【東京・原宿発】朝井さんは、自分の書く文章の中に笑えるポイントを必ずつくるという。どうして読者に笑ってもらいたいのか尋ねると、笑ってもらうことそのものが知的行為であり、朝井さん自身、知性を感じることが好きだからという答えが返ってきた。
確かにお笑い芸人などのテンポのいい会話とか絶妙な言葉のチョイスなど、賢くなければとてもできない技であり、知的でなければ成り立たない。だから、朝井さんの文章にも「笑い」が必須なのだ。
(本紙主幹・奥田芳恵)

●新卒で入った出版社は半年で退職
奥田 国際基督教大学(ICU)に進まれて、集団主義的なプレッシャーから解放されたというお話でしたが、就職活動や社会人生活はいかがでしたか。
朝井 まず、そもそも就職活動をなめすぎていました。出版社を志望していましたが、筆記試験段階でことごとく落ちてしまって。ほかの大学の人に聞くと、みんなマスコミの試験対策をしているのに、呑気に暮らしていて。そうした情報すら入ってこなかったんです。
奥田 でも、ICUといったら優秀ですよね。
朝井 ICU生が自虐で「Isolated Crazy Utopia(孤立したおかしな人たちの楽園)」と言うことがあるのですが、ほかの大学との交流がほとんどなく、いわゆる情報弱者になっていましたね。それでも、ある出版社に入るのですが、結局半年で退職しました。
奥田 その理由は?
朝井 自分の協調性のなさを重々自覚していたので、就職できてもうまくいかないだろうとは思っていました。それでも、文章に関わる仕事をしたいと考えて出版社に入ったわけですが、自由にさせてもらえない窮屈さに耐えられませんでしたね。

奥田 せっかく大学で解放されたのに……。
朝井 入社して3カ月は毎日日報を書くのですが、「自由に書いていいよ」と言われたので、エッセイのように書いたら、めちゃめちゃ怒られたりとか、自分の歓迎会で焼肉屋に行って、ボーッと座っていたら「新人は率先して焼くものだ」と説教されたりとか……。歓迎される側なのに私が焼かなきゃいけなかったの!? なんで!?と思いました。「社会の謎の暗黙のルール」へのストレスがすごかったですね。
奥田 会社を辞めて、一人で生きていく自信はありましたか。
朝井 という次元の話ではなく、もう辞めないと私が死んでしまうという感じですね。第二新卒の募集も視野に入れつつ、書くことで身を立てようと考えました。でも退職して1年ほどは、ほぼニート生活でしたね。
奥田 ニート生活から脱却する転機のようなものはあったのですか。
朝井 学生時代にアルバイトをしていた出版社に顔を出したら、ギャラは出せないけれど自社のWebサイトに自由に好きなことを書いていいと言われました。ここで実績をつくり、またその記事を読んだ人からの依頼につながったりして、3年目くらいから、だいぶ稼げるようになりました。
奥田 すごく営業した、とかではないですよね。

朝井 そうですね。私の場合は、過去のつながりから仕事に結びついたことが多かったですね。また、企業のWebサイトやSNSが本格的に広がり始めた時期であったことが幸いしました。たとえ原稿料が安くても、ネットで拡散すれば知名度が上がって次の仕事につながりますから。
奥田 原稿を書くときに、心掛けていることはありますか。
朝井 こだわりを持つこと、納得いくまで考えて書くこと、あとは、自分が本当に思っていることを書くこと、などですね。
奥田 こだわりというのは、どんなことですか。
朝井 例えば、クスっと笑えるポイントを必ず1カ所はつくるといったことですね。
奥田 自分の中が空っぽになって、もう書けないという感覚に陥ったことはありますか。
朝井 エッセイのように自我を出す文章の場合は、そうしたことがありますね。だから、普段から常に思考をめぐらせて、自分の中にさまざまな思いを満たしておかなければならないわけですね。
●時代を超えてコンテンツ化された「ソロ活」
奥田 朝井さんは、「ソロ活の第一人者」と言われていますが、それについてはどう思われますか。

