【銀座発】若くして急逝したお父さまの跡を継ぎ、40代に足を踏み入れたばかりで現役バリバリの高橋さんに、先々のことを尋ねるのはまだ早いのかもしれない。でも、将来やっていきたいこととして、次代の料理人、寿司職人を育てる環境をつくりたいと話してくれた。
同業者から「それは無理だ」と言われることもあるというが、人に育てられた自分にとって人を育てることは任務だと。それも名店の条件なのかもしれない。
(本紙主幹・奥田芳恵)

●面接時の「何でもできます」というハッタリが料理人としての自信と成長につながった
奥田 高橋さんは子どもの頃からの「お寿司屋さんになる」という志がまったくぶれていないのですね。
高橋 実は、一度だけぶれたことがあるんですよ。高校生のときに初めてアルバイトをしたのが、イタリアンレストランでした。もともと、ものづくりは好きだったのですが、バイト先でピザをこねたり、パスタの鍋を振るったりすることがとても楽しかったんです。動きも大きいですし。
奥田 料理人ということでは共通していますが、だいぶ毛色は違いますね。
高橋 それで両親に、イタリアンを学んでから寿司の修業をしたいと言ったら、二人とも「そんなに甘くない。やるなら(寿司)一本で」と。言われてみればそうだし、それほどイタリアンに執着していたわけではなかったので、寿司のほうに戻りました。
奥田 当初、跡継ぎになれとは言われなかったということですが、お父さまは高橋さんが料理人になることについてどんなスタンスをとられていたのでしょうか。

高橋 おまえがやりたいのなら手伝うよ、くらいの感じでした。高校を卒業して初めての修業先は、父のお客さまの紹介でしたし、そういう意味ではとても後押ししてもらえましたね。
奥田 修業時代に「この人はすごい!」とか、「ここで何かをつかんだ!」ということはありましたか。
高橋 当時の私は、あまりそういうことを感じることのできる人間ではありませんでした。
奥田 それは、高橋さん自身が何でもこなせたからなのでしょうか。
高橋 いやいや、そんなことはありません。でも自分の店を始めてから、あの人たちがいたからこそ、いまの自分があると感じました。一人で店の全ての仕事をやっていく中で、こういうことはあそこで学んだとか、こういうときにこうするのは誰に教わった、といったことを思い出し、修業時代の親方や先輩が私を一人前にするために、育ててくれていたということにようやく気づいたわけです。
奥田 料理人としての自信は、どのようにして培われたのでしょうか。
高橋 父の店を飛び出した後、飲食業の就職イベントで東京・銀座に本店を構える高級寿司店の話を聞きました。その寿司店は海外出店を進めており、海外要員を求めていました。ところが私は「海外にはまったく興味ありません。
銀座の本店でやりたいです」と言って担当者を呆れさせました。でも、私の話を総大将につなげてくれて、面接にこぎつけたのです。
 すでに妻子持ちだった私は、とにかく稼がなくてはなりません。それで面接時に「何でもできますから、給料はこれだけください」とハッタリをかまし、それで採用されました。それが料理長を務めた前職の「銀座おのでら」です。
奥田 ご家族のために必死だったとはいえ、すごい度胸ですね。
高橋 その店では料理長として、現場の調理は全て任されました。ハッタリをかましたからではないですが、意外とできたんです。
 それまでは、自分がどんな料理人になるのかはっきりと定まらないところがあったのですが、このお店で自分が料理をつくれるんだという実感や自信を持つことができました。総大将がしばしば海外出張で不在となるため、私が大将代理を務めたことも、自身の実力の積み上げとその後に店を持つことの練習につながりました。
奥田 お店のマネジメントを含め、高橋さんの料理人修業の総仕上げとなったのですね。
●おいしさも大事だが 雰囲気のいい店であることがとても大事
奥田 お店を実際に継いでみて、いかがでしたか。

