7年前の2012年12月2日に発生した、中央自動車道上り線の笹子トンネル天井板崩落事故。有料の高速道路を走行中、トンネル内でコンクリート製の重い天井板と隔壁板が突然剝がれ落ちてきて、車ごと押しつぶされるという前代未聞の事故では、9人が死亡、3人が負傷した。
山梨県警はNEXCO中日本に対し、業務上過失致死傷の容疑で家宅捜索を実施。事故発生から5年後の2017年11月30日、山梨県警は同社の経営陣や職員をはじめ、トンネルの点検業務を行なっていた同社の子会社「中日本ハイウェイ・エンジニアリング東京」の経営陣や職員計8人を、業務上過失致死傷の疑いで書類送検した。
しかし、甲府地方検察庁は4カ月後の昨年(2018年)3月23日、起訴できる証拠がなかったとして関係者全員を不起訴処分にした。つまり検察は、9人もの一般市民が亡くなった大事故であるにもかかわらず、誰の刑事責任も問わない――としたのである。
これに対し、事故による被害者の遺族が同年8月、不起訴処分を不服として、甲府検察審査会に審査を申し立てる。これとは別に、笹子トンネル事故を「高速道路ユーザー」としての立場から検証していた学者たちのグループも、甲府検審に対して同月、審査を申し立てた。NEXCO中日本が2008年から計画していた「笹子トンネルリフレッシュ計画」で、トンネル内の天井板撤去が検討されていたことを突き止めた上で、この工事が何度も延期されたことが事故を招いたとして、経営陣の経営責任を問うたのである。
ちなみに、国土交通省の事故調査委員会(正式名称「トンネル天井板の落下事故に関する調査・検討委員会」)は、事故から半年後の2013年6月に、事故調としての報告書を公表していた。同事故調が打ち出した事故の再発防止策とは、笹子トンネルと同じ仕様の吊り天井板を、「可能ならば、撤去することが望ましい」というもの。落下するものをなくしてしまえば、同様の事故の再発はありえない。コンクリート製の天井板をボルトと接着剤で固定して吊り下げるという設計自体が、笹子トンネル最大の欠陥であり、事故原因だったことを、図らずもこの再発防止策が示唆していた。
大きな謎は、県警は書類送検するまでの捜査に5年もかけた一方で、地検はたった4カ月で不起訴にしていたことである。その上、事故の再発防止や関係者の処罰につながるような新事実を何も明らかにできていない。無能で役立たずと言ってしまえばそれまでだが、捜査当局はこの5年の間、いったい何をしていたのか。
検察審査会は「現場社員」の責任だけを重視検察審査会では、くじで選ばれた11人の市民からなる検察審査員たちが、不起訴処分とされた事件の検証作業に当たる。甲府検審では山梨県民から審査員が選ばれ、およそ1年にわたって審査していた。
今年7月23日、甲府検審が議決をする(議決書の公表は2019年8月1日)。事故発生当時、点検や保全の業務に当たっていたNEXCO中日本の職員S氏と、子会社「中日本ハイウェイ・エンジニアリング東京」の職員M氏の2名に対し、「不起訴処分は不当である」とした。被疑者M氏は、事故が発生するまで中央自動車道の詳細点検業務に従事し、「簡略化した方法でトンネルを点検する」ことをNEXCO中日本側に提案した人物である。もう一人の被疑者S氏は、「笹子トンネルリフレッシュ計画」の検討作業にも関わっており、「簡略化した方法でトンネルを点検する」ことをNEXCO中日本として了承した人物だ。簡略化した点検方法とはすなわち、手抜きである。
検察審査会の議決では、事故ではなく「事件」と呼ぶ。そしてこの事件では、天井板が落下する可能性があることを予め認識できたか(予見可能性)についてと、手抜きをせずに安全点検を行なっていれば事故を避けられたかどうか(結果回避可能性)について、審査する。甲府検察審査会の議決では、S氏とM氏には「予見可能性が認められる可能性がある」として、甲府地検に対し、再捜査を命じていた。
しかし、その他の幹部たち8人については「予見可能性は認められない」との理由で、「不起訴が相当である」とした。現在の日本では、刑事訴追されそうになった経営陣が、「まさか天井板が落ちるとは思いませんでした」「天井板の危険には気づきませんでした」などと主張した場合、無能であることを罰する類いの法律は存在しないため、罰することができない。結局のところ甲府検審の議決では、いわゆる「現場の社員」の責任だけを重視していた。
