7月18日に京都市伏見区の「京都アニメーション」(京アニ)第1スタジオで発生した放火殺人事件。犠牲となった35人は、全員が京アニの役員や社員だったのだという。
ここでいう「甚大な被害」とは、取材陣が殺到する「メディアスクラム」や、インターネット上に故人のプライバシーやデマ情報が流されることによって、遺族が受ける精神的・肉体的ダメージのことを指すのだろう。これに対し、京都府内に取材拠点を置く報道各社からなる「在洛新聞放送編集責任者会議」は京都府警本部長に対し、速やかに実名を公表するよう求めていた。
そして事件から40日後の8月27日、京都府警は残る犠牲者25人全員の身元を報道機関に発表。ただし、その際に同府警は、遺族の多くが匿名での報道を希望していることを申し添えていた。報道陣に実名を明らかにするにあたり、京都府警が実名公表への承諾を得られていたのは5人の遺族だけで、20人の遺族は依然、実名公表を拒否する意向だったとされる。しかし、大半の報道機関はその日のうちに、伏せられてきた25人全員の実名と年齢、住所を報じる。20人の遺族の意向は無視される格好となった。
市民の知らない“報道ムラの因習”実名の公表に遺族から了承を得られた15人だけでなく、了承を得られなかった20人の実名まで報道した理由を、報道各社は自身の報道を通じ、次のように述べている。
NHK「NHKは事件の重大性や命の重さを正確に伝え、社会の教訓とするため、被害者の方の実名を報道することが必要だと考えています。
京都新聞「京都新聞社は、犠牲者全員の身元を実名で報じます。関係者の安否を明確に伝え、事件を社会全体で共有するには、氏名を含む正確な情報が欠かせません。尊い命を奪われた一人一人の存在と作品を記録することが、今回のような暴力に立ち向かう力になると考えています。これまでの取材手法による遺族の痛みを真摯(しんし)に受け止めながら、報道に努めます」(8月28日 8時00分)
日本経済新聞「京都府警は27日に発表した京都アニメーション放火殺人事件の犠牲者について、遺族の多くが匿名での報道を希望していると説明しました。日本経済新聞は殺人など重大事件の報道で、尊い命が失われた重い現実を社会全体で共有し、検証や再発防止につなげるために犠牲者を原則実名としています。今回も事件の重大性を考慮し、実名で報じる必要があると判断しました。遺族や被害者への取材は心情やプライバシーに最大限配慮し、節度を持って進めています」(8月27日20時48分)
毎日新聞「毎日新聞は、事件や事故の犠牲者について実名での報道を原則としています。亡くなった方々の氏名を含め正確な事実を報じることが、事件の全貌を社会が共有するための出発点として必要だと考えます。遺族の皆様への取材に関しては、そのご意向に十分配慮し、節度を守ります」(8月27日 23時15分)
朝日新聞「朝日新聞は事件報道に際して実名で報じることを原則としています。犠牲者の方々のプライバシーに配慮しながらも、お一人お一人の尊い命が奪われた重い現実を共有するためには、実名による報道が必要だと考えています」(8月27日19時47分)
つまり、「事件を社会全体で共有」して「社会の教訓」とし、「検証や再発防止につなげるために」は、犠牲者の実名報道が必要なのだという。
ここで肝になるのは、報道機関が独自取材によって犠牲者の実名を突き止めるのではなく、国家権力である警察組織の責任で犠牲者の実名を発表してもらう必要がある――ということだ。万一事実誤認があったとしても、責任は専ら警察のほうにある。
そこで、重大な疑問が生じる。今回、実名報道が敢行されたことで、意向を無視された20人の遺族を今後、報道各社は取材することができるのだろうか。実名の公表に反対していた20人の遺族には、反対する理由がそれぞれにあったと思うが、それを報じなくていいのか。そのことは「社会全体で共有」すべき「事件の全貌」の中には含まれないのか。