高橋 開店1年目の飲食店というのは赤字まみれになるのが普通ですが、前職でひいきにしてくれたお客さまがたくさん見えてくださったおかげで、経営を軌道に乗せることができました。
奥田 では、経営的には最初から安定させることができたのですね。
高橋 いや、それほど甘くはありません。今は夜のおまかせコースだけで営業しているのですが、お客さまの入れ替えをせず時間制限を設けていないため、経営的にはギリギリな感じですね。
奥田 あえて効率を追求しないのは?
高橋 父が経営していたのは町寿司で、昼から通しで営業するスタイルでした。その雰囲気を残したかったんですね。だからおまかせコースであっても、なるべく融通が利くようお客さまに声を掛けますし、お好みの注文にも応えられるようにしています。
奥田 高橋さんが、お店で大事にしていることはどんなことでしょうか。
高橋 料理がおいしいだけでなく、居心地がいいお店であることですね。私もいろいろなお店に食べに行きますが、そういうお店にはお腹がすいていなくても行きたくなるものです。居心地がいいということは雰囲気がいいということ。それはどんな人が料理をつくり、サービスをしているかによると思います。

奥田 そういう雰囲気のいいお店にするには、どんなことが必要ですか。
高橋 どんなに忙しくても笑顔を忘れないことですね。それと、お客さまとのコミュニケーション。私自身、お店がシーンとしているのが苦手なので、もっとおしゃべりしていただければと思うのですが、ありがたいことに、私が料理をしている手元を見ているだけで楽しいというお客さまもいて、そのあたりが難しいところですね。
奥田 でも、プロの料理人の包丁さばきを目の前でじっくり見るのもぜいたくですよ(笑)。
高橋 コースは平均3時間くらいなのですが、その間、お客さまがどう感じているのか、いつも気にかけています。いいお店では時間を忘れることができるといわれますが、そういう雰囲気をつくれたときはうれしいですね。でも、毎日、料理をつくりサービスをしながら、その雰囲気づくりのためのやり取りもしているわけですが、お客さまを送り出してからは「ああすればよかった、こうすればよかった」と、いつも反省ばかりしています。
奥田 いつも謙虚で笑顔を絶やさない高橋さんには、きっとたくさんのいい常連さんがついているのだと感じます。お父さまから伝えられたものとご自身が身に付けたもの、その両方を大事にされてますますの商売繁盛をお祈りします。
●こぼれ話
 ショッピングや食事を楽しむにはまだ少し早い午前中の銀座。街全体がまだまだ寝ぼけた様子で、静かな時間が流れる中、仕入れ業者のきびきびとした動きが映える。
「仕事、仕事」と自分に言い聞かせながら、キョロキョロとおいしそうなお店をチェック。もちろんお値段も。
 今回の対談は、高級寿司店「銀登美」店主の高橋哲久さん。周囲に早いと言われながらも35歳で銀座にお店を持ち、自分の味で勝負してきた強者だ。高級寿司店になじみがなさ過ぎるあまり、必要以上に背筋をピンと伸ばして、いざ入店。美しいヒノキの一枚板が存在感と光を放つ。そのカウンターの中から、穏やかな表情で出迎えてくれた高橋さん。すっとした立ち姿は、一本の強い柱が通っているよう。お店と高橋さんの雰囲気がとても合っている。
 気さくにいろいろとお話してくださるので、「厳しそうな方でなくて良かったです」と思わず私の心の声がポロリ。しゃんとした世界観がありながらも、心地よく緊張せずにお寿司を楽しめそうだ。そう思わせてくれるのも、お話の内容、人に与える印象、内装が持つ力、全てを含めて場をしっかりデザインしておられるからだと分かる。

 職人の世界は、暗黙知に依存する領域が大きいのではないかと想像している。形式化することで、抜け落ちる何かがあるような気がしている。例えば、道具から伝わる音で状態を察する力、空気や湿度で変わる感覚、お客様とのリズムなどがそうではないだろうか。修業という「時間」がそれを埋めてくれるのだとしたら、若くして店主となり、継続してきた高橋さんはやはり特別な努力家だ。
 お寿司は華道や茶道など、「道」が付く世界と似ている部分があるように思う。伝統や世界観、そして精神性も魅力で、それを次世代につないでいくことはとても大切なことだ。きっと先人たちがやってきたからこそ、私たちはおいしいお寿司の世界を知ることができている。利益率や効率性を思えば、おそらく高橋さんお一人で切り盛りしたほうが良いかもしれない。しかし、高橋さんは人を残したいとおっしゃられた。
 多様な価値観と選択肢が広がる今、暗黙知の多い世界を伝え残していくのは苦労も多いだろうが、高橋さんの挑戦に大いに期待したい。心意気にあっぱれ。(奥田芳恵)
心に響く人生の匠たち
 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
<1000分の第388回(下)>
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
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