しかし、S氏とM氏がトンネルの点検で手抜きを実行した背景には、経営陣からの指示や圧力は何もなかったのだろうか。「現場」の独断で手抜きをすることなど、現実にあり得るのだろうか。
この疑問について尋ねようと、今回の甲府検審議決で審査補助員を務めた弁護士に話を聞こうとしたところ、当該弁護士事務所の職員に、「検察審査会に問い合わせてほしい。直接の取材には応じられない」と阻まれる。そこで、甲府検察審査会の議決では考慮されていなかった点について、検討してみることにした。
捜査で無視されたさまざまな事実実を言うと、事故を未然に防ぐチャンスは何度もあった。
(1)「笹子トンネルリフレッシュ計画」
笹子トンネルでは2009年に、トンネル内の換気方式が変更されたことにより、天井板の撤去が計画されていた。だが、なぜか実施に至らなかった。天井板の撤去を前提に、換気設備を更新する検討が進められたため、天井板の詳細な点検が「簡略化」されて疎かになり、危険な状態が何年にもわたって放置されていたわけである。
(2)頻繁に起きていた「天井板接触事故」
2016年に刑事告発していた学者グループは、天井板崩落事故が発生する以前に繰り返しトンネル内で発生していた「天井板への接触事故」に着目していた。2008年6月に発生していた天井板接触事故では、高さ4.95メートルのコンテナ車が高さ4.7メートルのトンネルを通過した際、約3キロメートルにわたって天井板に擦過痕をつけていた。しかも、この天井板接触事故が起きた区間は、天井板の落下区間(約140メートル)を含んでいる。
さらには、2005年9月のトンネル点検で発見されていた天井板の損傷全49カ所のうち、なんと42カ所までが天井板の落下区間とその直近で見つかっていた。つまり、天井板を吊り下げていたトンネル自体が沈下している可能性があった。
そこで学者グループでは、実際にトンネル内を走行して測定することにした。すると、天井板が崩落した区間のトンネル天頂部がデコボコと波打っていることを発見。その天頂部から吊り下げられていた天井板も、一緒に波打っていたのは間違いなかった。トンネルそのものの施工不良が疑われた。
2005年9月のトンネル点検結果を踏まえ、天井板接触事故が多発していた区間のコンクリート製天井板が撤去されていれば、2008年6月の天井板接触事故もなく、その4年後の天井板崩落もなかった(参考記事:「週刊金曜日」2017年6月2日号『スクープ! 笹子トンネルの天井板落下事故で新事実 大成建設施工の天頂部だけが波打っていた』)
学者グループは、天井板崩落事故の捜査を指揮監督する立場にある最高検察庁の「監察指導部」に対し、トンネル天頂部の測定結果を無償で提供。迅速に立件するよう促していた。それでも甲府地検は嫌疑不十分として、関係者全員を不起訴処分にしていた。
(3)東日本大震災
事故発生の1年8カ月前に当たる2011年3月11日に発生したマグニチュード(M)9.0の東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)で、笹子トンネルのある山梨県は震度5弱、大月市では震度4を記録している。翌日の3月12日には、長野県北部でM6.7、最大震度6強の地震が発生。さらに3月15日には静岡県東部でM6.4、最大震度6強の地震も発生した。この際に笹子トンネルの詳細な安全点検が行なわれていれば、天井板の異常が見つかり、事故を未然に防げた可能性が高い。しかし、異常は見逃され続けた。
さらには、2005年10月1日に日本道路公団が3社に分割された「分割民営化」の影響も考えられた。高速道路の維持管理経費削減は、民営化される前からの至上命題とされていた。日本道路公団が2003年3月に公表した「新たなコスト削減計画」には、「新会社発足までに管理費を具体的な業務の必要性に立ち返って徹底的に見直し、概ね3割縮減することを目指す」(傍線は筆者)という、道路関係四公団民営化推進委員会が2002年12月6日に小泉純一郎首相(当時)に提出した意見書の文言がそのまま引用されている。この意見の急先鋒は、作家の猪瀬直樹氏。
「簡略化した方法でトンネルを点検する」ことをS氏とM氏が決めたのは、2012年7月20日以降のこと。NEXCO中日本と子会社「中日本ハイウェイ・エンジニアリング東京」の契約に基づく当初の点検方法は、天井板の上に足場を組み、トンネル天頂部にあるアンカーボルトの状態を目視と触診、打音検査【注】で確認するというものだった。
