【愛知県・海部郡発】日々の仕事を「放課後の校庭」に例える石川さん。「誰かがサッカーやろうと言い出したら、サイドラインとかゴールとか、いろいろ決めて自然とゲームが始りますよね。
会社でもそれと同じことをやっているだけです。もともと人間、命令されなくてもできるようになっているんですよ」。何とも大胆な経営スタイルだ。しかし「唯一のルールはDM禁止」だという。社内のやり取りは全て全社員が見える「Slack」上で、社外へのメールは全員が読めるアドレスにccを追加する。会社のことを隅々まで誰もが把握しているから、「ホウレンソウは必要ないんです」と話す。
(本紙主幹・奥田芳恵)

●楽だと思って入った政策金融公庫 待っていたのは激務の洗礼と仕事の楽しさ
奥田 側島製罐に入社されて、四面楚歌状態から脱したきっかけは何だったんですか。
石川 みんなと一緒にミッション、ビジョン、バリューをつくったあたりからです。そこに行き着くまでに何度もみんなと喧嘩したこともありましたが、徐々に仲間になっていきました。今ではめちゃくちゃ仲がいいですよ。
奥田 認められるようになった一番の要因はなんでしょう。
石川 経営者としての優越的な地位は絶対に使わなかったことですかね。
公平性を意識して、辞めますと脅されても、譲れないところは譲らない。裏表なく絶対に妥協しないという姿勢が信頼につながったような気がします。みんな大事な人生を預けてくれているわけです。みんなの考えが尊重された、心から「これっていいよね、楽しいよね」と言えるものにしたい、という思いも通じたんでしょう。
奥田 キャリアのスタートは日本政策金融公庫だとお聞きしました。就職先として選択された理由はなんですか。
石川 親が経営者だった手前、中小企業を支援することがやりたかった、というのが建前です。本音はあまり働きたくなかった、です。9~5時の間、座っていて1000万円という感じのホワイトな世界だと思っていました。
奥田 実際入ってみてどうでした?
石川 むっちゃ営業会社でした。全くやりたくなかったんですが、営業になっちゃって。今日いくらやるんだ、と詰められる毎日です。
一度嫌になって転職活動をしたこともあります。父ちゃんにも「そろそろ家業はどうかな」と水を向けたこともあるんですが、「営業ができない奴はいらない」とお断りされちゃいました。ただ、耐え忍んで一生懸命やるうちに楽しくなってきました。
奥田 内閣官房にも出向されたんですよね。
石川 参事官補佐という省庁では上のほうの役職で出向しました。とにかく裁量が大きかった。マニュアルがないんです。政策や法律を考えたり、今までにないものをつくるゼロイチの仕事です。自分の文章がそのまま世の中に発信され、国会答弁をつくったこともありました。残業200時間とか激務でしたが、仕事が世の中に与えるインパクトが実感できて楽しかったですね。
奥田 そこから、お父様が体を壊されて、突然経営をバトンタッチされることになったんですね。
石川 今まで見ないようにしてきた現実が、突然迫ってきた感じです。

奥田 そもそも会社を継ぐことは決まっていたんですか?
石川 特に決まってはいませんでした。最初は嫌だったんです。将来、会社を引き継ぐということは、辞める前提で就活するということじゃないですか。それがめちゃめちゃ嫌で。
奥田 勉強は一生懸命やられたほうですか。
石川 全然です。小学校のころから塾に「行かされて」いたんですが、中学受験に失敗。公立の中学から高校に入って、部活でバスケットボール三昧です。留年ぎりぎりでした。大学受験も失敗です。そこからはめちゃくちゃ勉強して、何とか一浪で慶應に滑り込みました。経済学部でした。
単位が厳しくてそれなりにやったんですが、成績優秀、というわけでもなかったですね。
●経営者の権利を手放さなければ 本質的に会社は変わらない
奥田 会社の話に戻りますが、ミッション、ビジョン、バリューが出来上がって次は何を?
石川 いったん棚上げにしていた人事制度です。ところが、ここで悩みました。やっと「怒られないようにやる、言われたからやる」という仕事観をリセットしたんです。自分の良心に従って自律的にやっていこう、という下地はできました。ところがここで評価に基づいた給与制度にしてしまうと、結局、何も変わらないんじゃないかと。「怒られてやる」というマネージメントが、ミッション、ビジョン、バリューに置き換わるだけ。他人軸の思考停止状態と、本質的には変らない。
奥田 結局、どうされたんですか。
石川 給与と評価をひも付けている限り無理じゃないかって。僕自身が覚悟して、自分の経営的な権利を手放し、分散させることにしました。いわゆる人事評価を止めたんです。
給与の決定やマネージメントを経て誰かに従う、という構図を根絶するために、役職もなくしました。
奥田 かなり大胆なご決断でしたね。
石川 僕は登記上の代表取締役であっても、一社員にすぎません。指示・命令の権利はありませんし、決裁もなにもやっていない。みんな好きなように経費も自由に使っています。上下の関係もありません。全員が同じ目線でそれぞれが経営者。全員がフラットです。父ちゃんの代から割と「信じて任せる」みたいな会社でした。その延長線みたいなものかもしれません。
奥田 給与はどうやって決めていくんですか。
石川 基本的には自己申告です。
ベースになる金額もありません。各々が勝手に決めます。
奥田 とてもリスクが高そうに思えますが。
石川 「給与を決める誰か」がいなくなったら、その誰かをチラチラ見ながら仕事をする必要はなくなります。心清らかに仕事に取り組めます。給与はほぼオープン。役職も部署も基本ありません。ポストが空かないから給与が上がらない、なんてこともないんです
奥田 自己申告が全て通るわけではありませんよね?
