業界最大手の大都新聞社の深井宣光は、特別背任事件をスクープ、報道協会賞を受賞したが、堕落しきった経営陣から“追い出し部屋”ならぬ“座敷牢”に左遷され、飼い殺し状態のまま定年を迎えた。今は嘱託として、日本報道協会傘下の日本ジャーナリズム研究所(ジャナ研)で平凡な日常を送っていた。
大都新聞社の前社長とは、現相談役の烏山凱忠(からすやまよしただ)のことである。烏山は昭和32(1957)年入社で、後任の松野弥介(39年入社)の7年先輩である。政治部出身で、政治部長、編集局長などを歴任した。政権与党の自由党首脳の懐に食い込んでいた深井宣光を政治部本流から外した張本人とみられ、それは嫉妬以外の何ものでもなかった。
「あの狆(ちん)みたいな小太りの爺さんさ、なんていったっけ?」
日亜新聞出身の吉須晃人が深井に質した。
「烏山ですよ。今は相談役。大学に入るのに2、3年浪人したようで、年齢は80歳を過ぎていす。あの脂ぎった破顔を見ると、へどが出ますよ」
「奴が長期政権で大都をおかしくしたんだろ? 弱小商社と見紛うような事件も起きたな」
「社長は2期4年で交代し、任期を終えると、会長や相談役にならず、完全に身を引くという慣行が定着していたんです。
「その頃だよな。アングラ情報として向島の芸者との愛人疑惑が流れ出したのは」
「そうです」
「当時、大都の社長は『報道協会会長をやるまで、社長ポストに居続ける』とほざいているという話を聞いたような気もする。“魚転がし事件”と女性スキャンダルが表沙汰にならないと10年か12年はやったのかね」
「そうですね。あの頃は今のジャナ研会長の太郎丸(嘉一)さんが報道協会会長でした。当時は国民新聞社長で、うちの烏山は太郎丸さんに対抗心むき出しでした。年が近かったし、同じ政治部出身でしたから」
●勲章欲しさに社長にしがみつく新聞業界の業界団体である報道協会会長は大手3社の社長が就くポストで、一応、輪番制の形になっている。しかし、その在任期間は3期6年やることもあれば、1期2年で辞めてしまうこともある。太郎丸の前任は日亜社長で、もし太郎丸の後任ということになれば、大都の社長が就くのが順当だった。
「“魚転がし事件”が発覚したとき、太郎丸さんは協会会長、何年目だった?」
「ちょうど、2期4年目でしたね。だから、烏山は大都社長ポストに10年間しがみつけば協会会長を1期2年、12年間しがみつけば、2期4年やれたんですよ」
「そうか。だが、なんで協会会長をやりたいんだい?」
「それは勲章ですよ。
「太郎丸さんは勲章もらったのかね」
「いえ、もらっていないんじゃないんですかね。多分、辞退しているんです。スノッブそのものの烏山とは違います。太郎丸さんはリベラル派の論客だし、今だって左派勢力の政治家に対して隠然たる影響力を持っていますから」
「お宅の紙面に、叙勲のお祝いのパーティーで、狆みたいな爺さんの喜色満面の写真が小さく載っているのを見た記憶があるよ。確か2、3年前だ。人格識見だけじゃなく、品位の点でも、太郎丸さんとは『月とスッポン』だな。協会会長をやらせないで良かったわけだけど、辞任に追い込まれた原因はどっちなんだい?」
「事件なのか、愛人なのか、ということですか」
「そうだよ」
「どっちとは言えないです。両方重なったのがよかったんですね。実はもう一つ、報道協会会長の話と別に、表に出なかった烏山の思惑があったんです」
「なんだい? それは」
「今の社長の松野(弥介)を大都テレビに出して、松野と同期の谷卓男(たにたくお)という、当時の副社長を後任に据えようと目論んでいたという噂が流れていたんですよ」
「谷って今の大都テレビ社長?」
「そう。烏山っていう男はひどい奴なんです。2期4年で社長交代し、前任は完全に引退するという大都の美風をぶち壊しただけじゃなく、政治部出身者と社会部出身者もしくは経済部出身者で交互に社長に就くという慣行まで破壊しようとしたんです」
「谷は政治部出身なのか」
「そうです。確かに、谷は能力的には烏山や松野よりましでしたよ。
“魚転がし事件”というのは、全国各地の名産品の通信販売を手掛ける子会社「大都通販」が起こした巨額損失事件である。「大都通販」は烏山が社長に就任して1年後に設立した子会社で、損害額は300億円を超した。発覚したのは6年半前である。
「うちには全国各地に支社支局を張り巡らし、部数もトップだ。その地方の名産品を通信販売で読者に売れば、広告も取れるし、一石二鳥だ」
烏山の鶴の一言で、通信販売会社「大都通販」が設立され、50歳代後半の定年間近の販売局や広告局の社員が送り込まれた。名産品の通信販売だけやっていれば問題なかったが、烏山の“腰巾着”と蔑まれていた政治部記者OBを社長に据えたのがいけなかった。