【注】所定のハンマーを使って対象構造物を叩き、その際に出る音によってボルトに緩みが見られないか、構造物が剝がれていないか等を調べる点検方法。
この点検作業は2014年度からに2016年度にかけて実施される予定だったが、2012年7月20日、NEXCO中日本本社から前倒しして点検を実施するよう指示が出たため、足場を組まない「簡略化した点検方法」へと変更され、2012年9月18日から10月3日までの約2週間、「手抜き点検」は実施されていた。
「管理費の3割縮減」指示や「点検の前倒し実施」の指示は、S氏とM氏が手抜き点検をしたことになんの関係もないというのだろうか。彼らが独断で手抜きをしたわけではないことは、すでに明白である。
「もはや検察に期待するものは何もない」のか笹子トンネルでは、落下した天井板の上を空気が通る構造になっていた。天井板の上は【図】のようになっており、隔壁板を境にして、片方がトンネル内にたまる自動車の排気ガスを吸い出す排煙用の道で、もう片方が新鮮な空気を送り込むための道だった。つまり、天井板の上部はまるごと排煙用のダクト(送風管)だったことになる。
天井板は、その両隣の天井板と連結する形で設置されていた。ダクトの中仕切りである隔壁板も同様である。
天井板の上からトンネル天頂部までの距離(高さ)は、短いところで約2.4メートル、長いところでは約5.4メートルもあった。そのため、点検のたびにいちいち足場を組む必要があった。点検作業が面倒だったことの証拠に、打音検査は2000年を最後に事故発生までの12年間、実施されていなかった。
こうした事実を踏まえ、国交省事故調の報告書は次のように書いている。
「維持管理の方法等の計画においてあらかじめ更新が確実かつ容易に行えるように配慮した設計とすべき」(同報告書43ページ)
今後は保守・点検がしやすい設計にしなさい――というのだった。笹子トンネルの設計では、そんな当たり前のことさえ満足にできていなかった。
事故発生の翌年である2013年、笹子トンネルと同様に、接着剤で留めたボルトで吊り下げた天井板のある危険なトンネルが全国で16カ所あることがわかり、うち9か所では早々に天井板が撤去された。その様子は、まるで証拠の隠滅を急いで図っているかのようにさえ見えた。笹子トンネル事故により、天井板崩落事故の「予見可能性」と「結果回避可能性」の問題が広く知られることとなり、放置しておいて事故が起きれば刑事責任を問われるのが確実な情勢となったからだろう。
ところで、事故の「予見可能性」と「結果回避可能性」については、民事事件と刑事事件で判断が分かれている。死亡した5人の遺族が損害賠償を求めた裁判では、横浜地裁が2015年12月22日、被告のNEXCO中日本と中日本ハイウェイ・エンジニアリング東京の過失責任を認め、両社に総額約4億4000万円の賠償を命じている。判決で横浜地裁は、事故の「予見可能性」と「結果回避可能性」を全面的に認めていた。
一方の刑事事件では、甲府地検は事故の「予見可能性」と「結果回避可能性」を認めていない。今回の甲府検審の議決でも、現場の社員であるS氏とM氏の予見可能性は「認められる可能性がある」とし、甲府地検に対して再捜査を命じたものの、NEXCO中日本と中日本ハイウェイ・エンジニアリング東京両社の経営陣については、甲府地検と同様に予見可能性を認めず、不起訴が相当だとしていた。
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「もはや特捜部、検察庁に期待するものは何もない」
森友学園への国有地売却や財務省関連文書の改竄などをめぐる事件で、大阪第一検察審査会が「不起訴不当」と議決した佐川宣寿・元同省理財局長ら10人について再捜査していた大阪地検特捜部が今月9日、再び全員を不起訴処分としたことを受け、佐川元局長らを告発していた阪口徳雄弁護士が語った言葉だ。仕事をしない検察官の彼らは、文字どおりの「税金泥棒」であろう。
果たして甲府地検の検察官らは、見事職責を果たし、市民や遺族の期待に応えるのか。それとも「税金泥棒」と言われるのか。
再捜査の行方が注目される。
(文=明石昇二郎/ルポライター)