石川 僕と有志5人ぐらいで構成する、投資委員会というチームがあります。そこに、半年間の給与と役割を宣言するんです。もちろん、高すぎる人、低すぎる人、いろいろです。高すぎる人には「その金額を実現するにはもっとこういうことをしたら近づけるんじゃないか」と、サポーティブにアドバイスをします。投資委員会が評価者になるのではなくあくまでサポートをして、アドバイスを踏まえてそれでもやるのか、金額を下げるか、というのは本人が決めることです。低すぎる人には「もっと上げたら!」とか。
奥田 宣言が達成できない場合はペナルティーがあるんですか。
石川 特にありません。大風呂敷を広げても、結果が伴わなければ投資は続けられませんよね。結果は各自が証明することなので。自由ですが責任も伴います。実績をつくって信頼を積み重ねていくのは、本人の技量でもあるわけです。
奥田 大胆な経営改革の成果はあがりましたか。
石川 おかげさまで、4期連続黒字まできました。今期の売り上げは5年前比で160%くらい。8億円を超えそうです。損益も4000万円の赤字だった段階から5000~6000万円の黒字が見えてきました。
奥田 素晴らしい成果ですね。最後に、御社の大改革を通じて一番お伝えになりたいメッセージはなんでしょう。
石川 「良い人生からしか良い仕事は生まれない」ということでしょうかね。
●こぼれ話
 世界に存在する創業100年以上の長寿企業のうち、約4割を日本企業が占めている。愛知県海部郡にある側島製罐も、間もなく120周年を迎える長寿企業だ。3年前に親子間の事業承継で6代目の代表に就任した石川貴也さん。明治創業の老舗製缶メーカーに、36歳の代表が誕生した当時の状況をイメージできるだろうか。
 業績はコロナの影響を受けて低迷。石川さんに寄せられる期待、抵抗感、課せられる業績回復、社員を守る使命。石川さんはスーパーマンなのだろうか、経営の軸は何なのだろうか。さまざまな思いを馳せながら、名古屋から電車を乗り継いで会いに行った。
 業績の立て直しにはさまざまな手段があり、策を講じてこられたことは確かであったが、石川さんはもっと根源的な「働くとは」や「生きるとは」に向き合って、抜本的改革を進めてきたことが良く分かった。とはいえ、結果的に大胆な改革になっただけで、みんなを信じることを貫き通した結果、積み上げられた今であるにすぎないのだろう。
 石川さんは、お気に入りの品で「アートオブラビング(愛するということ)」を紹介してくれた。経営の軸というよりも、もっと上位概念にある「愛する」という信念が、石川さんの思考を豊かに、そして強くしておられることが鮮明になった。
 日本に長寿企業が多い理由として、外国からの侵略が少なかったり、江戸時代から読み書き、そろばんなど教育水準が高かったりといった歴史的側面と、「家」制度や「三方良し」の事業観など文化的側面が挙げられる。環境や文化は確かに大きな要素なのだろう。しかしそれだけではなく、経営的な側面で継続的に価値を提供し続けられる理由が存在しているはずだ。
 石川さんとの対話を通して、その解の一つは、時代を超えて通用する独自のコア能力を自身で見いだし、それを大切にすることだと実感できた。側島製罐のコア能力は、難しい要望を吸い上げ、擦り合わせる能力と実現させようとする愚直さだと考えている。それが、本質的なコア能力だからこそ技術が付き、設備が充実して、顧客価値を創出し続けられているのだと思う。そのコア能力を、対話によって石川さんを含め社員が気付き、「世界にcanを」というミッションに昇華したことは、側島製罐の成長と継続に大きな意味を持った。
 バトンを受け取った身として、重ね合わせ考えることも多い対話となった。「そうそう、大変ですよねー」と共感し合うそんな会話もあったが、お互いに前を向いていることは確か。それぞれの地で、それぞれの強みで、独自の貢献を果たしていこうと思いを新たにした対談であった。(奥田芳恵)
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