一審判決文や原告陳述書などの裁判資料によると、事件の概要と原告の訴えは次のようなものだった。
東京都の某市に住む原告の西島百舌夫氏(仮名)は、2012年1月28日13時半頃、横浜駅西口から500mほどの距離にある東急ハンズ横浜店沿いの道から、パルナード通りに入った。パルナード通りは、真ん中が6mほどの一方通行の車道、両脇に2~3mの歩道があり、横浜駅西口まで続く横浜のメインストリートの一つ。
西島氏は、このパルナード通りの歩道を横浜駅方向に向かい、タバコを吸いながら10mほど歩いた。すると、すぐに横浜市の美化推進委員にタバコの火を消すよう指導され、条例違反であると告知された上、告知・弁明書にサインするよう求められた。西島氏はサインし、その場で処分され、過料2000円を支払った。
横浜市は、07年9月に施行された「ポイ捨て・喫煙禁止条例」により、横浜駅周辺地区、みなとみらい21地区、関内地区など6地区を「喫煙禁止地区」に指定し、違反者には罰則として過料2000円を科しているのである。
西島氏が違反を指摘された地点は、喫煙禁止地域に指定されているパルナード通りの一番端側だった。しかも、右折する前の通りには「この先路上喫煙禁止」といった注意書きなどはなく、通りに入ると路面に直径30cm程度の喫煙禁止マークや、対面の歩道上に「喫煙禁止地区 No Smoking Area 罰則(過料2000円)」との看板があったが、西島氏は自分のいた場所からは見えない位置だったと主張している。
そのため、西島氏はこう主張している。「路上喫煙したことは事実であり、決して自慢できることではないことは私自身も十分に認識しております」としつつも、美化推進委員が喫煙について注意もせずに過料処分とした対応について、「『ぼったくりまがい』の取り締まり手法は恐喝と同じで、極めて悪質かつ特異な公権力の乱用事例である」と強く非難した。
12年3月、西島氏は横浜市長に対し異議申立をしたが、同年6月に棄却決定。翌月、神奈川県知事に対し審査請求を求めたが、同年12月に棄却。13年6月27日、この歩行喫煙をめぐる横浜市と神奈川県の決定の取り消しを求め、横浜地裁に弁護士をつけず本人訴訟として提訴した。
提訴に至った心境を西島氏は「誰かが戦いを挑まなければならないという使命感が大きい。それだけ横浜市の対応は、日本最大の政令指定都市とは思えないものでした」と述べ、「日本国憲法の基本理念である基本的人権を顧みない条例至上主義による行政運営が堂々と行われている」と指摘した。
これに対し行政側は、「喫煙禁止の看板は西島氏から見えるところに位置していた」と、処分の妥当性を主張している。
審理は進み今年1月22日、一審判決が下った。判決文によると、西島氏がパルナード通りに進入した地点からは、喫煙禁止の看板や路面マークは「容易に認識することはできない」と判断。
また、横浜市のポイ捨て・喫煙禁止条例による2000円の過料処分については、「制裁を加えることにより喫煙を防止し、快適な都市環境の秩序を維持することが目的である」と妥当性を認めつつ、「一方、我が国において、いわゆる路上喫煙が禁止されている地域は現在のところ、極めて限られているから、そこが喫煙禁止地区であることを知らなかったことに過失もない」との見解を示している。
喫煙禁止を知らずに喫煙をしていた人に対し過料処分をしたとしても、被処分者としては、喫煙禁止地区と認識し得なかった以上、単に『運が悪かった』と受け止めるだけであり、「今後は喫煙禁止地区において喫煙をしないようにしよう」という動機付けにはつながらず、条例の目的とする抑止効果を期待することはできない。よって、「路上喫煙禁止区域内で喫煙した人に対して、無条件に過料処分とすることができるとする被告の主張は不合理であり、採用することはできない」と断じ、横浜市と神奈川県の下した処分は「違法である」との判決が下った。この事件の裁判長は横浜地裁民事第1部の佐村浩之氏だった。
この判決を受け、横浜市は控訴した。同市が提出した控訴理由書によると、一審判決で路上喫煙が禁止されている地域は極めて限られているとしたことについて、国が02年に制定した「健康増進法」25条には「受動喫煙の防止」が明記されており、路上喫煙の危険性は社会で認知されていると反論。さらに、受動喫煙が健康被害をもたらすだけではなく、歩行喫煙をすれば、すれ違う人に火傷や服の焼け焦げなどのリスクがあり、特に1994年1月9日にJR東日本船橋駅構内で、歩行喫煙をしていた男の持つタバコの火が幼女の瞳に当たり緊急搬送された事件以来、危険性は広く知られていると述べ、処分の妥当性を訴えた。
