(本紙主幹・奥田芳恵)
●コロナ禍をきっかけに生まれた「未来SUSHI」
奥田 今日は作品の一部をお持ちいただきましたが、このお皿に載ったお寿司は人工物なのにとてもリアルな感じもあって、不思議な雰囲気というか存在感がありますね。
市原 これは「未来SUSHI」という作品の一部で、100年後の食の未来を表現し、架空の回転寿司屋を生み出した大規模なインスタレーションです。ロボットの「Pepper(ペッパー)」の大将が寿司を握ったりもしています。
奥田 実物はかなり大がかりな作品で、コンベアにたくさんの寿司皿が回っているんですね。
市原 これは、2022年に森美術館の「六本木クロッシング2022展」で発表したもので、25年に熊本市現代美術館で行われた「和食展」にも出展しました。
奥田 こうした発想は、どのようにして生まれたのでしょうか。
市原 私のようなアーティストにとって、いろいろな国を訪れて、さまざまな価値観に出会うことが楽しみであり必要なことでもあるのですが、コロナ禍のときは、どこにも出掛けられない日々が続きました。
奥田 20年の春ごろから、そんな状況がだいぶ続きましたね。
市原 それで私は我慢できなくなり、飛行機に乗りたい気持ちが高じて、自宅で機内食をつくる趣味を始めたのです。
奥田 自宅で機内食?!
市原 100円ショップで、エコノミークラスで使われるような食器を買ってきて、そこに自分でつくった機内食を盛りつけ、「iPod」に飛行機の車窓の風景を映し出して。もちろんお酒も飲むのですが、その様子がSNSで話題になり、NHKで特集されたりしました。
「六本木クロッシング展」は、森美術館で3年に1度開かれる規模の大きい現代美術のグループ展ですが、これまでの作品をキュレーター陣にプレゼンテーションした際に、オックスフォード大学アシュモレアン美術博物館近現代美術キュレーターのレーナ・フリッチュさんが「この趣味が面白い」とおっしゃって、これに着目して新作をつくれないかというお話をいただいたのです。
奥田 コロナ禍がきっかけで、この作品ができたのですね。
市原 機内食の趣味は、コロナをはじめとする時代の流れによって変化する食のあり方を、ある意味では表象したものです。それを敷衍して新作をつくる方法について、4人のキュレーターの方々とディスカッションをして回転寿司がいいということになり、「未来SUSHI」をつくることになりました。
奥田 ところで市原さんは、大阪・関西万博の日本館基本構想事業に有識者クリエーターとして参加されています。
市原 20年に最年少メンバーとして参画しました。日本館というホスト国のパビリオンのテーマ・コンセプトや基本構想を考えるために9人の有識者が集まり議論するのですが、私以外のメンバーは大学教授や建築家など大変しっかりした肩書を持った方々でした。でも、みなさん非常に個性的で尖っている方ばかりで、行政事業とは思えないほどに忖度のない議論になっていたと思います。本来、私はアーティストですから一番尖っていなければいけないのでしょうが、むしろ、みなさんの調停役のようなこともしていた記憶があります(笑)。
奥田 20年というと、まさにコロナ禍が始まった年でした。
市原 1年先の状況も読めない時期に、5年後に行うことを構想するのは厳しいものがありました。
奥田 おっしゃる通り、この時期に未来について考えることはなかなか難しいものがありますね。
市原 当然ながらそれぞれの意見や立場は異なるため、ファシリテーターの塩瀬隆之先生が苦心してまとめてくださった面はありましたが、膨大なお金と時間を投入するからには、これからの社会を生きる人たちのために意味のあるものをつくりあげるという考えは共通していたように思います。
このメンバーは1年でシャッフルされ、私はその後の建築や展示には関わっていないのですが、携わる人が代わっても、当初策定した基本構想はきちんと反映されていました。
●美術に関わりたいという気持ちと 美術で食べていけるのかという疑念
奥田 小さな頃はどんなことがお好きでしたか。
市原 やはりものをつくることや絵を描くことが好きだったので、漠然とですが美術に関することをやりたいと思っていました。子どもの頃は人見知りだったので、なるべく人と関わらず静かに過ごしたいと思っていたんです。
奥田 今よりも内向的だったのですね。
市原 基本的に、ものづくりをする人はそういう要素があると思うのですが、成長するにつれて人と関わることは苦ではなくなっていきました。むしろ、絵を通じて友だちとコミュニケーションを取ったり、ものをつくることで変わった友だちが増えたりすることが楽しくなっていきました。
奥田 でも、美術系の大学には進まれなかったのですね。
市原 美術に関わりたいという気持ちはあったのですが、高校生のときは、ただ夢を追って食べていけるのかという疑念も持っていて、美大を受験して合格したものの、そちらには進まず早稲田大学に新設された文化構想学部に入学しました。
奥田 高校時代は、とても慎重で堅実な考えをお持ちだったのですね。
市原 ところが、私が入った文化構想学部は堅実どころかだいぶサブカル寄りの学部で、そこでたまたまシステムアーティストとして活躍されている安斎利洋先生と出会いました。
奥田 あー、YouTubeで拝見しました!
市原 ただ、これを「喘ぐ大根」とは言わず、真面目に「植物を使ったインターフェースの研究です」などと言って私は就職活動をしていたんです。
奥田 でも、安斎先生との出会いは貴重だったのですね。
市原 そうですね。文系の学生の思い付きやコンセプトを後押しして、それを実現させるような教育をしてくださったと思います。当時学んだアイデアの創出方法なども、自分がワークショップなどをするときに教えています。
奥田 美大に進まなくても、アーティストとしての創作意欲に満ちていたのですね。
市原 ただ、当時はどの分野に進めばいいか分からず、イラストレーションやコピーライティングの学校にも通っていましたし、映像制作やグラフィックデザインも手掛けて、手当たり次第という感じでしたね。
奥田 そして就職活動の結果、Yahoo!JAPAN(現LINEヤフー)に入社されます。
市原 ものづくり系の会社にデザイナーとして入社できたことはラッキーでした。
奥田 後半では、社会人になってからのお話とアーティストとしての足跡についてうかがいます。(つづく)
●「未来SUSHI」の一皿と大将のお面
対談の冒頭でご紹介した妙にリアルな「未来SUSHI」のパーツ。寿司を握る大将ロボットの顔(お面)は、市原さんご本人の3Dデータから製作したもの。驚きを与えてくれるものばかりだ。
心に響く人生の匠たち
「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
<1000分の第385回(上)>
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。











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