朝井 「ソロ活」を初めてコンテンツ化したからそう言われるのでしょうが、「第一人者」になろうとしてやったわけではないので、そのことについての思いはあまりありません。
奥田 でも、ネガティブに捉えられがちな「一人」にスポットを当てたのは、まれなことではないでしょうか。
朝井 以前、上野千鶴子さんが「おひとりさま」という概念を社会学的な見地から提唱されましたが、そうした概念が時代を超え、言葉を変えて「ソロ活」というコンテンツになったとも言えると思います。
奥田 『ソロ活女子のススメ』がドラマ化されて、何か変化はありましたか。
朝井 この作品は、Webでの連載が単行本化されて、それがさらにテレビドラマ化されたわけですが、Webや本に比べてとても反響が大きく、たくさんの感想をもらえました。
奥田 ドラマ化されたことで、ご自身の知名度も高まったと思うのですが、そういう状況を望んでいましたか。
朝井 「知名度が高まった」というほど高まりはしてないですが、望んでいたかどうかで言えば、望んではいました。そのほうができることが広がりますし、父親もそういう仕事をしているので抵抗感はありませんでした。知名度が上がればもっといろいろな仕事が入るようになり、いろいろな体験ができるはずです。いろいろな体験と言っても、銀行の窓口に座るのは向いていないと思いますが(笑)、エンタメに関することなら何でもやりたいですね。
奥田 将来的に、ご自身はどうありたいと思いますか。
朝井 テキストコンテンツの時代は終わり、動画コンテンツに移行しているのが今の状況だと思います。
それは、私たちより下の世代が文章を読まないように感じることからも明らかですし、出版社の体力もどんどん落ちてきています。でも、書きたいことを書くのは止めたくありません。
 この状況の希望となり得ると思っているのが、ここ最近「文学フリマ」が盛り上がっていることです。学級新聞のようなペラペラのものからきちんと製本したものまでさまざまですが、自分たちがつくった本を売っており、中には書店に置かれるものも出てきているんです。
奥田 本をめぐる環境も、大きく変わってきているのですね。
朝井 そんな中、私はテキスト以外の表現方法も同時に模索していて、青森に住む元編集者の書店主と一緒に、ラジオアプリを使った音声コンテンツを週一回更新しているんです。その書店はセレクトショップのような形態で営業しているのですが、自分のレーベルで出版する構想を持っており、その人と一緒に、自分たちでゼロから作った本作りを今まさにしているところです。文学フリマでも、その本を売るつもりでいます。
奥田 既存のシステムに乗るのではなく、新しい流れをつくり出そうとされているのですね。
朝井 そうですね。これからはミニマムに細く長く売り続けられるかたちにシフトしていくべきだと考えています。出版業界の未来は明るくはないものの、本はなくならないと思うからです。

奥田 これからの新しいチャレンジ、楽しみにしております。
●こぼれ話
 リュックを背負い、大きなバッグを持って現れた朝井麻由美さん。少し緊張しているようなご様子。初めにお気に入りの品をご紹介いただくと、みるみる表情が明るくなる。持ってきていただいた大量のコレクションをバッグの中から取り出していくと、たちまちテーブルの上はカラフルでかわいらしいグッズでいっぱいになった。
 見たことがある商品が、消しゴムやキーホルダーなどに姿を変えていて、なんともかわいらしい。集めたくなるのがとても良く分かる。実際に、消しゴムでできたミニチュアのお弁当や食べ物など、私も持っているものがいくつかあった。幼少期から好きだったそうだが、ずっと変わらず集めていて、大人買いできるようになってさらに増えているのだそう。
 どこで買っているのか聞くと、「なんか出会うんですよね」と朝井さん。特定のところはないそうだが、いつも気にしているからか朝井さんのアンテナに引っかかるようで、さまざまなところで出会ったら買うというスタイル。そのときの発見、まさに出会いを想像すると楽しそうだし、ときめく感じがする。

 手に取って眺めてはクスっと笑ってしまうような、遊び心が詰まったグッズばかり。朝井さんが「すでにある商品が、別のものに変わっているようなもの」とおっしゃっていたとおり、これらのコレクションを総称するのがともても難しい。でも、それぞれに共通して感じるのは、リアリティの中にある茶目っ気だ。「文章の中に笑えるポイントを必ずつくる」とおっしゃっていた朝井さんの価値観と似ている気がしている。笑いで押し通さない、あくまで「クスっと」がポイントのようだ。
 「テキストコンテンツの時代は終わり」と多くの文章を書いてきた朝井さんがおっしゃる言葉は重い。でも朝井さんは、新たな表現に目を輝かせる。新しい仕組みをつくり、その中で本当につくりたいものをつくり、届けようとしている。その過程を模索しながらも楽しんでおられる。
 コンテンツも届け方も、全てデザインして新しい価値を届けようとしている朝井さんの活動に、とてもわくわくする。ユニークな視点と発想で、結果的に再び何かの「第一人者」になるような気がしている。(奥田芳恵)
心に響く人生の匠たち
 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
<1000分の第384回(下)>
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
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