日本小児科学会などは、05年12月6日、「子どものための無煙社会推進宣言」を採択し、「路上喫煙地域の拡大を推進する」と表明。こうして全国各地で路上喫煙禁止のうねりが起き、いまや全国20の政令指定都市のうち、仙台を除く19市と都内23区の特別区すべてで、路上喫煙を規制する条例ができており、原告の西島氏の住む東京都某市でも、市全域を歩行喫煙の禁止区域としている。
「従って、路上喫煙禁止地域は極めて限られたものでは決してなく、むしろその逆であり、多数の人が往来する野外の場においては、全国的な規制として行われていることが周知の事実となっているというべきである」と横浜市は主張した。
また、一審判決で過料2000円について「抑止効果がない」としたことについて、「到底首肯できるものではない。現に横浜の過料処分件数は08年の5000件台から12年は2000件台へと減少」しているとし、「路上喫煙の禁止を実効あらしめるためには、路上喫煙の有無を現場で確認する嘱託職員の存在が不可欠であり、ゴネ得を許さず、現場における過料徴収業務を円滑なものとするためには、人員の大幅増員を余儀なくされ、コストもかかる」と、過料の正当性を訴えた。
そして、「政令指定都市の中で最も人口の多い横浜市内の、人通りの多い駅前付近の地区である以上、通常の喫煙者であれば、路上喫煙の危険性を認識し、喫煙禁止地区に該当する可能性が高いことは当然に予見し得ること。まして、原告の居住地は、市内全域が禁止区域とされるのだから、路上喫煙禁止地区か確認した上で喫煙するのが通常の行動である。それにもかかわらず、注意義務を怠り、漫然と喫煙を継続した原告には明白な過失が存する」と西島氏の過失を主張した。
●二審は逆転判決、最終判断は最高裁へ一昔前の路上喫煙が当たり前の時代からすると、タバコを取り巻く環境や社会認識は年々急速に変化している。
判決文では、「本件違反場所付近には、路面表示が2カ所、看板が1個存在したことが認められる」とした上で、神奈川県内の15市町村で路上喫煙禁止条例を制定しており、そのうち9市町村は過料または罰則を科している点や、西島氏の居住する市でも主要駅を中心にした半径250mの範囲内で一切の路上喫煙が禁止されており、横浜市と同様の禁止表示がされていることなどを指摘し、「このような状況に照らすと、あえて路上で喫煙する場合には、その場所が喫煙禁止か否かについて、路面表示を含めて十分に注意して確認する義務があるというべきである」とし、西島氏がパルナード通りに進入した際、「路面表示をも注意して路上喫煙禁止であることを認識することが十分に可能であったと認められるから、被控訴人(西島氏)には過失があったといわざるを得ない」とした。
また、パルナード通りに入った矢先に罰金を告知されたことについては「仮にそうだったとしても(略)表示を見落とした過失により路上喫煙をしたことは否めない」と判断。
さらに「被控訴人は、そのほかにも路面表示には過料の制裁の記載がなかったとか、路上喫煙に対する規制が一律ではないなどと、過失を否定する主張をするが、これらを考慮しても、上記認定を覆すことはできない」とした。西島氏の逆転敗訴である。
なお、「喫煙禁止地区であることを知らなかった」「表示が見えなかった」と言えばお咎めなしなのか、との点については、「注意喚起が十分にされていない状態で喫煙する者がいたとしても、それに制裁を科すことは本件条例の趣旨を逸脱する」「喫煙者が、通常必要な注意をしても路上喫煙禁止地区と認識しなかった(略)場合には、注意喚起が十分にされていなかったことになるから、過料の制裁を科すことはできないと解するべきである」との判断を示した。なお、この判決を下したのは、東京高裁第4民事部の田村幸一裁判長だった。
現在、西島氏はその後、上告している。最高裁の判断に注目したい。
(文=佐々木奎一/ジャーナリスト)
●佐々木奎一(ささき・けいいち)
「My News Japan」を中心に、「別冊宝島」や「SAPIO」「週刊ポスト」などで執筆するジャーナリスト。企業のパワハラや不当解雇などの労働問題を中心に、政治家の利権や原発問題に絡むメディアの問題なども取材をする。これまでに、「キユーピー」のパワハラ問題の追及や大企業の障害者雇用に関する問題提起、バンダイナムコの社員うつ病問題などを追及して話題となっている。