警察も悩んでいた2017年10月、神奈川県座間市内の住宅で9人の遺体が発見された「座間事件」では、警察発表によって犠牲者の身元が判明した以降、新聞やテレビは犠牲者の実名と顔写真を報じた。この際も、遺族が顔写真の公表や実名報道をやめてほしいと申し入れていたが、大半の報道機関に無視された。
一方、2016年7月、神奈川県相模原市の障碍者(しょうがいしゃ)施設で、重い障碍のある入所者19人が殺害された「やまゆり園事件」では、神奈川県警が遺族の要望を理由に犠牲者の氏名を公表しておらず、取材で実名を突き止めている報道機関もあるのに、いまだ実名報道はされていない。
やまゆり園事件の発生から数年が経ち、同事件を掘り下げた報道では、遺族の「匿名希望」の理由や思いに心を寄せ、共感を覚える記者を多く見かける。だが、なぜ京アニ事件ではそうならなかったのか。
今回の京アニ事件で京都府警の担当者は、報道機関に対して犠牲者の実名を明らかにした理由について、
「社会的な関心が高く、事件の重大性や公益性などからも情報提供をすることがよいと判断した」(NHK)
「35人全員の葬儀が終わり、事件の重大性や社会的関心の高さなどから判断した。亡くなった人の名前が明らかにならないと間違った名前が広まる懸念もあった」(同)
「事件の重大性、公益性から実名を提供すべきだと判断した。報道機関や一般の方も非常に関心が高く、身元を匿名にするといろんな臆測も広がり、間違ったプロフィールも流れる。亡くなった方の名誉が著しく傷つけられる」(朝日新聞)
などと語ったのだという。毎日新聞は「府警関係者」の話として、「お盆前の公表は避け、全員の葬儀が終わるのも待つよう警察庁が指示」していたと明かす。そしてNHKは、ある警察幹部の話として、「遺族の意向に配慮しつつ慎重に検討を進めてきたが、多くの遺族が公表を強く拒否する中難しい対応を迫られた」という警察内部の苦悩も紹介していた。
焦らず地道な報道を実名報道の記事は、のちに改めて取材する際の足掛かりにもなる、という主張も耳にする。しかし、犠牲者の個人情報は報道機関内のデータベースで管理しておけば十分事足りるのであって、公開の記事にして広く世間にまで知らしめる必要はない。警察による誤認逮捕のチェックや、警察の暴走を防ぐことにしても、警察が報道陣に犯人や犠牲者の実名を明らかにしている限り、不可能ではない。
実名報道がどうしても必要というなら、警察発表の後、公表に反対している20人の遺族すべてを一人ずつ丁寧に説得し、承諾を得てから報道する――という報道機関が1社くらいあってもよさそうなものだが、残念なことに1社もなかった。報道機関が事件報道を語る際、事件の被害者や遺族と「信頼関係を築く」ことの大切さを強調する記事をよく見かけるが、今回の実名報道のようなやり方では、信頼関係など築けるものではない。
実名の公表に反対していた遺族が20組もいるのであれば、今後、そのなかから裁判での決着を望む遺族が現れる可能性もある。犠牲者の実名を報じることでは、間違ったプロフィールがネット上で流れたり、亡くなった方の名誉が著しく傷つけられたりすることを防ぐことはできない。ネットユーザーのなかには、実名をもとにネット検索をかけ、無関係の別人を「犠牲者」だと誤認したり、間違った情報を拡散したりする人が少なからず存在するからだ。
犠牲者を実名で報じることを頑なに「原則」とするのではなく、事件報道において犠牲者を報じる際の原則を「匿名報道」に改め、例外的に実名を報じる場合は報道機関自身が責任を負える範囲で行なうことにしたほうが、今の時代に即しているのではないか。警察の公表と同時に各社が横並びで一斉に実名報道する姿は、もはや時代錯誤の風習のように見えて、滑稽でさえある。焦らず地道に遺族との信頼関係を構築してから報じる報道機関の登場が切に待たれている。
(文=明石昇二郎/ルポライター)