定年間近の販売局や広告局の社員たちは、大過なく定年まで勤めたいだけで、はっきり言って仕事はしない。烏山の歓心を買おうとでも思ったのか、社長直轄で、簡単に見かけ上の売上高と利益を増やせるマグロの業転取引に乗り出した。それが引き金だった。
業転取引はマグロを最終消費者に届けるのでなく、業者間でぐるぐる回す循環取引だ。参加する業者がさやを抜くので、仮に1000万円しか価値のないマグロであっても、ぐるぐる回っているうちに何億円という価格で取引されるようになる。
回り続けている限り、売り上げと利益は出る。しかし、どこかで決済が破綻すると、行き詰まる。そのババを一手に引き受けたのが大都通販だった。時価とかけ離れた高値の在庫を抱えることになった。破綻した時には、循環取引の対象はマグロだけでなく、ふかひれなど魚介類全般、さらには石油製品にまで広がっていた。
こうした循環取引に参加するのは中小業者がほとんどで、大都通販のような大新聞社の子会社が入ることは極めて稀だ。循環取引に誘いこむ広告塔の役割も果たしたのだが、それを利用して稼ごうという海千山千の連中が、われもわれもと参入した。そして、循環取引は破綻、大都通販がババを引き受けてしまった。回収しようとすれば、中小業者が潰れるだけ。海千山千の連中は、ひと稼ぎして循環取引の輪から抜けている。
通販会社に売り上げと利益がどんどん増えれば「異常だ」と気付かなければいけない。まともな大企業なら、誰かが気付き、損失が大きくならないうちに、撤退させる。
烏山ら大都の経営陣に大都通販巨額損失の情報が上がったのは、烏山が辞任に追い込まれる一年前だった。情報が上がるや否や、激怒した烏山は連日、向島の料亭街の一角にあるバーに側近たちを集め、収拾策を練ったが、もはや時すでに遅し、だった。
●経費で豪遊し、向島の芸者を愛人にこのため、向島のバーでの鳩首協議の目的は事態の収拾策から、隠蔽工作に変わった。しかし、半年も経たないうち、表沙汰になった。大都通販があこぎな取り立てに動き、中小業者が潰れたためで、週刊誌が大都の横暴を書き立て、社会問題になった。
「『向島』というのが烏山の愛人か」
「そうです。彼女が芸者の傍らで始めたバーです」
小柄小太りの烏山は、その風貌も重なって一般女性には全くモテなかったが、カネ離れがいいので、水商売で下心のある女は無視せずに付き合う。そんな中の一人に年増芸者がいて、愛人にした。大都社員なら誰でも知っているといっても過言ではない、周知の事だった。
政治部記者、特に保守本流の与党、自由党に食い込んだ記者は、派閥の領袖クラスの政治家と付き合うので、赤坂や新橋の料亭に出入りする。
烏山はふてぶてしい傲慢な男だが、人懐っこさもあり、政治部時代は自由党の幹部連中と幅広く付き合い、いまだに本人自身は自由党に影響力を持っていると思い込んでいる。若い頃、派閥の領袖クラスに可愛がられたのは使い走りに重宝されたからだ。政治部次長、政治部長、編集局長と地位が上がると、お追従を言うだけで定見のない烏山は、派閥の領袖たちから遠ざけられるようになった。つまり、相手にされていないのが実体で、政界では烏山は“大都のピエロ”と陰口を叩かれたが、それに気づくような男ではなかった。その代わり、烏山の肩書に吸い寄せられるように、自由党中枢の情報を知りたい陣笠代議士たちが集うようになった。
烏山の持っているのは、自由党担当や官邸担当の記者たちから集めた、すでに大都に掲載された通り一遍の情報だけだった。それを小出しにするだけだったが、新聞などろくに読まない陣笠代議士たちにはありがたがられた。烏山が料亭の会食代や芸者の花代をすべて持ったことも大きい。もちろん、烏山のポケットマネーではない。大都のカネ、取材費だ。
(文=大塚将司/作家・経済評論家)
【ご参考:第1部のあらすじ】業界第1位の大都新聞社は、ネット化を推進したことがあだとなり、紙媒体の発行部数が激減し、部数トップの座から滑り落ちかねない状況に陥った。そこで同社社長の松野弥介は、日頃から何かと世話をしている業界第3位の日亜新聞社社長・村尾倫郎に合併を持ちかけ、基本合意した。二人は両社の取締役編集局長、北川常夫(大都)、小山成雄(日亜)に詳細を詰めさせ、発表する段取りを決めた。1年後には断トツの部数トップの巨大新聞社が誕生するのは間違いないところになったわけだが、唯一の気がかり材料は“業界のドン”、太郎丸嘉一が君臨する業界第2位の国民新聞社の反撃だった。合併を目論む大都、日亜両社はジャーナリズムとは無縁な、堕落しきった連中が経営も編集も牛耳っており、御多分に洩れず、松野、村尾、北川、小山の4人ともスキャンダルを抱え、脛に傷持つ身だった。その秘密に一抹の不安があった。
※本文はフィクションです。実在する人物名、社名とは一切関係ありません。
※次回は、来週9月6日(金)掲載予定です。