「親族同士の内輪揉め」に見られたせいか、殺人の冤罪事件のなかでは世間の関心もさほど高くはなかったが、単なる事故死だった可能性が大なのだ――。
1979年に鹿児島県大崎町で42歳の男性の遺体が見つかった「大崎事件」で殺人罪などに問われ、10年間服役した原口アヤ子さん(92)について、最高裁第一小法廷(小池裕裁判長)は6月26日、鹿児島地裁と福岡高裁が認めていた再審開始決定を覆し、再審の扉を閉めた。
足利事件、布川事件、大阪の少女焼死事件では元受刑者が再審で無罪になった。滋賀県で看護助手の女性が呼吸器を外して患者を殺したとされた冤罪事件では再審開始が決定しているが、こうした流れに水を差す「揺り戻し」が始まったのか。
現在、鹿児島の施設に暮らす原口さんは脳梗塞の後遺症で言葉もままならない。東京で会見した弁護団(森雅美団長)の鴨志田祐美事務局長は「原口さんの人生をかけた闘いに、最高裁はちゃんと向き合っていない。5人の裁判官は何を考えているのか」と怒りつつ、「一番頼りにしていたのは最高裁。長い闘いにピリオドを打ってくれると信じていた」と涙を流した。原口さんの長女・京子さん(64)は電話した同弁護士に「裁判所のトップが決めたことなんですか? それなら日本の恥ですよね。お母さんも私も、もうちょっとで楽になれると思ったのに……」と絶句していたという。
「やっちょらんから」と仮釈放拒否1979年10月に鹿児島県大崎町で農家の中村邦夫さん(当時42)が酒に酔って自転車走行中に道路脇の溝に落ちているのを住民が発見し、自宅へ運んだ。3日後に遺体が自宅横の牛小屋で見つかり、中村さんの義姉の原口さんと3人の男性親族が殺人容疑などで逮捕された。3人は「主犯は(長兄の妻の)アヤ子で動機は保険金目的」と供述した。
原口さんは否認したが鹿児島地裁は原口さんに懲役10年を言い渡し、1981年に最高裁で確定した。親族3人は出所後に死亡した。原口さんは一貫して「やっちょらん」と容疑を認めず、仮釈放も「罪を認めることになる」と拒否し、佐賀県鳥栖市の麓刑務所を1990年に満期出所した。
1995年に第一次再審請求をし、02年に鹿児島地裁で認められたが福岡高裁が取り消した。第2次請求も棄却されたが、17年6月に同地裁が第3次請求を認め、福岡高裁宮崎支部は昨年3月、これを支持し、検察の即時抗告を棄却。福岡高検が最高裁へ特別抗告していた。協議離婚した元夫は亡くなり、遺族が再審請求していたが、最高裁は今回、これも棄却した。
確定判決は「タオルによる絞殺」としたが、鹿児島地裁と福岡高裁の開始決定では、弁護団が出した「首を圧迫したことによる窒息死と積極的には認定できる所見はない」とした法医学者の鑑定の信用性を認めて、事故死の可能性を示唆していた。今回、最高裁は事故死について「可能性を指摘したにすぎない。証明力には限界がある」と鑑定の信用性を否定して確定判決を支持した。また弁護団が出していた、目撃証言を疑問視した心理学者の鑑定については「心理学的見地からの視点にすぎない」とした。
共犯とされた義弟は自殺、再審請求をしていた甥まで自殺した。
注目すべきは最高裁が今回、高裁に審理を差し戻すことすらせず、書面の審査のみで再審請求棄却を判断したことだ。事故説を否定し「事件」と断じたのなら、原口さんの関与を証明しなくてはならない。それも避けて法律論だけで片付けたのだ。
朝日新聞は6月28日付け朝刊の社説で「冤罪はあってはならないという観点から事件を見直すことよりも、法的安定性を優先した決定と言わざるを得ない」と端的に指摘した。法的安定性とは「三審までに確定した判決は覆るべきではない。簡単に覆れば司法の信頼性が揺らぐ」という意味である。実に「使い勝手のよい」大義名分だが、要は法曹役人のメンツである。メンツのためには地方の老女の運命など、どうでもいいのだろう。
冤罪に詳しい元裁判官の木谷明弁護士が会見で「無実の人を救済するために裁判所はあるのではないのか」と批判した通り、小池裁判長以下、小法廷の5人の裁判官は確定審へ至った先輩裁判官たちの体面を保つため、「なんとか法律論だけでやれないか」と有罪の理屈を書面だけで探していただけなのだ。
(写真・文=粟野仁雄/ジャーナリスト)