけは?
大山 飲み屋で友だちと「ドラえもん」の絵を描いたのが始まりですね。私の絵を友だちが面白がってグループLINEに上げたのですが、私も面白くなってしまって、今度は色をつけようと。
奥田 絵心に火がついてしまったのですね。
大山 画材屋さんに行って、最初は「水彩画と油絵の違いはなんですか」と聞くようなレベルです。でも描くのが楽しくて、気づいたら6時間とか7時間経っていたりと、まさに時間を忘れて没頭しました。もともとがアスリートだから、過集中してしまうのですね。
奥田 それにしても、すごいペースです。
大山 実は、4月にアミロイドーシスという難病にかかっていることがわかりました。異常タンパク質がさまざまな臓器に沈着して機能障害を起こす病気で、アントニオ猪木さんはこの病気で命を落とされたんです。
奥田 それはまた……。
大山 猪木さんの場合は全身性だったのでつらい結果となりましたが、今のところ、私の状況は手のしびれと不整脈にとどまっています。ただ、いつ全身性のものに移行するかわからないため、否応なく死を意識するようになりました。だからこそ、いい絵を残して死にたいと考えるようになったんです。
奥田 絵を描いているときは、何が一番楽しいですか。
大山 無心で没入できることですね。格闘技の現役時代も、ただ強くなるために練習に没入していましたが、引退すると一つのことだけに没入することはできません。でも、この絵との出会いによって、再び没入する対象ができたのです。
桜華 本当に幸せそうに、朝も昼も夜も、ずっと描いていますね。
大山 自分にとっては、尊い時間ですね。こうした、突き詰めて生きる世界というのが私は好きなんだなと改めて思いました。
●「受け身がうまい」と認められ名門講道学舎へ
奥田 小さな頃は、どんなお子さんだったのでしょうか。
大山 幼稚園の頃は、母親がいないと何もできないような弱虫でした。
奥田 それが、格闘家への第一歩だったのですね。
大山 でも、教室ではいつも投げられて泣いて帰ってくるのですが、ウルトラマンを見て、やはり「ヒーローになりたい」というその繰り返しでしたね。
奥田 そして大山さんは、数多くの柔道家を輩出した東京の講道学舎に入られます。
大山 私にとってのリアルなヒーローである古賀稔彦さんにあこがれて、中学2年のときに入塾テストを受けました。テストでは塾生と対戦するのですが、ここに集まる塾生は全国レベルの猛者ばかりで、地方の大会にしか出ていない私は、ことごとくきれいに投げられました。ところが、その様子を見ていた理事長が「大山は受け身がうまい」とおっしゃって、入塾を許可してくださったのです。運がよかったのですね。
奥田 柔道エリートの仲間入りをされたのですね。
大山 トップレベルの選手に揉まれて頑張ったのですが、その実力差は大きく、そこからケガの人生が始まりました。骨折、脱臼、靱帯断裂など、体はボロボロでしたが、幼少期からの「ヒーローになりたい」という思いが柔道を続けさせたのだと思います。
奥田 それでも、大学時代には全国大会で準優勝されています。
大山 大学4年になって、初めて全国大会に出場することができました。無名の私はノーマークだったのですが、決勝まで進むことができ、講道学舎の同級生で後にシドニーオリンピックで金メダルを獲得する瀧本誠くんと対戦しました。いわば、一番強い男と一番弱い男の戦いが実現したんです。私は負けてしまいましたが、このとき、諦めずにやり続ければ願いはかなうものだと実感しました。
奥田 その後は、実業団で活躍されますね。
大山 京葉ガスという会社にスカウトされて柔道を続けることができ、1998年に全国大会で優勝することができました。この大会前に大好きだった祖父が倒れ、見舞いに行ったとき「必ず優勝するから」と声を掛けたのです。それまでは自分本位だった私が、祖父のために優勝するという思いを抱いて試合に臨んだのですが、他者のために頑張る気持ちが力につながって勝つことができたのだと思います。残念なことに、祖父はその私の姿を見る前に旅立ってしまいましたが……。
奥田 実業団で実績を積まれた後、大山さんはプロ格闘家に転身されるわけですが、そのきっかけは?
大山 00年に、桜庭和志さんがホイス・グレーシーを破ったPRIDEの試合を見たことです。試合が決まった瞬間、会場の東京ドームがドンと揺れた感じがして、私の全身に鳥肌が立ちました。
奥田 またあこがれのウルトラマンが、目の前に現れたのですね。
大山 その翌日からは毎日、自分がPRIDEのリングに立って戦うことを思い描きながら、江戸川の河川敷をランニングしました。考えているだけでワクワクしていたんです。でも、現実は柔道家というギャップにだんだん居心地が悪くなってきて、また一歩踏み出したくなったのです。(つづく)
●大山さんの絵画作品
本文でご紹介した大山さんの絵画作品のほんの一部。「生きる」と大書された絵は、大山さんが初めて描いた油絵。筆ではなく手で描いたとのこと。無心に作品に対峙する姿が思い浮かぶ。
心に響く人生の匠たち
「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
<1000分の第383回(上)>
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。











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