「シャープは同族経営」。こう聞くと、驚く人は少なくない。
近年、経営危機に陥って以降、この同族経営というコーポレートガバナンスに起因する「悪しき企業体質」が同社を瀕死の状態に追い込んだ、とする論調がマスコミを中心に目立つようになってきた。同族企業=悪しき企業体質、という因果関係が本当に正しいか否かについては議論の余地があるが、本稿ではこの議論はさておき、同族経営と関わりのあった片山幹雄・元社長の転身について言及したい。

 ファミリービジネスであっても男性が後継することが当たり前だった昭和において、息子を持たなかったシャープ創業者の早川徳次氏にとって世襲は不可能に近かった。早川氏には、大番頭の佐伯旭氏が経営における「養子」と思えたのではないだろうか。倒産の危機にさらされた戦後のドッジ不況の頃から金庫番として早川氏と苦楽をともにしてきた佐伯氏を、当然のように後継指名した。ここから「見えざる同族企業」の歴史が始まる。

 実は、姓が違う後継社長は、5代目の片山氏に至るまで、血こそつながっていないが佐伯氏と広義の「同族関係」にある。辻晴雄氏(3代目)は佐伯氏と姻戚。また、町田勝彦氏(4代目)の前夫人(故人)は佐伯氏の娘。もっとも、町田氏の場合、前妻は中学校時代の幼なじみで、京都大学農学部時代に偶然にも再会して恋愛結婚する。その後、町田氏は牛乳メーカーから転職し、シャープに入社した。経営危機に陥ってからは町田氏の責任論が浮上してきたが、「液晶のシャープ」と呼ばれるようになり、業績が順調に推移していた頃は「うちは、経営者に恵まれています」とシャープの社員は口を揃えるように言っていた。


 2007年4月に49歳の若さで社長に就任した片山氏は、技術畑出身のサラリーマン経営者(専門経営者)である。東京大学工学部を卒業後、同社に入社して以来、太陽電池、そして液晶の技術者、責任者として歩んできた。

 父が佐伯氏と親交があったのが一つのきっかけとなり入社した経緯がある片山氏は、入社試験の面接の時、「入社したら何がしたいですか」という質問に対して、工学部出身であるから技術系の仕事について発言すると思いきや、「経営がしたい」と答えている。本人の希望通り「将来の社長」が約束されていたわけではないが、候補の一人であったことは否めない。

「経営者にとって最も重要な資質は何か」と聞くと、社長だった頃の町田氏は「予見力」と答えた。そして、自ら優れた予見に基づきイノベーションを起こした。一般的にイノベーションは「技術革新」と訳されることが多いが、企業においては事業システムそのものを変え、大きな利益を生み出す意思決定と行動を指す。町田氏の予見力により、日本の家電量販店では、「アクオス」コーナーができたことに加えて「これまでになかったこと」が起こった。シャープのテレビがソニーより高い値段で売られるようになったのだ。液晶テレビが大ヒットし、シャープの売上高は01年度から20年度まで、6年間で1.9倍に急拡大し、3兆円を突破した。●異例の若さでの社長就任と退任


 ところが、08年度から急落する。10年度に盛り返したものの、11年度にはまた下がった。

結局、08年度から11年度までの3年間で3割減った。


 その主な原因は次の通りだ。

 00年代に入り製造装置が標準化され、それを購入さえすればどのような企業でも液晶や薄型テレビを生産できるようになった。その結果、韓国メーカーに続き、台湾メーカーが参入してきた。この過程で、テレビの価格は下がり続け、堺工場(大阪府堺市)が稼働し始める時期には一段と価格競争が激しくなっていた。追い打ちをかけたのが、08年秋のリーマンショックである。以後、先進国だけでなく、急拡大していた新興国市場でもテレビの伸びも鈍化。60インチ以上の大型テレビが普及すると見て、大画面テレビ向けの大型液晶を生産するため、4200億円もの巨費を投じて09年10月に稼働した堺工場は、無用の長物になってしまった。

 そして、12年3月期、13年同期には液晶テレビの販売不振に液晶パネルや電子部品の在庫損失が重なり、それぞれ3760億円、5453億円の最終赤字に陥ったのである。片山氏はその転落の中、12年4月に会長に退き、13年6月にはさらにフェロー(技術顧問)となり、経営の中枢から外れることになった。

●成功と挫折の両方を経験


 その片山氏は9月1日付で顧問として日本電産に入社し、10月から副会長執行役員・CTOに就任する。「経営者は成功と挫折の両方を経験することが大事」という持論を持つ同社創業者である永守重信社長が、約1年半前から声をかけていた。



 永守氏は、カルソニックカンセイ元社長の呉文精副社長兼COO(最高執行責任者)、三菱電機、エスエス製薬などを経て入社した吉松加雄・取締役専務執行役員CFO(最高財務責任者)、三菱自動車出身の早舩一弥・取締役専務執行役員ら、大企業の経営幹部経験者を相次いでスカウトしてきた。片山氏を迎えることで、技術経営の基盤を拡充しようとしている。

 非世襲を宣言している永守氏も、8月28日で70歳を迎えた。「松下幸之助氏が亡くなられた年(94歳)までトップを続ける」「世襲は行わない」と公言する永守氏は、集団指導体制確立に向けて着々と布陣を敷く。「IQ(知能指数)よりもEQ(感情指数)」との人材論を口にしてきた永守氏だが、経営陣のスカウト人事を見ていると、IQの高そうな人を採用している。しかし、ここで見落としてはいけないのは、彼らは頭でっかちの秀才ではなく、EQもかなり高いということである。ここでいうEQとは情熱、集中力、行動力という言葉に置き換えてもいいだろう。

 筆者は、永守氏、片山氏の両氏に何度もインタビューした経験があるが、2人は似た性格である。それは、「イケイケドンドン」「猪突猛進」と表現していいほど、常に前向き。ちなみに、日本電産の本社に飾られている風景画に夕日の絵は一枚もない。すべて日が昇る絵である。これには、永守社長の思いが込められている。


 とかく、大企業だけでなく中小企業も含めて、日本は一度失敗した経営者を「A級戦犯」として叩く傾向がある。特に日本のジャーナリストは、最後の結果だけに着目し、それまでに大きな功績があったとしても評価しない。ところが近年、片山氏の一件だけでなく、「捨てる神あれば拾う神あり」という動きが見られるようになってきた。

 片山氏と旧知の仲である、パナソニックに買収された三洋電機の井植敏雅氏は、創業家出身で最後の社長となってしまったが、「ラストエンペラー」では終わらなかった。現在は、LIXILグループの代表執行役副社長として、同社のグローバル化の推進役を担い、藤森義明社長の右腕として水を得た魚のように活躍している。井植氏も失敗の経験が買われた。一度失敗したプロフェッショナルの潜在能力は、バカにできない。「倍返し」してくれる可能性がある。

 苦労の末、シャープを創業し、その後も、何度も挫折を経験した早川徳次氏は晩年、講演会場で色紙にサインを求められたとき、必ずこう書いた。

「なにくそ」

 片山氏も「なにくそ」という思いを強めているはずである。日本電産での活躍を期待したい。
(文=長田貴仁/神戸大学経済経営研究所リサーチフェロー、岡山商科大学教授)

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